眠れる森の騎士:潜行
「ジーナ。……既にお前の来訪は村長の知る所となっている。サーメ、案内ご苦労だった」
屋敷に入るなりジーナを出迎えたのは、身の丈はあるであろう大鎌を右手に携えた男だった。男はジーナをつま先から頭の頂点までじろりと見ると、すぐに纏う衣を翻してジーナに着いてくるように促した。
カツン、カツンと静かな、弱いロウソクの光だけが頼りの暗い廊下を数十歩歩くと、男はここだ、とジーナに伝えた。
「……お祖母様」
「おぉ……ジーナか……」
薄布の暖簾をかき分けたジーナを出迎えたのは、病床から漏れるように聞こえてきたか細いしわがれた老人の声だった。おいでおいでと促されるままに側に座り込むと、老婆はぽつりぽつりと語りだした。
「息災であったか? ……ふふ……しばらく見ないうちに……ずいぶんとたくましくなったのう……」
「ええ……お陰様で。色々と大変なことがありましたから」
「……今思えば……お前がこの村を去ったのは……正解だったのやもしれんな……」
既に老婆の顔からは、孫娘との再開で浮かべていた笑顔が消え失せ、ジーナの顔を本当に申し訳無さそうに横目で見るとうつむいてしまった。
「……どうしてここに戻ってきたのかは分かっておる。……その少年の件じゃな」
どれ、みせてみぃと床から起き上がり、村長は文字通り半死半生の体で眠り続けているウィレムの様子をマジマジと観察すると、少しだけ唸り声をあげると、すぐに顔を上げた。
「……なるほど……ジーナ、この砕け散ったタマシイを元に戻すには方法は一つしか無い」
「なんですか!? 教えてください!」
「ここまで深くまで染み込んでしまった邪気を……外側からどうにかすることは出来ぬ。……ならば内側から悪いものを退治するしかないのじゃ」
ジーナがその言葉に反応を示すより先に老婆はゆっくりと立ち上がり、ついてこい、とだけ言い残して村長の寝室を後にした。のそのそとした重い足取りがその歩を止めたのは、館の最奥部の広間だった。
「よぉし……準備をさせておいてよかったわい」
「どうすればいいのですか?」
麻酔を受けたような感覚を誘発するような奇妙な香が焚かれた部屋の一面には、大規模な魔法陣……それもジーナが数時間前に発動した術のそれよりもずっと大きなものが刻まれていた。人が入れるだけの空白が二つ、そしてその空白を中心に魔法陣は展開していた。
「タマシイは……深淵でつながっているという話は聞いたことがあろう。我々のタマシイは……一つの巨大な『精神の海』に立つ波にすぎぬ」
「???」
文字通り頭の中に疑問符がうかび出ては消えていくような様子を見せているジーナを見ながらも、老婆は話を続けながらしゃがみこんでなにか作業を続ける。
「……つまり……この少年のタマシイを直すには……誰かが少年のタマシイの中に入って邪気を退治しなけりゃならん。そのためには……一旦精神の海の中に沈み、再び少年のタマシイを目指す必要がある」
「でも……そんなことをしたら戻ってこれないのでは?」
聞けば聞くほど不安の感情が湧き出してくるのか、額から冷や汗を流し、太い眉を八の字に曲げているジーナの様子をちらりと見やると、村長は目を見開いて老いてなお生え揃っている白い歯を見せて笑いかけてみせた。
「この術式は体から切り離されたタマシイに……しるべを与え、迷わないようにするためのものじゃ。この術式が二人をつないでくれる。……さぁ、この子に残された時間はもう少ないぞよ。これを飲んでから服を脱いでここに寝るのじゃ」
そう言ってジーナが手渡された瓶には、怪しい色をした液体が詰められていた。これは? と問えばそれは「タマシイを肉体から切り離す秘薬」なのだという。きつく締められた蓋を苦労して開けて漂ってくる空気を嗅ぐと、意識がたちまち持っていかれそうになり、ジーナは大きな音を立ててむせ返った。
「あうぅ…… これ……飲んでも生きて目覚められるんですよね」
「大丈夫じゃ。この薬はあくまで肉体を生と死、どちらでもない中間の状態に置くためのものだからして……タマシイが元の体に戻ってこれさえすれば必ず目を覚ますじゃろう」
村長の言葉の節々には、自分の行う術への絶対の自信が見て取れる。やはり死へと肉体を導くものへは本能的な拒否感があるのか、ジーナは顔をしかめながらも既に寝かせられたウィレムの姿を凝視した。全身を覆う黒いアザがどんどん広がっている。
(……何もしないまま最悪の結果になるよりも、せめて出来ることをやりきって最悪の結果になったほうがずっといい。……だよなウィレム。
心の中……それも今だからこそ言える。お前は私の憧れだった。頭も良くて、強くて……でも、私が一番惹かれていたのは…その気高いタマシイだった。
……お前には二つも借りがある。その借りを返さなければ……お前と並んで生きることなんて出来ない。……私はお前と並んで生きたい! 今こそ! その借りを返す時!)
「んっ……! ぐっ……!」
パリンッ……
覚悟を決めたジーナは、瓶の中の薬を酷い悪臭と味に耐えながら一気に飲み干した。全身から力が抜け、手元から離れた瓶が砕け散ると同時に、ジーナの肉体も勢いよく床に倒れ込む。
「おっとっと」
頭を石の床に打ち付ける寸前のところで村長が抱え込み、丁寧に魔法陣の中に寝かせられると同時に、ジーナは意識を失ってしまった。
「よぉし…… 村の衆を呼べぇ!」
病身にむち打ち、口から咳き込みとともに血を吐き出しながらも村長は館の中の者達に向けて大声を上げた。
「さて……この少年が助かるかどうかはお前にかかっておるのじゃぞ……ジーナ」
発動した術式が放つ怪しい光に照らされた二人の姿を両目に捉えながら、村長の老婆は座り込み、呼び声に応えた住民たちを迎えながら呪文を唱え始めるのだった。
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