第1話 見上げて、出会い、握り締める③


「ガルベイグ……!」


 多鹿悠たしかはるかがハッと顔を上げながら口にした存在の、この世界への具現化。

 ラッシュの時間帯からずれていた為、ピークではないだろうが、駅前なので人通りはそれなりにあった。

 そんな見渡せる範囲の人々は、サイレンを聴くやいなや機敏だった。

 歩いていた人は即座に近くのビルの中へと走る事無く早歩きで入っていき、車を運転していた人々も混乱なく停車の後、車から降りて同様に避難していく。


「僕達も落ち着いて避難しよう」


 霞内人かすみないとは、この街に来る前にしっかりと講習動画で確認していた。

 ガルベイグの基本的な出現、具現化、消滅までの各時間や避難の際の注意点などなど、なにせ命に関わる事なのだ。冗談や比喩じゃなく。

 そんな危機なので、しっかり悠に呼び掛ける。


 彼女は暫しあらぬ方向を見据えていたが、どこか苦渋の籠った表情で頷いた。


「うん、そう、だね」


 彼女があまりにも真剣な表情だったから、もしかしたら漫画やアニメのキャラクターの主人公のように、皆の避難が出来るまで戦う、ような事を言い出すんじゃないかと懸念していたので、内人は内心安堵の息を零し、言った。


「出現までには時間が多少あるらしいから、慌てないで移動すれば十分に隔壁閉鎖には間に合う……」


 そのはず、だったのだが。


「え?」


 それが誰の挙げた声だったのか、あるいは自分の声だったのか、内人には分からなかった。

 というか、そんな事を考えている暇はなくなった。


 何故ならば、誰もが想定していたはずの具現化の時間が大幅に短縮され……今ここに、降り立っていたからだ。

 

 三十年ほど前からこの世界に現れるようになった、異なる次元から落とされ、この世界を荒らす『災害』。


 高異次元災害こと異害、ガルベイグ。


 彼らが、駅前のあちらこちらに数体程現れていた。


 いつもならば、様々な『知らせ』があるため、それは突然ではあるが対応できないほどではなかった。

 異次元からの侵入を感知して知らせる『サイレン』もそうだし、彼が現れる場所の頭上……地上からそこそこの高度に生まれる空間の波紋と穴、そこから零れ落ちる黒い粉もそうだ。

 そういった予兆の後、黒い粉がある程度溜まり増殖して形作られ、彼らは、この世界での活動の身体を手に入れる。


 多少前後する事はあるが、それがなされるのは大体10分程度。

 突然目の前に兆候が表れ出すような事があってもも、十二分に避難には間に合う、それが常識だった。


 だが、いったいどういう訳なのか、今回はその常識が覆っていた。


 時間にすれば一分程度で実体の形成がほぼ完成しようとしていたのだ。

 降り固まっていく黒い粉の速度が、誰の認識する『いつも』より遥かに早い。


 これにはガルベイグの出現になれた街の住民達も驚いたようで、いつもよりも慌てふためいて建物へと入っていく。

 それでも悲鳴を上げたりするものは僅かな辺り流石というよりほかない、と内人は思った。

 少なくとも、内心焦りまくりビビりまくりの自分よりは、と。


「ぼ、僕達も早く避難を……」


 懸命に冷静であろうとしながら悠に、先程知り合ったばかりの少女に呼び掛けた時だった。


「……!! いけない!」

「えっ!?」

「霞君は先に避難してて! あーしもすぐ行くから!!」


 彼女は半ば叫ぶように言葉を発すると、アスファルトの歩道を蹴って、駆け出した。

 それと同時に……遂に、ガルベイグが生まれ落ちていく。


 見ただけで嫌悪感と恐怖、様々な負の感情を沸き立たせる、人よりも一回り大きな、黒い、人型の獣。

 巨躯に獣型の頭を頂き、黒い光で形成された身体……その所々に赤い文様、ラインで彩られた鎧を纏っているそれ、

 否、この周辺に十数体程降り立ったそれらは、

 電子音のようなそれでいて狂気じみた人の叫びのような、咆哮を上げた。

 

