第十六話 職場にて4 アイツに余計な事を言ったのはお前か!

「よう。ステファン。義弟になるんだって?」


 山積みの文書に片手で頬杖をつき目の前で嬉しそうに笑う金髪の男はハロルド・デスティモナ。ネリーネの兄だ。


「言いふらしてたのはお前か。聞きつけたモーガンが昼間に食堂まで来て大騒ぎされた。いい迷惑だ」

「言いふらしたなんて心外だな。誰これ構わず言ってまわったりしないさ。俺はステファンがネリーネの結婚相手になるならこれ以上のことはないと思ってるんだ」

「で?」

「だからモーガンに教えただけだよ。モーガンに教えるだけで騒ぎ出して周知の事実になるだろ?」


 しれっとのたまったかと思うと、作戦通りとでも言いたげに破顔する。ハロルドはデスティモナ伯爵家の嫡男だ。実家が貸金業を営んでいるからなのか貴族の息子というよりも商売人に近い。愛想が良くて口が軽くて調子が良くて、その癖抜け目がない。

 妹の結婚が伯爵家にとって莫大な利益になるわけだから婚約が反故されないように根回しということなのだろう。


「尚更悪い」


 俺は頬杖をついたままのハロルドをひとにらみして、文書に視線を落とした。


「そう照れるなよ。うちの可愛いネリーネに縁談を断られそうだったからって、俺のことをもっと知ってくれって懇願したんだろ? 俺はお前の協力者だ」

「はぁ⁈」


 俺の驚きと同時に同僚達のペンを走らせる音や資料を捲る音が乱れる。みんな仕事に集中をしているふりをして聞き耳をたてていたようだ。


「えー! なになに! ステファンってばそんな熱烈に懇願したの? すみにおけないなぁ! 詳しく教えてよ!」


 遠慮を知らない侯爵家のお坊っちゃんが興味津々でハロルドに大声で話しかける。嬉しそうなハロルドが俺の机を離れお坊っちゃまの方に向かっていく。


「エリオット様。ハロルドなんかと喋らないで仕事をしてください」

「やだなぁステファン。ほら僕の机を見て。もう今日受け取った分は翻訳し終えたよ。僕が翻訳してあげた書類の内容が法律に触れる様な契約になってないか確認するのがステファンの仕事でしょ。ステファンのところで滞留させると他の人の仕事に悪影響だよ。ほら僕らのことなんて気にせずにステファンは仕事しなよ」

「……ぐっ」


 暢気そうに見えて仕事のお出来になるお坊っちゃまは与えられた仕事をさっさと済ませていたらしい。


 海で隔たれた大陸にある隣国、イスファーン王国との取引は言葉の壁が海よりも広く横たわっている。

 長い間不可侵条約のもと国交を断絶していた海向こうの隣国は言語体系も法律も商慣習も何もかもが違い貿易に関わる文書作成だけで大陸内の近隣諸国との取引の三倍は時間がかかる。この部屋に集められたイスファーン語に明るい官吏達は適材適所に人員配置され分担して業務を遂行している。

 俺がこいつらに構っていると他の同僚に迷惑がかかる。


「とにかく仕事の邪魔だから静かにしていて下さい」

「はいはい。で、ハロルド詳しく教えてよ!」

「いやぁ、どうしようかなぁ。勝手に俺が話しちゃっていいものかなぁ」


 全く静かにする気のない二人に俺は諦めのため息をつく。


「ハロルド。用があってきたんだろ。まずはそっちが先だ」


 そう言ってハロルドが抱える文書入れを示した。


「そうだったな」


 小脇に抱えていた文書入れを王太子殿下の執務机に置き、ハロルドが振り返る。


「みんな聞いてくれ。イスファーン王国法規集の翻訳が終わったので届けにきた。これで仕事が楽になるだろ」


 その言葉に同僚達の控えめな歓声があがった。

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