第2話  西暦2044年12月、パリ




「ねぇミシェル、もうすぐお誕生日よね! プレゼントは何がいい?」


 12月の初旬。朝方の冷たい風が姉弟の頬を叩く。

 花が開くような笑顔を向けるクロエが眩しくて、ミシェルは思わず目を細めた。


 鉄の貴婦人に背を向けて歩く二人。

 その背後では、風穴だらけになった怪物の残骸を朝焼けが照らしていた。



 今回の討伐対象は、有識者たちの間で喫食種テイストと呼ばれている。


 不可視の怪物にも力の序列がある。

 喫食種テイストは最下位の摂食種イートを率いる群れの長だ。人間の生死に干渉する力を持たない摂食種イートと違い、喫食種テイストには固有の力がある。

 例えば水を自在に操ったり、偶然を引き寄せた必然を作り出したり。


『原因不明の突風 エッフェル塔で3人が転落死 風の精霊シルフの狂乱か』


 最近のパリを騒がすネットニュースの見出しである。

 科学的に解明できない風がもたらす不可解な死。オカルト的なタイトルに走りたくなる記者の気持ちもわからなくはない。

 実際は風の精霊シルフではなく、全長5メートルはあろうほどの巨大な白い蝶の仕業だったのだが。


 この喫食種テイストは、はねを大きく羽ばたかせ風を起こすことができる。転落した死体には人の顔ほどある大ぶりな白い蝶――つまりは摂食種イートが何匹も群がり、その魂をむさぼっていた。


 調査員から報告を受けたデイドリーマーズ対策の専門機関であるヴィジブル・コンダクターは、蝶の怪物の駆除をスピード可決。フランス支部のノエル姉弟へ討伐要請が下ったのは、日付が変わる直前だった。


 秘密組織に定休日はない。怪物退治の実働部隊であるウォッチャーの数は限られている。

「三ヶ月ぶりのオフだったのに」と愚痴をこぼしたクロエは、さっさと蝶を片付けて弟と出かけたかったのだろう。隠れみのにしている教会の倉庫から弾帯を根こそぎ持ち出したのは夜明け前。そのまま薄暗がりにそびえる静かなエッフェル塔に向かい、地上高116メートルの第2展望階に巣食っていた蝶の怪物を『シルバーガトリング』の二つ名に相応しい圧倒的火力で討伐して見せた。


 これは不可視の怪物を複合現実の世界に具現化させる情報転写式具現装置リアライズ、その処理速度がヨーロッパナンバーワンと言われる弟の補助があってこそ。

 無数の弾丸に抉られる肉質、ダメージ、反応――それらを瞬時に更新しながら、精神体でしかない怪物を死に追いやる仮の器を作る。データ更新が可能なミシェルだからこそできる技だ。



 そんな一仕事を終えた帰り道。

 愛銃を収納した大きなトランクケースを抱えたクロエが、大切な弟に誕生日プレゼントのリクエストを尋ねた。


「僕は……」

「もちろん何でもいいはナシよ! そうだ、プレゼントとは別にレストランでディナーなんてどう? 成人したお祝いに同い年のワインを開けるのもよさそうね!」

「……こんな見た目の僕にお酒を飲ませたら、クロエ姉様が警察に捕まってしまいますよ」


 そう言う彼は二週間後に18歳になるのだが、その姿はせいぜい10歳児程度。『見た目は子ども、頭脳は大人』というやつだ。


 すると、ミシェルの一歩先を足取り軽く歩いていたクロエがぴたりと立ち止まる。

 惜しげなく朝陽を浴びる美しい銀髪が、小さな弟を振り返った。



「誰がなんと言おうと、ミシェルは今度18歳になる私の大切な弟。それを否定するなら警察だろうと容赦しないわ。――ミシェル、たとえあなた自身でもよ」



 底冷えするような声色に、燃え盛る金の瞳。さきほどまで陽気にはしゃいでいた彼女の姿はどこにもない。


 クロエはもう、とっくの昔に壊れてしまっているのだ。

 醒めない幻想を抱き、他者からの否定を極端に恐れる。ミシェルの存在こそが気高い彼女の唯一の弱点と言っても過言ではなかった。


 だから弟は、姉を尊重するほかない。


「僕、新しいサイバーサングラスが欲しいです。新作が発売されたばかりなんですよ」

「まぁ! それならお姉ちゃんに任せなさい!」

「いつも在庫切れで、公式サイトに入荷しても1分で売り切れてしまうんです」

「んなっ……だ、大丈夫よ、お姉ちゃんがんばるから……!」


 直前の冷え切った怒気は霧散し、途端に花が綻ぶように微笑むクロエ。

 彼女は愛する弟のため入荷戦争に対応すべく、通信ガジェットやPC端末を増備することを決意した。


 それから数時間後。



「ここからここまでの通信ガジェット、全部くださいな!」

「わ~、姉様、すご~い」



 開店直後の店で鼻息荒くセレブ買いを披露する極端なクロエ。そんな彼女を止める者は誰もいない。もはやミシェルでさえ棒読みである。


 店員に転売を疑われたのは言うまでもない。両手いっぱいの通信機器を抱えて店を出るまでに相当な時間がかかってしまった。

 当初予定していたブティックやコスメショップ巡りは延期になってしまったが、それでもクロエは満足だった。そしてクロエが嬉しそうなら、ミシェルも嬉しい。


「……それにしても、やっぱり右岸は慣れないわね」


 パリの住民事情を少しだけ説明すると、セーヌ川を挟んだ南北で住民の縄張り意識のようなものがある。用事がなければ一年に数回しか川を渡らないという人も珍しくない。

 同じ都市内だが川を挟めば住民層や思想も違うし、街の雰囲気も異なる。現に凱旋門やルーブル美術館、ノートルダム大聖堂などの観光名所が右岸に集中していることもあり、多国籍な人々が行き交う光景に圧倒される。


 それに「慣れない」とは、良い意味で目を惹く二人に向けられる熱い視線のことでもあるのだろう。

 ミシェルはそんな姉を安心させるために、得意げにこう言った。


「ミロのヴィーナスもかすむくらい美しいクロエ姉様にみんな夢中なんですよ。ああでも、下品な視線は看過できませんね。あそこの男、ちょっと目潰ししてきます」


 マジもマジな大真面目。一見常識人に見えるが、この姉にしてこの弟在り。

「私が魅力的すぎるのがいけないのよ、放っておきなさい」と言ってのけるクロエも大概だ。だが弟に褒め殺しにされてうっとりと頬を染める彼女が美しいのも、くつがえしようのない事実だった。


 並んで歩く銀髪姉弟の周りに、他者の介入が許されない二人だけの世界が広がる。


 共依存で成り立つまばゆい花園を踏み荒らすことなど誰にもできはしない――……



「やっぱりボクには才能がないんだぁあああああああああああああ!!!!」



 ……はずなのだが。



 道沿いのアパルトマンの前を歩いていた二人の頭上に、特大の自虐が響いた。


 思わず足を止め、晴れ渡った午後の空を見上げる。

 そこには屋上ギリギリに立つ青年と、彼の背後に浮遊するがいた。



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