 ビリビリと世界が震える……少なくとも内人はそう思った。

 その存在について内人は事前に調べていたし、それこそニュースや動画で山のように見て、感じてきた。

 だが、実際に見て改めてハッキリと理解した。


 この存在は、いてはならない。

 今自分達がいる世界にはいるべきでない異物、分かっていたつもりのその事実を明確に理解した。


 そして、彼らは内人の感覚を肯定するかのように、破壊行動を開始する。

 それが彼らにとっての生まれ落ちた証明のように、いつも通りに。


 ガルベイグはその実体を形成すると基本的に暴れ回るのだ。

 今現在ここに現れたガルベイグは全て同じ形状……若干体格の太っている痩せている、背の高低などの細やかな違いこそあるが、大まかは変わらない……をしているのだが、行動もまた然り。


 今回も咆哮と共に、口から熱線を吐き散らし、丸太のような手足で辺りの車や自販機、建築物を殴り壊す。


 不幸中の幸いと言うべきか、周辺の人々の殆どは屋内へと避難を終えていた。

 そして、それに伴い、駅前の至る所に地下から小型の電信柱のような形状の障壁発生装置が飛び出し、そこから発生した白く半透明な光の壁が建築物の出入り口付近を覆いつくす。


 それに対してもガルベイグは攻撃を繰り出すが、それらは虚しく弾かれた。

 対ガルベイグ用の防御光壁は、一般的なガルベイグの攻撃を凌ぐ事が出来る……ある程度は。


 そう、ある程度。

 光壁は絶対的なものではなく、攻撃を蓄積されてしまえば砕け散ってしまう耐久性であり、発生装置そのものを攻撃されてしまえば、光壁自体が消えてしまう。


 それに気付いているのか重点的に光壁攻略に集中するガルベイグもいれば、

 我関せずと、光壁に覆われきれない道路や建築物への破壊を続けるガルベイグ、

 光壁の向こう、駅の中や建物の中に逃げ込んだ人々へと……それを守る光壁へと……突進し続けるガルベイグや、

 何を思うのか、それらを眺めて楽しむように手を叩くガルベイグもいた。


 ガルベイグに共通しているのは、破壊行動ではなく、それに伴う快楽なのではないかという論文もあったが、今の所正解かどうかを確認する術はない。


 研究しようにも、実体化したガルベイグは、無限にこの世界にいられるわけではないからだ。

 活動限界が存在しており、それを迎えると、初めから何もなかったかのように霧散する。


 そう、ここで展開されている破壊行動もいずれは終わる。

 だが、それまでに光壁は耐えられるのか、破壊は収まるのか……答は否。


 ガルベイグの基本的な実体化の時間は約一時間。

 そしてガルベイグの攻撃能力は怖ろしく高い。


 普通の自動車位は単純な肉体能力で数秒でバラバラに出来るし、身体の各部から発射される熱線は人を一瞬で黒焦げに出来る。

 光壁が完備される以前は人的被害が出る事が少なくなく、最悪の事態の場合、数十人が無残な姿に殺され、侵され、塔のように高々と積み上げられる事もあった。


 それほどの能力を持つ破壊衝動の塊にに一時間与えればどうなるか……想像は容易であろう。


 このままでは、ガルベイグの牙は、破壊の熱線は、暴力の嵐は、屋内、光壁の中で震える人々を傷つけ、砕き、失わせる。


 そんな破壊の吹き荒れる中。


「よっとぉ!」


 一人の少女が……悠が走り抜ける。

 間近で起こる爆発にも、自身へと振るわれる巨腕にも恐れず躊躇わず回避しながら。

 その動きは踊っているかのように軽やかで、屋内に避難していた人々の一部はそれを見て感嘆の声を上げる。


 そうして彼女が辿り着いた先は、ガルベイグの一体から逃げ惑う……一匹の子犬。


