第13話
「ちょっ・・ちょっと待って!私が悪かった!いくらでも謝るから早まらないでくれ!」
新婦が新郎を待っている寝室のドアを開けた私の後悔は、もはや最高地点にまで到達していた。
お粗末な結婚式を強行された新婦であるピアは、ナイフを片手にベッドサイドに座っている。自分の境遇に嫌気がさして、生きているのも嫌になってしまったのか。
「え?早まるって何ですか?」
ピアは指先で小型のナイフをくるくる回すと、金色の瞳を私に向けて言い出した。
「よく分からないんですけど、新婦って夜になってベッドで寝ていると、シーツが血で汚れたりするんですよね?これがないと、周りに怒られるとマリーから借りた恋愛小説に書いてあったような気がするので、一応、血で汚せるようにナイフを用意しておいたんですけど」
ここで崩れ落ちなかった自分を褒めてやりたい。
私は彼女からナイフを取り上げると、引き寄せるようにして抱き締めた。
「新婦は確かにベッドを血で汚すけど、ナイフで傷つけて汚すわけじゃないんだよ」
「じゃあ、月に一度のあれで汚すんですか?日にちが合っていないので汚しようがないんですけども」
「あああー〜―」
どうやらアルジェントロ家ではそういった教育は一切やっていないらしい。
普通は母親が娘に対してするものだから、毒婦オルネラ相手じゃ無理だろう。
「君さ、兄の代わりに領地でも働いていたわけでしょう?男に囲まれていたら、そういった性的知識とか増えそうなものなんだけどなぁ」
「うーーん、従兄のラウロが私の側近というか、副官を勤めていてくれていて、我が家としては私を孤立させる事に意義を見出しているようなところがあったので、ラウロの配慮が凄かったんですよね〜。だから、あんまり他人と話した事がないんですよ」
「従兄のラウロは君を守ろうとしていたんじゃないの?」
「いや、それはないでしょう」
「嫌に断言するね」
「だって、基本的に守られた事ってないですもん、嫌がらせなら色々とありましたけど」
「どんな嫌がらせを受けていたわけ?」
「それは色々なんですけど、一番最近は、私が兄の代わりに出仕をするって事になった時に、母が狂ったようにハサミで私の髪の毛を切り出したんですよね。女性の髪なんですよ!みたいな事を言ってラウロは母を止めるんですけど、だいぶ、切った後だったんで、親切な床屋のおばちゃんに切ってもらうまでは酷い有様でした。タイミングを計ったんでしょうけど、嫌がらせとしては高度の部類に入るんじゃないでしょうか」
奴の事は少し不憫に思っていたのだが、クソほどどうでも良くなってきたな。
「ピアは髪の毛が元々長かったわけ?」
「腰までの長さがあったんです。私たちは良く似た双子だったんで、髪の長さだけが見分けるポイントみたいな感じでした。ザンバラに切られた後でラウロが止めに入った時には、本当にこいつはと思ったものです」
あいつ、殺しても良かったな。
「あの・・なんで頭を撫でるんですか?」
「うん?撫でたいからだけど」
「何で抱きしめるんですか?」
「抱き締めたいからだけど、嫌だった?」
「嫌じゃないですけど・・・」
ピアは顔を赤らめると呟くように言った。
「人に撫でられたことも、抱き締められた事もないから、恥ずかしいんです」
金色の瞳を伏せて言った彼女の言葉に、私の理性は何処かの世界にすっ飛んで消えて行ってしまったのだった。
本当のところ、婚約者が出来ないようにと母からの妨害行為が続けられていくうちに、結婚などする事は生涯ないのだろうなと達観しているところがあったわけだ。
他国の王女なら母の妨害を阻止する事も出来るだろうが、王宮に入れば、そこは王妃である母のテリトリーである。無事に済むとは到底思えない。そして、もしも精神を病むような結果となれば、国際問題にも発展する恐れがある。
だったら結婚など必要ない。そう思っていた私の前に現れたのがピアだった。
ネズミ型魔獣であるウーリー八千匹を抹殺できるほどの魔力を持った女、ほぼ土龍に進化を遂げているサラマンダーを一人で殺す力を持った女。
この女だったら、隣に置いておいたとしても死なずに済むかも知れない。
すぐに話しかけたくなった私は、主級サラマンダーを無造作に切断して怒られたけれど、あの時、すでに、彼女の魅力に取りこまれていたのかも知れない。
「水・・」
「ピア、こっち向いて」
口移しで水を飲ませると、ぐったりとした様子でピアは枕に頭を沈み込ませた。その体を引き寄せて抱きしめると、今まで疑問に思っていた事を問いかける。
「使用人はそっぽを向き、母親は君の兄だけを溺愛した。それじゃあ、誰が君の面倒を見てくれたの?」
「・・・・」
「君のお父さんが君を庇護したのだろうか?」
「まさか・・・」
クスクス笑うと、ピアは私の胸に自分の額を押し付けてきた。
「私の父は、常に私に対して無関心でした。世間体を気にして声をかけてくる事はありましたが、大事なことは従兄のラウロに言っているようで、私はいつも蚊帳の外だったんです。そのラウロの母が私の乳母をしてくれたので、何とか成長出来たんだとは思いますけど」
「それじゃあ、君はラウロの家に預けられていたのかな?」
「いいえ、一時期までは遊びに行って、ご飯を食べさせてもらう事もあったんですけど、もう来ないでと言われた事があって・・・」
ピアは何かを思い出すようにしながら言葉を続ける。
「確かあの時、ラウロが追いかけてきて私に焼き菓子をくれたんです。ああ、これが噂の手切金、お金じゃないから手切菓子なのだなと思って、もう行っちゃだめなのだと・・それで私は、そのお菓子を持って森に行ったんです。森って誰もいないから、私を咎める人も、嘲笑う人も、暴力を振るう人もいない。兄や母は森を嫌っていたから丁度よかったんですよね」
「アルジェントロの森には魔物が出るだろうに」
「私には土魔法があるから大丈夫です。それに、私は一人でも大丈夫だから、森は私の遊び場でもあったんです」
「私は図書室が遊び場だったな」
私も昔から一人だった、母の癇癪を恐れて誰も近付きたがらなかったから。
「お互い一人だったが、今は二人だ」
彼女に覆い被さりながら、
「私たち二人が居れば、大概は何とかなるだろう?」
と問いかけると、
「魔獣だったら長龍種まではいけそうですよね?」
と、答えたので、噛み付くようなキスをした。
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