眠れる森の騎士:精神世界へ

――トクンーー

  ――トクンーー


 ……あれ、この音…… わたしの……心音か? どんどん小さくなっていく…… さっきまで……何をしていたか思い出せない。あのマズイ薬を飲んでから……


 ! そうだ! 思い出した!

 我に返った瞬間、暗闇の中に漂っていたかのようだったのが突然、上と下の感覚が戻り、地面らしきなにかに浮かんだ体のつま先が着いた瞬間、私を中心に周囲に光が広がり、この世ならざる風景が現れた。


「ここは……」


 見渡す限り広がるのは鏡のように大きな満月の浮かんだ空を映し出す、足の指くらいの深さしか無い水面だ。思わずどこまで行けるのかと走ってみたが、いくら走っても疲れない代わりに果てが見えないからすぐにやめた。

 未だここがどこなのかわからないでいる私の髪を、吹き抜ける心地よい風が揺らしてきた。……この光景には覚えがある。でもこんな場所は私の知る限り無い。……しばらくの思考の末、何か腑に落ちるものがあった。

 これは心の奥……私という人格をなす心の中心にある原風景というやつだろう。さっき飲んだ薬で心が肉体から切り離され、かくして自我がここに戻ってきたのだろうか。

 ……タマシイと心は同一であり同一でない存在だ。ウィレムの心へ入るためには何らかの方法で外と中を隔てる壁を壊して……この世界の外へ飛び出さなければ。


 壁…… まさかこんな場所にありはしないだろう、と空気をつかむように手を振ってみると、何か硬いものが知覚された。


「……何かを得たければそれを思い浮かべれば良いのか?」


 思えばここは私の心の世界だ。望むものがあれば作ればよいのか。試しに鎌を頭の中に思い浮かべ、左手に握っている姿をイメージしてみると、ズシリと手が重くなった。見てみれば、その手には使い慣れた、あの時に失くした大鎌が握られている。

 

 また大好きなクラーケンの足を思い浮かべてみれば、焼きたての、香ばしい香り漂うご馳走が右手に握られていた。味も全く同じだ。

 ……だがこんなことをしてる場合じゃないのはわかっている。


 「はぁ~……! せいっ!」


 大きく大鎌を振りかぶり、「壁」に叩きつけると、ガラスが割れた音とともに別の空間への入り口が現れた。


「おぉ~……」


作られた隙間からは怪しい風が吹き込んでいるかと思えば、壊れた壁が少しずつだが塞がろうとしている。……今の私の状態なら、多少の傷はすぐにふさがってくれるのだろう。だが塞がればウィレムの元へ行けなくなる。

 ……文字通り心の底から安心できる場所から飛び出すのを本能が恐れている。……だがあいつを助けなければ。


 「さぁ行くか」


 壁の向こうへ飛び出すなり襲ってきたのは、下へ下へと強く引っ張られる感覚だった。その方向を見てみるとそこにあったのは夥しい数のタマシイが蠢く「深淵」……としかいえない空間だった。


 「うわっ……!」


 なすすべもなくその「深淵」の水面に叩きつけられた瞬間、今度は全身がバラバラに引き裂かれるような痛みが襲ってくる。


「アアア……!」

 

 感覚が削り取られていく! このままでは流れに取り込まれ……自分が自分じゃなくなる……それが直感でわかった。

 刹那、消えゆく感覚の奥深くに何か光明が見えた。荒れ狂う流れに逆らいもがきながら必死でつかんだそれは、上から伸びてきていた糸のようなものだった。

 その光の糸をつかんだ瞬間、それまで失われていた感覚が一気に戻り、上に引き上げられる感覚がなくなったと思えば、眼前に見えたのは自分と同じ……しかし真球の形からかけ離れ、バラバラに分断されていたタマシイの全貌だった。

 糸があそこに向かって伸びている。あの術式が、私とウィレムのタマシイをつなげてくれているのだろう。

 ウィレムのタマシイの破片と破片は文字通り皮一枚でつながっていると見える。そして身の毛のよだつような邪気が痛いほど感じられる。


(聞こえるかのぉジーナ!)


 村長の声だ。


(目覚めの世界からそちらに話しかけておる! あまり時間がないから手短に話すぞい! 少年のタマシイを蝕む邪気を払えるのはお前の霊術だけじゃ! わすれるなよ!)


 その言葉を最後に、村長の声は聞こえなくなった。……支援が何一つなくなった今、あいつを助けられるのは私しかいない。

 向こうから伸びてきている糸を手繰り寄せ、やがてタマシイをぐるりと囲むような薄い膜の層に差し掛かった瞬間、強い引力を感じた。


「ああああああああああああ!!」


 ガゴン! ズドン! バゴッ……パラパラ……


「う……いてて……」


 身体中が打ち付けられた痛みをこらえながら立ち上がると、干上がった地面のひび割れからは焼けるような熱さと光が漏れ、いたるところには黒いねばねばがこびりついている。そして極めつけに雷の鳴り止まない空。そんな地獄と呼ぶにふさわしい世界が広がっていた。


「ここがウィレムの……」


 私と大違いだ。怨念の影響が無くてもこの荒廃ぶり、今までどれだけ心に暗いものを溜め込んできたのかが伺い知れてしまう。


「ウィレム……お前は自分の気持ちを隠すのが上手いやつだったよな。……でもこれからはきっと……」


 とにかく私のタマシイの中に自我がいたように、ウィレムの自我もどこかにいるはずだ。糸はもう見えなくなってしまった。……急ごう。



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