第8話 あんたって、私の事、覚えていないの?
「あんたって。もう少し、どうにかできないの?」
「……」
「だから、この時は、こういう風にしてほしいんだけど」
「……」
「なに? その顔?」
「……ちょっとさ、注文が多いような気がして」
「あんた、私の下着とか見たくせに。何、その態度」
「ごめん……その件については、本当に申し訳ないと思ってる」
「じゃあ、私の意見に従ってもいいじゃない」
右隣の席に座っている黒髪少女は、頬を赤く染めている。
パンツを見られたことが、最大の羞恥心を掻き立てているのだろう。
でも、仕方ないのだろうと思い、しぶしぶと、彼女の意見に従うことにした。
「ねえ、あんたさ。次は、コップで飲み物を飲むシーンをやってほしいんだけど」
「飲むだけ」
「ええ。そうよ。の、飲むだけよ。ほら、これ、コップね」
彼女は何も入っていないコップを渡してきた。
「ジュースとかは? 入っていない状態で、そういう風に演じるって感じなのか?」
「違うわ。あんたが、飲みたいものがあれば、注ぐけど。何か飲みたいものでもあるの?」
「お茶とかでいいよ」
「お茶ね、わかったわ」
黒髪少女は席から立ち上がり、室内にある冷蔵庫に向かう。
室内に冷蔵庫なんて、だいぶ、設備が整っている。
体育会系の部活なら、冷蔵庫があるのも頷けるのだが、さすがに文化系にはあまり必要な気がしない。
文化系なら、体育会系とは違い、いつでも教室から抜け出して、校舎内に設置された自販機のあるところまで行けるからだ。
「……」
それにしても、この教室には、色々なものがあるな。
彼女が所属している部は、空想部。いわゆる、小説や、シナリオを描く部活のようだ。
物語を各部だけあって、本棚は複数、存在している。
ザッと見ただけでも数百冊以上の小説があることが見て取れた。
現代風の小説から、昔の小説まで。
昔過ぎて、いつ頃の小説なのか、わからなかった。
本棚の他には、ホワイトボードがある。
そこには、今後のスケジュールという文字が書かれ、これからやるべきことが箇条書きで記されていた。
やっぱり、文化系らしく、コンテストに参加するのかと思う。
六月の頃に向けて、頑張っているようだ。
もしかしたら、今、黒髪少女からやらされている演技も、そのコンテスト用の小説に生かされるのかもしれない。
そうこう考えていると――
「あんたさ、何、私の部室をじろじろ見てんのよ」
「お、俺は別にそんなつもりじゃなくてさ。そ、それより、君はさ……どんな小説のジャンルを目指してるの?」
「それは……まあ、青春系的な?」
「青春?」
黒髪少女の外見的に、ホラーとか、ダークファンタジーとか、そういう話かと思い込んでいた。
見た目とは売って違い、意外と爽やか系である。
ん?
ふと思う。
そういえば、まだ彼女から名前とか聞いていなかったことに気づき、再び、彼女の方へ視線を移した。
「えっと……君の名前って、聞いてもいい?」
「――ッ⁉ 急に何?」
「いや、だって、名前を知らないと呼びづらいし」
「……まあ、それもそうね。私は、二年の水源小豆。あんたと同学年だから。あんたは、初命でしょ?」
「え?」
初命は体をビクつかせた。
「な、なんで俺の名前を?」
ストーカー?
というか、名前を知っていることは……。
黒髪少女の
色々な憶測が飛び交う。
「別に……私、あんたから名前を聞いていただけだし」
「聞いていただけ? どういうこと?」
怖くなり、初命は唾を呑んだ。
「私、あんたと入学当初、一緒に出会ってたじゃない」
「どこで?」
「高校の最初の頃に、部活決め習慣的のあったでしょ……その時に、たまたま一緒に出会って、成り行きで一日だけ行動を共にしていたでしょ。忘れたの?」
「……」
初命は考え込む。
一体、何の事だろと思い、試行錯誤していると。
とあることに気づく。
「……あ、そうか。いや、まさか、でも、入学当初、一緒に行動を共にしていたのは、君なの?」
「そうよ。私はその時、もっと髪が長かったし。眼鏡をかけていたから」
その当時、彼女は黒縁眼鏡的なものをかけていたのだ。
そもそも、高校一年生の時から、小豆とは別々のクラスだった。一日だけの、成り行き的な関わりだったがために、あまり覚えていなかったのである。
「ごめん、忘れていて。俺も悪かったよ」
初命は軽く頭を下げるのだった。
「まあ、いいわ。思い出してくれれば。それよ、コップに注いで来たら飲んで」
「わかった。飲むシーンだけでいいの?」
「ええ。それでいいわ」
初命は彼女からお茶の入ったコップを受け取り、一口ほど飲む。
先ほどコッペパンを食べ終えた直後であったために喉が渇いていたのだ。
丁度、喉が潤った感じである。
「あんたさ、その……全部飲まなくてもいいから」
「……ん? どうして?」
「いいから。少しだけ残して、テーブルに置いて」
「う、うん……」
どうしてかと、首を傾げた。
そんな時、彼女は初命の隣の席に座る。
そして、手にしていたメモ帳に、何かを箇条書きで記していた。
「何を書いてるの?」
「小説に関係することだから、覗かないでよ」
小豆から強く拒絶された。
それほど重要なメモなのだろう。
「あ、あとは……えっとね」
彼女の活舌が急激に悪くなった。
「他にもあるの?」
「そ、そ、そうよ。他にもいろいろあるけど、今ね、もう一つやってほしいことがあるの」
「何をすれば?」
「そ、それはね……き、き……」
「き? きって何?」
「き、き……そうよ、きから始まる言葉よ」
小豆は焦っているようだった。
頬を真っ赤に染め、早口になっている。
「まさか、ここで、しりとり?」
「そ、そうよ。しりとりをするシーンがあるの。私の小説ではね、主人公とヒロインが、学校の休み時間の合間に、しりとりをね」
「変わってるね」
「べ、別にいいでしょ……別に……」
黒髪少女はムッとした表情を浮かべると、何かを諦めたかのように溜息を吐いていた。
急に始まったしりとりシーンは、三分程度で終わった。
「今は、これくらいでいいわ。放課後も手伝ってよ」
「放課後? でも、今日は用事があるかもしれないし」
「あるかもしれないって、どういうこと?」
「ここでは言えないけど」
「……まあ、いいわ。じゃあ、また、何かあったら、メールするから。でも、今書いている小説が書き終わるまでは、手伝ってもらうから」
小豆は頬を真っ赤に染め、視線を逸らしながら言う。
そのあと、小豆から解放された初命は廊下に出、校舎の裏側に向かおうと思った。
部室のある校舎の廊下を歩いていると、背後から強い視線を感じる。
何かと思い、ふと振り返った。
が、そこには誰もいなかったのである。
一体、さっきの視線は……小豆?
それとも――
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