 ガルベイグの巨腕が地面ごと子犬を押し潰さんとした直前、悠はヘッドダイビング気味に子犬を掬い上げた。

 直後、地面を一回転程転がってから即座に起き上がり、バックジャンプ、着地して跪く形で体勢を整える。


「大丈夫だからね。なんとか逃げ切ってみせるから」


 胸に抱えた子犬に笑いかける。

 今の自分にガルベイグをどうにかできない事を、悠は理解していた。


 ガルベイグは、基本的に物理的な排除、打倒を行う事が限りなく難しい。

 殴ったり撃ったりの効果が絶望的なまでに薄い……効き辛いのだ。

 軍が使うようなバズーカやグレネードを積み重ねれば、実体化の時間を多少減らせる程度でしかない。


 ――ただ、例外はある。

 ガルベイグに対しての明確な対抗手段は存在している。

 問題は、今の自分がそれを持っていない、持つためにここにきている段階でしかない、という事だ。


 であれば、ただ逃げ続けるか、どこかに隠れるか、しか時間を稼ぐ方法はないわけだが……。


 そんな思案の間にも、子犬を潰し損ねたガルベイグが改めて意識をこちらに向けた、瞬間だった。


「うぉぉぉぉっ!」


 そんな叫びが聞こえると共に、白い煙がガルベイグに吹きかけられていく。

 その元である、屋外に設置されていたのだろう消火器を持つのは、内人だった。


「どっせいっ!!」


 さらに、いきなり視界が遮られた事に驚いて自身の周辺に手を振り回すガルベイグへと、砲丸投げの要領で振り回した消火器を投げつけた。

 

 運良く、ちょうど体勢が悪かった所に重なったらしく、消火器を頭に直撃され、バランスを失ったガルベイグは地面に倒れ込む。


 その隙に悠へと駆け寄った内人は、彼女を背後に庇いつつ叫んだ。


「今の内に、逃げよう!」


 間近で見ていた悠には分かった。

 そうして自分を守ろうとする内人の手足が震えに震えていた事。

 駆け寄る最中、恐怖ゆえか涙すら浮かべていた事を。


 当たり前だ。

 人の常識を超えた能力を持ち、破壊衝動に突き動かされるガルベイグに襲い掛かられたら、人間はひとたまりもない。

 怖いのが当然で、だからこそ誰もが的確に避難する。この街に住む人々なら尚更に当然の事だ。

 子犬を助ける為にとは言え、そんな当たり前から外れた自分を気に掛ける方が間違っている。

 だから先に避難してと言ったのだ。

 

 だが、それでも……彼は助けに来てくれたのだ。

 自分を心配してか、自身同様に子犬を見捨てられなかったのか、あるいはその両方か。


 いずれにしても、そうしてくれた事へのたくさんの感謝を伝えたくはあった。

 だが、今すべき事はそれでない事を悠は分かっていた。

 だから、内人に肯定の言葉を送りながら、彼共々に子犬を抱えて逃げる……つもりだった。


 それよりも早く、起き上がったガルベイグが人外の速度で距離を詰め、

 凶悪な形に鋭く尖った右手の爪を内人に突き立てんとしていた事を認識するまでは。


 刹那、悠の脳裏に様々な試行錯誤が思い浮かぶ……が、最早そのどれも実行する事は間に合わない。


 それでもどうにかしようと、内人に手を伸ばすが、それよりもガルベイグの爪が内人の眼前に迫る方が速かった。


 内人もまた、何もできなかった。

 気付いた時には眼前にガルベイグの爪があったのだ。

 対処も何もない。後はただ目を、顔を、頭を破壊されて、死ぬだけ。


 それが霞内人の人生の終わりだった。


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