第十七話 職場にて5 噂は信じちゃいけないよ
同僚たちが主人不在の机にぞろぞろと集まり翻訳された法規集をめくりはじめたのをみて、俺も遅ればせながら人だかりに混じる。
見慣れた文字で書かれた法規集は当たり前だがスラスラと読める。なんて感慨深い。
ハロルドはモーガンと異なりきちんと文書係の職務を担っており、現在はイスファーン王国の法規集の翻訳に従事している。
国交の途絶えていたイスファーン王国と交易を行うにあたり、王宮内にイスファーン語を理解している官吏が限られていたため、各部署でイスファーン王国の法律を調べながら文書を作成することがままならず、仕事の滞留が甚しかった。
王太子殿下の陣頭指揮によりイスファーン語に明るい者を集めて作られたこの部署では、イスファーン王国から収受した文書の翻訳の他、各部署で作成された文書を集め俺たちが法規集を翻訳しながら法律上問題ないか確認しイスファーン語に清書するように業務を進めていた。
ハロルド達が法規集の翻訳を完了した事で、各部署で法に触れていないか確認ができ、俺たちは各部署で文書作成したものをイスファーン語に清書するだけで済む。
想像以上に法規集の翻訳が早く終わり負担が減る事にみんな喜びが溢れている。
「エリオット様もご協力いただきありがとうございます」
ハロルドはお坊っちゃんの手を取る。王太子殿下の側近として外交の仕事を担う予定だというだけあって、
「ステファンが婚約者のことばかり考えて仕事が手につかないみたいだから、早く完成してよかったよ。僕も協力した甲斐があったな」
しれっと蒸し返された昼間の話題に、心にゆとりができた同僚達は俺を興味津々に見つめている。すこぶる居心地が悪い。
「ステファンがそんなに夢中になっちゃうネリーネ嬢に会ってみたいなぁ。ねぇ、ハロルド。今度ネリーネ嬢をここに連れてきなよ」
「はぁ? 何を勝手な事!」
俺は声を上げたが、肩をすくめて何食わぬ顔をしている。
「だってほら、少し余裕が出てきたし、お茶菓子を持って女の子が来たらみんな士気が上がるでしょ」
周りを見渡すと毒花令嬢の噂を知る同僚達は噴き出すのを堪えていた。
「じゃあよろしくね、ハロルド! 絶対連れてきてね! お会いするの楽しみだなぁ」
白々しくそう言ってお坊っちゃんはハロルドを見送った。
ハロルドが去ったのを確認して俺はお坊っちゃんの目の前に立つ。狩猟が趣味の上流貴族様は細く見えても筋肉がついている。ガリガリの俺は少し怯んだが、なにも言わずにはいられない。
「エリオット様だってハロルドの妹の噂はご存じでしょうに! なんなら俺より歳だって近いんだから俺以上に噂の仔細はご存じなんじゃないですか! いいですかあの『社交界の毒花』ですよ? あんな女は我々の士気を下げることはできても、あげることなんてあり得ないんです」
「そりゃ噂は知ってるけど、僕はネリーネ嬢の一歳下だし直接交流した事がないからなぁ。それに噂なんてあてにならないよ。ねぇ。ステファンは『王太子殿下は見た目だけで無能なくせに性格が悪くて、自分の引き立て役にするために小太りの醜女でバカでお茶会でもまともに会話ができない役立たずの侯爵令嬢と婚約してる』なんて噂を間に受けてたから、僕の可愛い妹が噂の役立たずの侯爵令嬢だとは思わずに告白しちゃったでしょ。それで殿下に目をつけられたんだから噂をやすやすと信じちゃいけないって実感してるんじゃない?」
「ステファンは運命の出会いだと騒いでいただけで告白はしてないですよ。告白する前に叩き潰されてますから」
ニールスがぐうの音も出ない俺の代わりにそう言うと、ケインと二人で腹を抱えて笑い出した。
「ね? あの噂で真実なのは殿下の性格が悪いことだけだったじゃない」
「エリオット。お前は他人の事を言えるような性格か」
暢気に笑うお坊っちゃんの頭を呆れた顔をして小突くのは、貴族院の会合から戻ってきた我らが主人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます