第二説 エタニティ三賢人

 傀衣の前に現れた志藤仁という男は、数百年ほど前にあった携帯機器、スマートフォンらしきものをかざした。すると瞬きもしない間に、彼の身体は竜を模した鎧で覆われた。

 一連の光景を見た傀衣の口からは当人も意識せぬまま、

「カッコいい…」

 と声が漏れていた。

「そうか?それは嬉しいけど、こっちも頼まれごとされちゃってるからな。手加減しねぇぞ」

 仁が構えをとると、傀衣は我に返ってアッシュブレイズへと変貌した。

「星斬(ほしきり)!」

 アッシュブレイズの声に応えるように、炎と共に剣が現れた。鞘から剣を抜き、炎を纏わせる。

「正しき炎で闇を拓く!アッシュブレイズ、ここに見参!」

 大見得を切りながら、アッシュブレイズは啖呵を切った。しばらくの沈黙の後、ユニゾンギアのバイザー越しに仁は目を輝かせた。

「かっけぇ…!」

「そ、そうですか?即興でやったんですけど…」

 アッシュブレイズは頬を赤くし、頭を掻いた。

「ていうかそれあれだろ、『エンセイバー』の決め台詞だろ!よく知ってたなぁ。かなり昔のはずじゃないか?俺が園児の頃に流行ってたやつだから」

「あなたも知っているんですか!?エンセイバー!」

 興奮したアッシュブレイズは物凄い勢いで仁に近づき、早口で語り始めた。今から300年ほど前に流行った特撮ヒーロー番組であること。人命救助を目的とした国籍なき騎士団・バーニング騎士団の一員から団長となり、そして世界の英雄となっていく主人公の成長物語は涙なしで語れないこと。自分はジャンク品の中からそのDVDを拾い、同じく拾った再生機とモニターがダメになるまで繰り返し観ては勇気をもらってきたこと等々…

 彼女を前にタジタジな仁を見かねたマージナルセンスは変貌を解き、二人の間に割って入った。

「オタクトークはそこまでにして!本題に入るけど…キミ、本当にアッシュブレイズ?オレ達の聞いた話とは随分違う感じだけど…」

「アッシュブレイズなら私で正解ですよ?そうそう!アッシュブレイズって名前もエンセイバーに出てくるアッシュ様から取っていて──」

「止まらへんなこの子…」

 大きなカエルの義太郎が彼等の後ろで苦笑いする。

「何はともあれや。エタニティっちゅう組織?党?…まぁ政府機関から凶悪犯のあんさん確保せぇって言われとるんよ。おとなしくついて来てくれへんかな。悪いようにはさせへんつもりやし」

「…それでついて行ったら私バカすぎません?」

 アッシュブレイズは眉をひそめた。宜なるかなである。

「言うてもワシらかて引き下がれまへんのや。友達の国かかっとるし」

 突然スケールの大きな単語が出てきて、アッシュブレイズは硬直した。

「どういう事ですか?」

「それは俺から説明するよ」

 ユニゾンギアを解除した仁がアッシュブレイズの瞳を見つめた。荒れ果てた大地の上で見据えるそのまなざしは力強く、どこか物悲しさを感じた。

 時は少し前に遡る。

「つまり、日本国の領海内にあるBe-Land──タカマガハラとやらは、本国に所有権があるわけだ」

 突如降り立ったヘリコプターの中から姿を見せた『技のフェニーチェ』と名乗る女性は、轍登子(わだち とうこ)に向かって主張した。

「いきなり現れて『はいそうですか』なんて言うとでも?」

 登子は怒りを露わにした。しかし勾七光(まが ななみつ)は、

「…わかった。属国となろう」

 と答えた。

「七光!あなた…!」

 怒鳴る登子の耳元に顔を近づけ、七光は囁いた。

「ここで断れば武力行使されかねない。そうなったら魔騎難との戦いで疲弊した民はどうなる?守護獣でさえ摩耗しているのだ、勝ち目などありはしない。今は耐えねば」

 フェニーチェは口角を上げた。

「そちらのお坊ちゃんは育ちが良いな。隣の小娘とは違って政治がわかるらしい」

「ただし」

 七光はフェニーチェを睨みつけた。

「タダで属国化するつもりは無い。そちらの難事を解決できなければ、という条件でだ」

 登子を貶された怒りが言葉に乗る。フェニーチェは少々面食らった。なるほど。食えない男だ。経済面であれ何であれ、従者が主人の難事を解決できるとあれば、それはもはや主従ではなく対等な関係となる。

 とはいえそんなものは反故にすれば良い話で、普通に考えればあくまで時間稼ぎに過ぎない提案だろうが、この男の瞳は必ず成功すると確信している。無茶苦茶な事を言っているようで、自身の提案を確実にこなせる力があることが裏付けとなっている故の発言と取れる。迂闊に動けない。

