64 海底の水平線




死んだじいさんから行っていけないと言われている場所があった。


素潜りで魚など捕る仕事をしているが、

じいさんは岬のそばの入り江になっている所は

深く潜っては駄目だと言う。


岬は海に向かって細く尖り陸に沿って抱き込むような形で、

内側は入り江になっているので波は落ち着いている。

その上から下を見ると海に吸い込まれそうな気がする。

良い魚場の気がするが海の生き物がほとんどいない。


だから誰もそこに行かない。

じいちゃんが言うように村人も

そこに潜っていけないと言うから皆は別の所に行く。




ある朝、村人が集まって騒いでいた。

聞いてみると旅人があの岬に一人で船を出して行ったらしい。

朝になって旅人の姿が見えず、船だけが戻って来たそうだ。

どうして岬に行ったのが分かったのか不思議だったが、

ここに来てから旅人は色々な人に岬の事を

しつこく聞いていたそうだ。


「わしは話はしたが行ったら死ぬぞと言ったんだがな。」


宿屋の親父は言った。

世の不思議を調べている学者みたいな男で、

好奇心の塊みたいな様子だったらしい。

丸眼鏡をかけて長い髪を後ろで一つにまとめていたそうだ。

船には旅人の荷物がそのまま残っていた。


結局旅人は戻らなかった。




それから何年かした頃だ。

最近妙に地鳴りがする。

皆は岬の方だという。


村人と一緒に船でそちらに行くと岬の入り江はいつもと変わらない。

波は静かで底までよく見えた。


だが誰かが言う。海底に何かがいると。

そして地鳴りがする。


本当は潜ると危ない場所だ。

だが確認しなければいけない。


「底までよく見えるから、

危ないと思ったら船から引き上げるならな。」


そして一番若い俺が潜る役となった。

腰にしっかりと紐をつけて銛を持った。


「危ないと思ったら引き返せ。上からも見てるからな。」


俺は頷いて海に飛び込んだ。


海の中は思ったより静かだった。

この辺りは海藻も生えていない。そして魚もいない。


異様な景色だ。


俺は海底を見た。白い砂がある。


そしてふと気が付いた。

そこに水平線があるのだ。


海水と何か違う水との境目がある。

うっすらとこちらと向こうの違いが見えたのだ。


俺はぎくりとする。


するとその水の中に何かが出て来るのが見えた。


ゆっくりと砂の中から髪の毛のようなものが

ふわふわと浮き上がった。


それは人の顔だった。

そしてそれは何かを抱いている。


抱かれているのは人間の男だ。

丸眼鏡をかけて髪の毛を後ろで一つにまとめている。

目をつむり動いていない。


男の髪は少しばかり水の中で揺れている。

それを砂の中から出て来たものは

愛おしそうに撫でると俺を見て笑った。


ぞっとした俺は腰に付けた紐を握り思いっきり動かした。

すると勢いよく海面まで引っ張られた。


「大丈夫か!」

「やばい、すぐ陸に逃げろ!」


と言ったそばから海底からブクブクと泡が噴き出て来た。

皆で慌てて櫂を持ち、必死で船を動かした。


陸が近くなると船が動かなくなった。

皆で海に飛び込み陸まで泳いだ。

足元にするすると何かが触る。

海藻に触れている感じだ。


そして皆が無事に陸に戻ると船はどこにもなかった。

俺はへたへたと座り込んだ。


「何を見たんだ。」


俺の顔は真っ青だろう。


「海の中に水平線があった。」

「水平線?」

「その向こうからゆらゆらと髪の毛みたいなのが出て来て、

男を抱いていたよ。

前に行方が分からなくなった奴だ。

眼鏡をかけて髪の毛を一つに結んでた。」


皆は顔を合わす。

何年か前に姿を消した旅人だ。


「それを撫でて俺を見て笑った。」


皆の顔が真っ白になった。

俺達はとぼとぼと村まで戻った。

やはりあの場所は普通ではないのだ。


だがその夜、

激しい地鳴りと地震が来た。

津波が来るかもしれない。


真夜中だが村人は全員高台まで逃げた。

激しく揺れたが幸いにも被害は無く

村人も全員無事だった。


そして翌朝あの岬に行くとそこは崩れ落ちていた。

入り江は岬の土砂が落ちて無くなっていた。


そして俺は素潜りは止めた。


「お前は得体の知れんものと目が合ったんだ。

海に潜ると危ないかもしれん。」


村長が申し訳なさそうに言った。


「お前を潜らせて本当に悪かった。」


俺も仕方がないと思った。

何しろあれと目が合ったのだ。

またあれと出会うと考えると背筋がぞっとした。


それから俺は町に魚を運ぶ仲買人の仕事に就いた。

難しい仕事だがなかなかやりがいのある仕事だった。


魚を運びながら海を眺める。

今日の海は静かでいい感じだ。


そして俺は思う。


あの岬はあれの巣だったのだろう。

あの場所に落ちたものを愛でていたのだ。


そしてあれは何だったのかと。

そして囚われた男は今もあれと一緒にいるのだろうか。

もしあの男が無くなったら

次は誰だろうと俺はぞっとする。


「海にはもう近づけねぇな。」


俺は呟く。

そして町にいる女を思い出す。


仲買人仲間の娘だ。

もうすぐ祝言を挙げる事になっていた。

町に住めば海に行く事も少なくなる。


あれにはもう絶対に会いたくない。

俺は思った。




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