眠れる森の騎士:イェヘムの村
「さて……」
イェヘムの村に辿り着いたは良いものの、村は槍のように尖った太い木の柵で囲まれ、出入り口はぐるりと周囲を回ってみても見当たらない。どうしたものかと途方に暮れていると、眼の前の一本の杭が持ち上がり、その隙間からジーナに向けて手招きする者があった。
「おい! 入りたいんだろう! それならここしか出入り口はないぞ!」
「あっ……分かった!」
ジーナのよく知る声が飛び出して来ると、ジーナは反射的につかんだその手を頼りに、村の中に入り込んだ。
「お前は……サーメか」
「久しぶりだな……四年ぶりか。しばらく見ないうちにずいぶんと立ち振舞いが変わったな。言葉も外の影響か知らんがかなり乱れている」
「そういうお前こそ、何も変わっちゃいない。……ヒトは変わるものなのにな」
緊張したやり取りが両者の間で交わされるが、やはりかつての顔見知りなだけあって、語気はお互い穏やかで、すぐにサーメと呼ばれたイェヘムの住人は、すぐに静かな場所に行こうと腕を引っ張った。
「よし、ここなら村の皆は来ないぞ……で、今更何をしに戻ってきた? しかも余所者を連れ込んで……」
「余所者よばわりはよせ……こいつを助けるためにここに来た」
その言葉に怪訝な顔をしたサーメは、案内された小屋の隅に寝かされたウィレムの顔を覗き込むなり、思わず顔をしかめた。
「これは……ひどい状態だ。こんな高濃度の怨念が人体に入り込むなんてありえない……それにタマシイがバラバラになっているのか」
「このイェヘムに隠された秘技があればきっとこいつを……」
「……なるほど。おそらく村長なら何かを知っておられるはずだ。……だが村長は」
村長は……サーメはそう言いかけたところで言葉を止めてしまった。
「……ご容態が悪いのか?」
「そうだ。……いいか、俺は取り次ぐことなら出来る。その後はお前次第だ。……だが勝手に村を出奔してからの六年前、ずっと顔を出さなかった孫娘にどんな顔をするか、わからないお前では無いだろう」
「何が望みだ?」
サーメが何かを求めていることを悟ったのか、ジーナが怪訝な顔をしながらそう尋ねてみても、それに対する返事はなかなか返ってこない。
おい、何を黙っているとしびれを切らしたジーナが言いかける直前、ようやくサーメが口を開いた。
「大した事じゃない。……村長のご自宅に行くまで、少し話でもしてくれればいい」
「……てっきり何か……結婚でもせがまれるのかと思ったよ」
安堵とともにため息を吐いたジーナに身を隠すための大きな布を投げ渡すと、サーメは小屋の扉を開き、こっちだ、とだけ囁いた。
小屋から出てジーナの眼に飛び込んできたのは、かつて暮らした時と、何一つ変わっていない村の光景だった。
川の静かなせせらぎの音、民家のいたるところから聞こえてくる祈りの経文、それに気分がふやけるような不思議な香りが漂い、ジーナにある種の望郷の念と、それに張り付いて離れない思い出がジーナの脳裏を駆け巡る。
「覚えてるか? あの時お前がこの川で……」
「溺れて、お前に助けてもらったよな。もちろん覚えてるさ」
川にさしかかったあたりでサーメが語った思い出話で、それまでずっと緊張にこわばっていたジーナの顔も自然とやわらいでいく。
「そうだ! お前結婚はしたのか?」
「……いや、まだだ」
「なんだ、その年ならとっくにしてるものかと思ってたよ」
「……イェヘムではそれが普通だったが……外ではそうじゃなかったんだよ」
ジーナはこみ上げてくる嫌な思い出を必死で抑え込みながら淡々とそう返すが、サーメはなぜこの話題を嫌がる素振りを見せるのかが理解できないようで、歩いたまま視線をジーナの方へ向けてくる。
「ふーん……でも結婚する相手……それかしたい相手は流石に決まってるだろ? その魔族のやつがそうだったりしてな」
「……!? 違う違う! 結婚なんて絶対にごめんだ!」
袖をブンブンと振り回すジーナの顔に浮かんでいるのは、照れでもなく、むしろ嫌悪の感情だったのを見て、サーメは一層困惑しているようだったのを見て、ジーナはだるそうに大きなため息を吐いた。
「……私はな、結婚って言葉があまり好きじゃない。それにこいつ……ウィレムは私の命の恩人だ。それこそ二度も助けられて借りを返さないわけにはいかないだろう。まずは借りを返して、対等になってからだ」
一息で一気に吐き出したジーナの言葉を聞き、幾ばくの間思考した後、サーメは腑に落ちたようにあぁ、と声を漏らした。
「……まぁいいや。とにかく見ろ、村長のお屋敷は眼の前だ」
話に熱中している間に、二人は村の一番奥、ひときわ大きい屋敷の前に立っていた。カレキの木で作られた屋敷は、得も言われぬ威圧感をもって二人の前に立ちはだかり、ジーナをしてかつてのトラウマと、助けを乞うてもそれが受け入れられるのか、という不安に息をつまらせているようで、手足には力が籠もっている。
「……そんな緊張するなよ。俺がなんとか取り次いでやるからさ」
「恩に着るよ」
さしものサーメも、村の長に面通しを願うのは緊張するのか、冷静になるよう宥めながらもその額には汗が伝う。
「村長様! 面会をお願い申し上げます!」
サーメの芯の通ったような低い声が響くと、しばらくして大きな扉が、その見た目に違わない音を立ててゆっくりと開かれた。
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