「わかった。条件を呑もう。では早速今の我々にとって目の上のたんこぶとなっている存在だが──」

 そう言ってアッシュブレイズの写真を、慣れない手つきで二人に渡した。

「このアッシュブレイズという奴だが、こいつは警察官を何人も殺してきた恐るべき犯罪者──我々の国だと奪う者、ラバーズと呼んでいる。それも我が国唯一の最優先犯罪者、ウォンテッドランク1のやり手だ。こいつを捕らえてほしい。できるな?」

 一国の官僚が頼み込むほどの強力なレシーバーズ。先の戦いで疲弊した人々では到底敵わないだろう。情けない話だが、また彼等に頼るしかない。

「…やってみせよう」

 こうして、後の世に語られる『炎征(えんせい)条約』は締結された。

「──というわけだ。同情してもらう気は無いけど、俺達も引き下がれないんだよ」

 その話を聞くや否や、アッシュブレイズは変貌を解いて涙で顔を崩した。

「そんな事情があったなんて…いい話だなぁ…わかりました!捕まります、私!」

 手首を差し出しながらこうも断言されると、捕まえる側である仁達は逆に困惑してしまう。三人で円陣を組み、声を潜めて話し合った。

「どうしよう仁兄さん、オレあの子捕まえる気になれないよ」

「同感だ」

「いやいや登子はんらは!?」

「わかってるけどさ…なぁ?」

「そらワシかて途中からウサちゃん思い出して可愛いなぁ思とったけども…」

「何とか獄中生活なんて羽目にさせたくねぇが…困ったな。どうする?リッキー」

「オレに聞きます!?」

「頼むよリッキー!お前が頼りなんだ」

「頼り…!──じゃあこういうのは?」

「…マジか。お前それマジか」

「でもそれしか無さそうやな」

「いざとなったら頼ればいいし」

「確かに…じゃあそれでいくか!」

 声を合わせて『オー!』と叫び、改めて仁は傀衣の両手首にレシーバーズ用の手錠を嵌めた。そのまま連れて行こうとしたその時、

「待ってください!」

 と背後から声がした。振り向くと、男が一人立っていた。

「お願いです。傀衣を連れて行かないでください。子供達にとって、傀衣はお姉さんなんです。ヒーローなんです。いなくなったら、親のいないあの子達は、ラバーズのあの子達は、誰を頼れば良いんですか?誰が守ってくれるんですか?だから…連れて行かないで…」

 寂れた教会を後ろに、護は息を荒らげ、涙を流して訴えかけた。仁は踵を返し、護の前に立つ。

「大丈夫。傀衣さんは──」

「──無茶だ!あなた達はどうか知らないけど、それで割を食うのはこっちなんですよ!?ふざけた事を!」

「護さん。大丈夫。この人達はきっと、大丈夫だから」

「でも…」

「心配すんな。皆、俺が守る」

 仁は毅然と返した。巻き込むからには、それぐらい当然だ。護は何も言えず、ただ立ち尽くすしかなかった。

「リッキー、義太郎。この子を頼む。…死ぬなよ」

 リッキーと義太郎は黙って頷き、傀衣を連れてヘリコプターで飛び立った。曇天の奥がほのかに光っていた。

 エタニティ。今から数年前、レシーバーズのみで構成された政府機関。首魁のホリゾンと、フェニーチェをはじめとする幹部・エタニティ三賢人の圧倒的な力によって、おのずから日本の治世はエタニティのものとなった。

 それからというもの、レシーバーズ達が従来の人間に抱いていた差別感情は一気に噴き出した。その象徴とも言えるのが旧東京、セントラルタウンの構造である。

 まずは下部層のボトムタウン。レシーバーズの力を持たない生まれながらの罪人、つまりラバーズはここから出てはいけない。次に中部層のミドルシティ。一般人、つまり普通のレシーバーズはここで住む。なお、シリアル巡査部長の管轄もここである。そしてエタニティやその要人達の住むハイトピア。過去の人々の叡智が使われた三段構造の街並みは、まさに人は平等でない事を形で示している。

