第二十七話 八年遅れの社交界デビュー8 逃げ出した夜会の帰り

 散々な夜会を後に馬車は帰路を走る。毒花は黙って窓の外を眺めていた。


「逃げ帰るようになってしまったじゃないか」


 狭い空間での重苦しい雰囲気に耐えきれず俺は口を開いた。


 モーガンが怒り心頭で出ていった事で、俺たちに対する批判のヒソヒソ話が大きくなり、居た堪れずに帰ることにした。屋敷を出る際ターナー子爵に声をかけられたが急いでいるからと慌てて立ち去ってしまったのだ。


 ほら懸念した通りだ。


 俺が毒花を連れてまともに社交の場を乗り切れるわけがない。クソジジイのせいで無駄に恥をかいた。


 何も言わずに黙ったままの毒花を睨みつける。

 なにがエスコート出来るようにリードをするだ。そもそも、きちんと振る舞えるなら『社交界の毒花』なんて不名誉な蔑称で呼ばれているわけがない。偉そうに振る舞う毒花を信じた俺が馬鹿だった。


 本当はこの婚約話を無いものにしたいが、クソジジイが裏で糸をひいている限り無理な話だ。爵位を餌に俺と毒花を結婚させて、自分はロザリンド夫人と懇意になり、なんだかんだ理由をつけて俺じゃないほかの相応しい誰かに侯爵の座を譲るのだろう。

 どうせ毒花と結婚しなくてはいけないのなら、一度鼻をあかして偉そうな態度を改めさせたい。


「ネリーネ嬢。俺の話を聞いているか?」


 俺が名を呼ぶと、さっきまで外を見ていた毒花の身体が驚いたように跳ねる。

 睨んでいる俺と一瞬目があったが慌てて目を逸らし顔を俯ける。後ろめたい気持ちくらいはあるらしい。

 デスティモナ邸の敷地に入り馬車の進みが緩やかになるのを感じながら、俺は険しい顔をして俯く毒花を睨み続けた。


 玄関まで着くと馬車まで迎えに来た使用人からハロルドが応接室で待っている事を告げられる。


「あら。何かしら」


 毒花は急に機嫌の良さそうな声をあげ、そそくさと使用人のエスコートで馬車を降りる。俺は慌てて毒花の後を追いかけた。

 毒花に続いて部屋に入るとハロルドがソファに座って待っていた。素人目にも寛いだ格好でも上質な品を身につけている事がわかる。さすが金持ちだ。


「夜会は楽しめたか?」

「えぇ。とても」


 文句を言おうとした矢先、俺が口を開くより早く即答した毒花に耳を疑う。

 何が楽しいもんか。見栄っ張りもいいところだ。

 俺があからさまに不機嫌な顔をしていたのだろう。ハロルドが俺を見て苦笑いを浮かべた。


「ネリーネに謝らなきゃいけない事があるから、機嫌のいいうちに謝っておこうかな」


 ハロルドはそう言って俺にソファを勧め、使用人にお茶を出すように指示をする。温かなお茶がすぐに給仕された。


「まぁ。お兄様がわたくしに謝らなきゃいけないこと? なんですの?」

「約束していた芝居に、一緒にいけなさそうでね」

「そんな! どうしてですの? 約束していましたのに」

「王宮での仕事がひと段落着いたからね、長く休みをいただけることになったんだ。だから子供たちを連れて、海辺の別荘に滞在しようかと計画をしているんだが……そうするとネリーネと芝居を観に行くのを約束した日をどうしようかと思ってね。チケットはすでに手配してしまったし」

「別荘への出発の日にちはずらせませんの?」

「ちょうど港のお祭りがあるらしくてね」

「約束は守っていただきたいところですけど、わたくしにだって可愛い姪っ子や甥っ子にお祭りをみせてあげたい気持ちもありますわ」

「だろう?」

「もぅ。わたくしが譲歩するのを期待してこんな話をするなんてズルいですわ」


 ……兄妹ゲンカなら俺のいないところでやってくれ。


 出されたお茶を飲みながら、やたらと楽しそうな二人をただただ眺める無駄な時間を過ごす。


「ってことで、ステファン。ネリーネを芝居に連れてってやってくれ」

「は?」

「よかったな。ネリーネ。ステファンが一緒に観てくれるって」


 そう言うとハロルドは俺の肩に手を置き目配せをした。

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