第1話 見上げて、出会い、握り締める⑥


「あ、あはっははははっはははっははははっはははっははっは!!」


 哄笑、狂笑、そういった言葉が当てはまるであろう、けたたましい笑い声が響いてきた。

 その元へと視線を送ると、少し離れた、幾つかある破壊痕の傍で、男が一人、両手を広げ、まさに今笑い続けていた。


 みすぼらしい、という表現は好ましくないと思いながらも内人は男の事をそうとしか形容できなかった。

 ボロボロで薄汚れた黒いコートを羽織り、野放図に伸ばした黒髪、薄汚れた肌……十数年ずっと放置されていたかのような姿。

 血走った男の視線、視界は、この公園全体、そして遠くのビルに映されている映像に注がれているようだった。

 

 映像はガルベイグの事や、それを守る存在についてのドキュメンタリーを流しているようだった。

 星海未市に来るにあたって見るようにと指導されていた番組が、ガルベイグ発生の緊急速報やアストラの告知などの合間合間に放送されているのだろう。

 

 それを目の当たりにして、男は叫んだ。狂っているように。悲しんでいるように。


「こんな街に、こんな世界になり果てたか……! 狂っている……!! 世界全部狂っている……!!

 なんでこんな世界を守ろうなぞ……バカが! 馬鹿共が!! あははははっ!!

 こんな世界など滅べ!! 滅びてしまえ! あははっはははっはははっはは!!!!!」


 ここは公園としてもちょっとした観光地としても訪れる人は少なくない。

 さらに言えば夕方前の時間帯なので、買い物帰りの人々や遊んでいる子供もそれなりにいる。

 彼らは一般的に見ればどう見ても異常な男の様子、笑いに、僅かに視線を向けて何事かを確認した後は、皆一様にそそくさと立ち去って行った。


 だが、男はそんな周囲など気にした様子もなく、笑い泣き続け、やがて疲れたのか、その場に座り込んだ。

 そうして深く息を吐く男に。


「……お、落ち着きましたか?」


 頃合いを見て、霞内人かすみないとは声を掛けた。

 あの笑いを見た場合、去る方のが当たり前だと、内人は分かっていた。

 彼自身恐怖を感じなかったと言ったら嘘になるだろう。


 だけれども。

 それ以上に、内人は悲しそうに見えてしまったのだ。

 

 内人は知っている。

 どうしようもなく悲しさが頂点になると、むしろ笑う他ない時がある事を。

 彼もまたそんな感情に苛まれている……そう思うと声を掛けずにはいられなかった。

 ――かつて、何度も何度もそんな思いに支配された事があったから尚更に。


 あるいは、少し前に命を懸けて子犬を助ける少女の姿を見て、感化されてしまったのかもしれない。


 そうして声を掛けると、男は内人へとゆっくりと顔を向け、視線を向けた。

 顔の大半を隠す前髪の奥から見える血走った眼は、痩せこけた顔は、一見狂気を孕んでいるようにも見えた。

 だが、表情そのものは、そんな印象とは裏腹の、キョトンとした様子のように内人には感じられた。


「あ、あの、事情はよく分かりませんし、出来る事は少ないですけど、お手伝いできることがあったらしますんで。

 えと、喉とか乾いてませんか? 

 あれだけ大声を出した後だと喉も辛そう……」

「――ぷっ、あははは」


 なおも言葉を掛ける内人に、男は小さく笑った。今度はごく普通に、穏やかに。


「……君は、良いヒトだな。ああ、実に良いヒトだ……なら、折角だ。手伝いではなく意見が欲しい。いいかな?」


 そう問い掛ける男には先程までの狂気は感じられず、むしろ真逆の理性的な風情を漂わせていた。


「僕の意見で良ければ」

「ああ。偶然に出会った、正確に言えば君の善性による出会いこそ、この場合価値がある。

 では問うが……君は、この世界は狂っていると思うか?」

「……う、うーん、どちらかというと、狂ってる方じゃないかと」


 さっきも男が叫んでいた事なので突然ではないが、どこかぶっとんだ質問に戸惑いながらも内人は答えた。


「どうしてそう思う?」

「な、なんとなくですね。ガルベイグとかいますし」


 実際には内人はもう少し思考していた。


 主にガルベイグの存在が大きいが、決してそれだけで狂っているとは言えない。

 戦争、紛争、政治、パワハラ、いじめ、差別……正しい事が誰かの涙が押し潰されて、間違った事が苦しい事がまかり通って、いなくなるべき存在がいなくならない世界。


 狂っているというのは言い過ぎかもしれないが、狂っていないとは決して言えない。少なくとも内人はそう思う。

 ゆえに、狂っている、そう言っていいんじゃないだろうか。

 そう考える自分自身も含めて、だ。


 ただそこまで説明するのは正直難しかったので簡易的な解答となった。

 だが。


「……なるほど」


 静かな男の声音は、そんな内人の考えすら見抜いたかのように彼には聞こえた。


「ふむ。では、君にとっても狂っているこの世界は、続けるべき価値があると思うか?」

「それは、あります」

「ほう、即答したね。何故かな」

「僕自身、個人だけ、単体だけなら、いつ滅びてもいいと思います。

 でも世界中の大半の人は、滅んでほしいなんて思ってないはずです。

 それで十二分に続ける価値はあると思います。

 そして何より」

「何より?」

「僕の推している、応援している人が、生き続けたいと言ってますから。世界を守りたいと言ってますから。

 その人が生きている限り、世界に滅びてもらったら困ります」

 