 リッキーと義太郎は傀衣を伴い、ヘリコプターでエタニティ本部まで連れて来られた。

「任務ご苦労。まさかホントにやるとはねぇ。凄いねぇ、偉いねぇ」

 妙に親しげな雰囲気で三人に近寄る骸骨男はエタニティ三賢人の一人『情のリッチ』である。

「そうそう!そこの犯罪者はともかく、キミは人間に化けちゃダメだよ〜その…リッチー君」

「リッキーです」

「そうだった!名前の響きが似ているもんでついついウッカリテヘペロちゃん」

 顎を鳴らして笑う。初対面の人物にあまりこういう感情を抱くものではないのだろうが、リッキーは鬱陶しいと思った。

「そうキレないでチョンマゲ!実際これで属国化は免れたわけなんだしさぁ、もっとハッピーサンキューって感じで楽しくいこうよ二人とも!あ、キミは笑っちゃダメね」

 傀衣を指さして冷たく言い放つ。義太郎は息を呑んだ。冬の寒さどころではない言葉の冷たさは、それをサラリと言い放つ様子は、リッチの本性の底知れなさを感じた。

「下を向いてちゃ虹は見えない〜by チャップリン、なんつって」

 陽気に騒ぎながら、リッチは三人を部屋へ入れた。そこはただの暗闇で、机も何もなかった。

「何も無いけど?」

 義太郎が尋ねると、リッチは笑って答えた。

「あったりまえジャン!だってキミ達は──」

 刹那、暗闇が晴れる。立方形の部屋の周囲には、白い壁を黒く塗りつぶすほどの肉食虫が群がっていた。

「ここで死ぬんだから」

 肉食虫が一斉に飛びかかる。虫達を払いながら、義太郎は叫んだ。

「どないなっとんねん!約束は果たしたやろ!」

「キミ達が死ねば、その約束も果たされなかった事になるよねぇ」

 マージナルセンスは、その五感で読み取ったリッチのドーパミンの大量分泌から全てを悟った。

「まさかはじめから…」

「ピンブー!半分正解半分間違い。言うの忘れてたんだけど、ワガハイ見た人の心が読めちゃうんだよねん。だから情のリッチってワ・ケ!で、キミ達が来た瞬間『作戦』を知っちゃったからさぁ、拷問部屋に入れるしかなかったんだよねぇ。まさか一旦こっちに身柄預けといて脱獄させようなんてさ、勇者だよ勇者!失敗したけど」

 肉食虫が傀衣の皮膚を食おうとする。それを義太郎とマージナルセンスが必死に庇い、代わりに血飛沫を上げる。

「いいねぇレディーファースト!約束しちゃったもんねぇ。『皆、俺が守る』だっけ?カッコいい上司ジャーン!でも可哀想だよねぇ、こんな間抜けな部下のせいでそれもオジャンなんだからサ!」

 リッチはけたたましく笑った。愚かな連中だ。道具を使わなければレシーバーズに並ぶこともできない中途半端なラバーズに仕えるバカ共と、ラバーズのクソガキ共を世話する狂ったレシーバーズ。三人ともここで死ぬ。嗚呼快感。歯車が回るように、世の道理が正しく行われる気持ちよさ。笑わずにはいられまい。

 だが、ふと飛び込んだ思考がリッチの笑いを止めた。義太郎とマージナルセンスは不敵に笑みを浮かべた。

「心読める言うても、あんさんみたいな間抜けじゃたかが知れとるわなぁ」

「オレ達が何の罠も警戒しないでここに来るとでも思ったのか?間抜け」

「やめ──」

 手錠はいとも簡単に外れた。

「許せない。罠に嵌めた事じゃない。二人の頑張りを、仁さんの言葉を踏みにじった事が、何よりも許せない!!」

 炎が噴き上がる。肉食虫は怯え惑うがもう遅い。大半が焼き払われた。

「肉食虫ちゃんが…エサ代高かったのに…」

 三人がリッチに詰め寄る。

「さぁ、覚悟してもらおうか」

「人を食い物にした罪は重いで?」

「今の私はマグマより熱い!」

「…そんな簡単にやられちゃ三賢人の面目丸潰れなんだよね!」

 リッチは指輪のスイッチを押し、警報を鳴らした。おびただしい数の足音がマージナルセンスの耳に届く。

「数百…いや数千の警官がこっちに来る!」

「アカン、分が悪い!退くで!」

 アッシュブレイズは煙幕ならぬ炎幕を上げて、リッチの視界を遮った。炎が消える頃にはもう三人の姿は見えず、部屋の奥に大きな穴が空けられているのみとなった。

「チクショウチクショウチクショー!」

 リッチは地団駄を踏んだ。だが、

「いやでもあいつらはアッシュブレイズを届けるのに失敗してるわけだし、結果オーライちゃんじゃない?」

 と思い直し、顎を鳴らして笑う。しかし直後、

「待て待て待て待てこんな大穴と焼け跡と虫の死骸なんか見たらワガハイが騙したのバレちゃうジャン!?今からリフォームできるわけないし…これマズマズのマズなんじゃないのォ…?」

 と更に思い直して冷や汗をかいた。焦げ臭さがリッチの鼻をついた。

 一方、教会。無数の警察官が仁の前に倒れている。仁は肩で息をしながら、目の前の黒いガンマンを睨んだ。

「大した根性と実力だ。これでも随分凄腕を集めたつもりなんだがな」

「そりゃどうも…!」

「本当なら万全の時に一騎打ちと洒落込みたいところだが、あいにく仕事なんでね。このまま挑ませてもらう。悪く思うなよ?」

 黒いガンマンは腰の二丁拳銃を取り出し、銃口を仁に向ける。

「俺は躰のアサシン。しがないガンマンさ。お前の名は?」

「志藤仁。しがない社会人、ってとこかな…!」

「志藤…仁…!?」

 互いの眼が一層鋭くなる。吹き荒ぶ風が両者を撫でる。戦いの火蓋が切られようとしていた。

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