眠れる森の騎士

眠れる森の騎士:イェヘムの村へ

 おいジーナ! これを見てみろ!」


 だだっ広い図書館の空間に反響した呼び声を聴いて、声の主のもとに走ってきたジーナは、指さされた本のあるページを覗き込んだ。


「『壊れたタマシイ』……」


 見出しを期待とその期待を裏切られる不安感とに苛まれながら読み上げるその声が微かに震えた。

 

「『タマシイ、人の最も根源たる物なり。其れ金剛石の如し。故にひとたび傷入らば、たちまちそのヒビ、タマシイを塵となすべし、砕けた魂を直す秘技、月の民の最も古きにありといえども、今はその所を失う』……とあるが、何か心当たりはないか? 月の民はお前達死神族の古い呼び名だが」

「月……わたし達ノ言葉で「イェフ」という……


 刹那、今まで細まっていたジーナの目が見開かれ、座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。


「月は「イェフ」! そして「純粋な古いもの」を意味するのハ……「ェフム」! イェヘム! わたしが昔住んでたところ!」

「イェヘム……名前だけなら知っているぞ。おそらくそこにウィレムを何とかする術が眠っているはず……だが、お前がそこの出身なんて初めて聴いたぞ」

「隠してたからナ……これ知るのはわたしの家族とジャンヌさんと王子だけ」

「隠してた理由は聞かない。とにかく場所はわかるんだろ?」

 

 それから何か言葉を交わす時間は二人には与えられなかった。

 ジーナが一度何かを決めれば、それを果たすまではどんな手段も厭わないことをマルティスはよく知っていたのか、そう言い終えたジーナを呼び止めたりはしなかった。


「よし……」


 ジーナはまた、ウィレムが寝かされている台の上に立っていた。だが最初にウィレムと再開したときの、悲しみに満ちた面持ちはそこにはない。必ず助ける、恩を返す……その強いケツイに満ちあふれていた。


 (野ざらしになった死体に悪霊が集まって魔物に変異するのは……正しく葬られないが為に残ったタマシイの欠片が核になるからだ。今のウィレムは生きてこそいれ、タマシイは死者のそれと同じ状態だ)


 ジーナはウィレムの状態を冷静に分析しながら、台の周囲に霊力を宿した棒で魔法陣を刻んでいく。数刻して出来上がったのは、医務室の壁から天井までを埋め尽くす、それはそれは大規模なものだった。

 そうして新たに手に入れた鎌を両手で掲げ、舞うように何度か振るうと、鎌から漏れた光が少年に向かって落ち、その光が全身を包むように広がった。


 「うん……成功、これで完璧ダ」


 ジーナはその場にあった衣装を適当に着込むなり、すぐにウィレムを小脇に抱えてそのままバンカーを飛び出した。


 ◆


 ズズン……


 地下深くから地上へと登る二人を乗せた床が地鳴りのような重々しい音を立てて止まった。狭い洞穴の向こうから吹き込んでくるひやりとした風の方に向かっていけば、空には真っ青な月が天球の頂点に鎮座しているのが見える。

 外は快晴、雲も霧も無く、ずっと遠くには闇に紛れたカレキの森がはっきりと見える。


「さぁて……行こうか」


 空から降り注ぐ光を受け、全身の傷が発する痛みや、長時間の情報収集の疲れが少しずつやわらいでいくのを感じながら、ジーナは担ぎ上げられたウィレムにささやくように「必ず助ける」とつぶやくと件のカレキの森へとその歩を進め始めた。


 正直な所……イェヘムには戻りたくなかった。それどころか誰かにも知られたくなかった。……ジャンヌさんに言った時も、混乱していたから口からこぼれたんだと今となっては思う。


 カレキの森の中、溢れる魔物たちをやりすごしながらジーナはそんなことを考えていた。イェヘムの村へ入って帰ってきたものはいるにはいるが少なく、そして一度村から出たものが帰ってきたことはたったの一度も無かった。ジーナはカレキの木の枝から枝へと飛び移り、魔物達を回避しながら、自分があの村から出ていく時に見た光景の微かな記憶を頼りに、奥へ奥へとその足を進めていた。

 イェヘムの村へのしるべは無いように思えて確かに存在する。各所に点在する石碑、そして極めつけは……魔物よけに焚かれたむせ返るような匂いの香だ。

 

 「……あった!」


 ジーナは何百何千もの木の先に、ようやく切り拓かれた一本の長い長い道を見つけた。あの時の記憶を改変せずによく今日この時まで保っていた、と自分の頭に賛辞を送りながら、地上に降りたジーナは、周囲に最大限の警戒を払いながら、ゆっくりと一本道から外れたところを歩き出した。

 この村を出る時、突然飛び出した、仲間の体を貫いた鋼の槍が今でもジーナの夢に現れる。その時にはわけがわからなかったが、あの罠は逃げようとした者を逃さないためのものだったのだとはっきりとジーナは心得ていた。


「確か……このへんに……」 カチッ


 大鎌を足を進める先を確かめるように振り回し、地面に打ち付けていると、突然何かが作動する音がした瞬間……


「っ!」


 音もなく、脳天を貫く寸前にまで、月の光に照らされて怪しく輝く槍が伸びていた。


「ふう……危ない危ない」

「ウィレムは……大丈夫だな。バンカーから出る前にアレをやっておいて良かった」


 ジーナがウィレムにかけたのは、「鎮魂のとばり」という術だった。光の幕の中に対象を入れ込み、悪霊や魔物たちから死体を隠すための術……本来は葬儀を待つ遺体に向けてつかうものでこんな用途で使われたことは無かったが、かくして無傷で二人をたどり着かせたのである。


「さぁ行こう……ウィレム。『眠れる森の騎士』を目覚めさせるのは……この私だ」


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