 そう答えると、男は俯き、肩を震わせた。  

 ふざけた回答に聴こえた、怒らせたのだろうかと内人は内心身構える。

 だが、それは杞憂であった。


「はははははははは! そうか、推しが生きているからか! なるほどなるほど!!」


 幾度も聴いた中で、一際楽しそうな、ごく普通な、笑い声を上げたからである。

 だがそうなると、内人としては逆に馬鹿にされているのではと(自分ではなく推しが)思えてしまい、つい憮然としてしまう。


「あ、いや、すまない、君を、ましてや君の推しを笑った訳ではないんだ。

 勘違いさせたようで申し訳ない。

 実に……ああ、そう実に、納得できる理由だったからな。嬉しかった、のかもしれない。

 そして……」


 そこで、男は笑いの質を変えた。最初に感じた、あの狂気を含めた上で、笑って見せた。


「どうやら、君もそれなりに狂っているようだ」

「……まぁ、いないとは、断言できない気がします。そこまで大層じゃないと思いますが」

「うむ。そこで全否定しないのは私的には合格点だ。

 ――だから、気に入った君にこれをあげよう」


 そう言って男はコートの中から『ソレ』を取り出し、内人へと差し出した。

 強引に、かつ強めに押し付けてくるので内人は戸惑いながらも、それを受け取る事しかできなかった。


 後で返せばいいかと思いながら観察する……光莉達の活躍を応援している中で、内人は『ソレ』をよく見知っていた。


「これは、スターダスター……?!」


 ステラスターシステム搭載ナックルダスター、通称スターダスター。  

 ナックルダスター型の、光莉達がステラマクスに綴身する為の『装置』。

 機構を再現、光莉達のボイス音声入りで販売しているレプリカ玩具かと一瞬思ったが、幾つかのそうとは思えない要素があった。


 大きく目につくのはやはり色。

 光莉達が使用するスターダスターは白く染め上げられているが、ここにあるものは真逆の黒。

 赤いラインが入っているのは、ガルベイグを彷彿とさせた。


 そしてしっかりと観察すると見えてくるのは使用感である。

 彼女達のグッズの一つとして販売された玩具のダスターは約半年前に発売されたのだが、このダスターについた傷や色褪せ、摩耗の具合は半年やそこらのものではなかった。  

 数年、もしかしたら十数年使用したような、そんな印象を受けた。


「スターダスターか、スターなのか星屑スターダストなのか分からない名称だな……一般にはそんな名付けになっていたのか」

「……元々は違うって事ですか?」

「ああ、最初はイデアシステムダスターだったよ。

 あと属性の違いによる差異があった」

「属性……?」

「これは、アストラ、だったか。彼女らが使うものとは違う。

 むしろ正反対の代物だ。

 君は、というか世間一般は、ダスターがどういう基準で起動するのか知っているのかな?」

「使用者の精神力や使用者やその周囲の存在の、プラスの方向の感情で使用できるようになるって事は一般公表されてます。

 プラスの方向の精神力、感情レベルの合計値が一定値にならないと起動しないとか」


 プラスの方向、すなわち嬉しい、楽しい、守りたい、愛したい、誰かの為に戦いたい、そういった気持ちこそがダスターを起動し、出力を上げる原動力になるのだという。

 星海未市の都市計画やこの街で暮らすうえで必須のアプリ・エールシステムなど多数の事柄が、それと関係・連動する形になっているのは、ガルベイグを倒すアストラ達の力を最大限引き出す為である、というのはこの街に住む人々にとっては周知の事実である。


「概ねはそのとおりだ。

 その逆、補完するシステムであるこのダスターは、マイナスの方向性で起動・出力する。

 想像はつくだろうが、憎悪、悲しみ、僻み、嫉み、怒り……そういったものでだ。

 起動の方法やそうしたらどうなるか、おそらく君はよく知っているだろうから説明はいるまい」

「……これを僕にどうしろと?」

「正直に言えば、君にこれを起動できるとは思わない。

 君も素質はあるとは思うが、これの起動の条件やレベルは相当に高く設定してあるからな。

 私は抜け道を使って使用していたが……まぁともかく。

 これをどうするかは君に任せる。

 譲ったり売り払ったり、この街の然るべき所に拾ったと提出するのもいいだろう。

 ……私は、正直もうこれを使用してどうこうだのを考えたくなくなったんだ。

 このどうしようもなく詰みの状態に陥った世界の為に戦う気なんか、失せてしまった。

 あの子さえ……いや、もうどうしようもないことだ」


 吐き捨てるように呟く男の顔は、歪み疲れ切っていた。

 少なくとも彼にとって、この世界は最早戦うに値しない、あるいは取り返しがつかない状態になっているのだろう。

 そう納得できる程の感情を、内人は男の表情から感じ取っていた。


「だから、せめて、こんな怪しい男にさえ親切にしてくれた君が、何かしらの有効活用をしてくれればいいさ。

 その結果どうなったとしても、君が気に病む必要はない。

 どうせ世界は終わっている……ああ、君は終わらせたくないんだったな。

 なら、せめて君と、君の推しが有意義な終わりを迎える事をささやかに願おう」

「いや、そんなこと……」


 言われても困る、そう言おうとした瞬間、フッと男がいなくなった。

 影に呑み込まれたかのように、あっという間に沈んで消えていったのだ。

 

「……これ、どうすればいいんだろ」


 後には、黒いダスターを抱えて途方に暮れる内人が残されるだけであった。

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