第2話

 私たちが住むマスタンドレア王国では、貴族の嫡男、次期後継者となる者は、王都に出仕をする事を義務付けられている。その期間は二年と決められており、成人後、五年以内に出仕をしないと、領地を引き継ぐ資格を剥奪されることになってしまう。


 文官または武官での出仕となり、中央で働く事によって後継者の適性を見ると共に、政治の中枢からのスカウトの場というような意味合いもあるらしい。


 荒事には向かない兄は文官での出仕を希望している。辺境の地、アルジェントロで文官を希望するのはどうやら初めての事らしい。

「武官じゃなくて文官なんですか?」

という問い合わせが何度も父のところへ来たそうなのだが、兄が武官なんかするわけがない。


 そもそも、遊び目的で王都へ向かう予定でいるので、仕事なんか適当にやれば良いと考えているのは見え見えだ。


「ルカが二年も居なくなるなんて信じられないわ!寂しくてお母様病気になってしまうかもしれない!」


 黄金の髪を見事に結い上げた母が涙を流しながら兄を抱きしめるのは、ここ最近では毎日の事で、

「お前が代わりに行けば良いものを!この化け物!」

と言って、食事の場で母がコップの水を私に浴びせるのも毎日のこと。


 我が家では食事は家族揃ってとる事になっているのだけれど、誰も文句を言うことはなく、私が水浸しのまま食事をとるのもいつもの事だった。


「ああ〜!よかった!お母様が水をかけてくれたお陰で、ピアの獣臭さが少し和らいだようだよ」

ルカの言葉に母は満面の笑みを浮かべると、はしゃいだ声で自分付きの侍女に命令をした。


「だったら、もっと水をかけてやりなさい!」

 ピッチャーの水を頭からかけられるのもまたいつものこと。

 掃除をするのは下級メイドの仕事だからと、遠慮というものがまるでない。


「ごちそうさまでした」


 ずぶ濡れのまま立ち上がり、食堂を出る際にも父は一言も言葉を漏らすことはなかった。


 母は双子を出産したわけだけれど、最初に兄であるルカが生まれた時には満面の笑みを浮かべ、妹である私が生まれた時には、たまぎるような悲鳴をあげたという。


 今は亡き祖母はアルジェントロの令嬢であり、祖父は入婿という事になる。

 父が母と結婚する際には、祖母が大反対したというのは有名な話で、以降、母と祖母はボツ交渉となっていたらしい。


 父に溺愛された母は祖母と交流する事なく日々を過ごす事となったのだが、生まれた娘が大嫌いな祖母にあまりに似て見えた為に、拒絶反応が出たらしい。


 兄も私も同系色ではあるのだけれど、男の子である兄は祖母と同系統の括りには入らないらしい。そんな理由から、生まれた時から兄は母から溺愛され、妹である私は嫌悪され続けた。女主人である母がそんな対応を取る事もあって、私は生まれた時から使用人にすら見向きもされていない。


 赤ちゃんの時からそんな対応で、ここまで私が成長できたのは、従兄のラウロの母が私の乳母をしてくれたからだろう。


 水浸しのまま屋敷の中を歩いては使用人の怒りを買うことになる為、テラスから外に回って一階の端にある自分の部屋へと移動しようと歩いていると、

「また水をかけられたのか?」

ラウロが呆れた声をかけてくる。

「ほら、タオル」

「すまんな」

 タオルを持って歩いているなんてラウロは準備が良すぎるというものだ。


 紫紺の髪を後ろひとつに縛ったラウロは背も高く、無駄な筋肉など一つもないと言えるほど引き締まった体つきをしている。端正な顔立ちをしていることもあって、女たちからの人気も高い。

 それに、彼には仲の良い幼馴染の女性が居るので、


「ラウロ様〜!ジョアンさんが呼んでいましたよ〜!」


私が仕事以外でラウロと話していると、必ず跳んで弾けるような可愛らしい声がかけられる。


「明日の作戦の相談をしたいと言っていました!早く行ってあげてください!」 

 

ハニーブラウンの髪の毛を緩く巻いて編み込みにした、可愛らしいメイドはラウロの腕に自分の腕を絡ませてにこりと笑うと、そこでようやっと私に気がついた様子で、

「あらっ!こんなところでずぶ濡れでどうしたんですかぁ?」

と、声をかけてくる。


 彼女はミリアムと言って男爵の娘なのだけれど、ラウロの近くに居たいからという理由で我が家でメイドとして働いている。

 主筋の娘の私よりも彼女が偉そうな態度を取っているのは、ひとえに、ミリアムが母のお気に入りとなっているからだ。


「タオルありがとうな」


 礼だけ言って、さっさと自分の部屋へと戻る。

 ミリアムは危険だ。

 同じ空間で息を吸っていただけで、私がミリアムを虐めたというエピソードが五個も十個も発生するという、あまりにも特異な存在のため、極力近寄らないようにしている。


「はーーーーーっ」


 兄が王都に行くのは別に良いけれど、この邸宅から兄が居なくなったら母の憎悪がより一層私に向く事になり魔獣討伐どころの騒ぎではなくなるため、昔、祖母が使っていたという別荘を私が使う予定になっている。


 祖母の別荘を使って良いのなら、今からでも使いたい所ではあるのだが、それは駄目だと父は言う。何でも世間体が悪いのだと・・今更のような気がするんだけどな。


「早く兄上が王都に行ってくれないかなぁ・・・」


 ベッドに座ったときに、自分の衣服が乾いている事に気がついた。


「そういえばラウロは風魔法の使い手か」


 だったらタオルなんか渡さないで、さっさと乾かしてくれればいいのにといつも思う。これも新手の嫌がらせだろうか。


「ああ・・明日は・・パパガイオの討伐だったか」


 パパガイオとは人語を真似する鳥型の魔獣で、肉食ゆえに子供がよく攫われて食われてしまうのだ。近隣に目撃されるようになったため討伐依頼が出ていたのだが、鳥型魔獣を土魔法で捕まえるのは至難の技だ、おそらく今日以上に魔力を使う事になるだろう。


「もう・・寝よう」


 寝なければ魔力は戻らない。

 魔力回復薬は高すぎて、とてもじゃないが、購入してもらえない代物なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る