タマシイの原理

 昨日は本当にいろいろなことがあった。これまで動かせなかった体を慣らすため、変な草集めの為にカレキの森を奔走し、変な煙が目に入って地獄を見たと思えば突然謎の剣士に襲われて全身を刻まれて……なんとか倒したと思えばウィレムがあんなひどい状態で……


 ジーナはそんなことを考えながら、与えられた個室の扉を開き、壁に書かれた矢印の示す「治療室」への通路を急ぎ足で歩いていた。もはや足の切り傷の痛みなど気にもかからないようで、その足並みはどんどん早まっていく。

 かくしてたどり着いた治療室の座椅子の上で、ドクターはまるで死んだように眠り込んでいた。


「ドク……ター?」

「んっ……あぁジーナさん……」


 揺り起こされて目を覚ましたカシミヤは、ジーナの顔を目にすると、ゆっくりと体を起こして立ち上がった。その様子は、少女が最も懸念した最悪の事態が起きたのでは、という疑念を確信に変えることは無かった。


「無事、峠を超えましたよ。あと少しでも手を付けるのが遅かったら、今頃彼は生きてここを出られなかったでしょうよ」

「良かっタ……!」

「そうそう、良いものをお見せしましょう」


 大喜びしているジーナをよそにカシミヤがどこかに行って、何かを持って戻ってきた。


「これハ……?」


 銀色の皿に乗っていたのは、緑色の布のようなものだった。滑らかな表面とは裏腹に、内側に向けてまるでウニのように針が無数に伸びている。何か生き物のような雰囲気を醸し出しているが、それが何なのかはジーナには分からなかった。


「癒やしの布、と呼ばれるアイテムですね。信じられないことに、これがあの少年の傷を塞ぎ、壊れた血管と血管とを繋ぎ合わせていたのです。これのおかげであの少年は生き延びたと言っても過言じゃないくらいですね」

「癒やしの布……そういえばずっと腰に巻いてたっケ」


 カシミヤが語るところによれば、その癒やしの布は治療のために取り外した瞬間、力を使い果たしてしまったのだという。……ギリギリのギリギリまで、この布はウィレムの命をつなぎとめていた。……本当に奇跡のようだった。


「いやー大変でした。特にお腹の傷が特にひどくてねぇ、潰れた内蔵を少年の別の部分を使って直したりで私の魔力はもうすっからかんですよ」

「あ……すいません……ウィレムはどこニ?」


 遠回しに疲れて眠いから起こすな、寝かせろと言われたジーナは一言詫びを入れてウィレムの寝ている場所を尋ねると、カシミヤは大きなあくびをしながら小さな扉を指すと、すぐに眠りに落ちてしまった。


 眠ったカシミヤに布をかぶせてやると、ジーナは指差された先の扉に手をかけた。すると、その先にはゆっくりと、弱いながらも確実に息をしながら目を閉じている姿があった。


「ウィレ……」


 そう言いかかった所で、少女は言葉を失った。全身を覆ったどす黒いアザからおぞましい気配が漂ってくるのはもとより、何よりもタマシイが感じられない。ヒトにあるはずのものが明らかに欠落しているのがわかる。


「……どういうことだ? どうなっている?」


 死んではいない、確実に生きている。……ただそれだけ。逆に言えば死んでいないが、そこから目覚めることは永久に無いのだと、ジーナは悟った瞬間、膝からガクリと崩れ落ちた。



「タマシイが抜けている? いや違うこれは……タマシイが壊れてるのか……」


 目を閉じて意識を深く集中させ、少年の中にあるタマシイを探ろうとすると、今にも消えそうなほどに弱い光がいくつも感じられる。本来一つのはずのものがバラバラになっている。あの呪いのせいだろうか。それとも……人格がメチャクチャになるほどのひどい目を受けたのだろうか。


 ジーナは今までに見たことのない状況の原因がなんなのか、思いつく限りの思案を巡らせるが、明確な答えはいつまでも出てこない。カシミヤの様子を見るに、タマシイに致命的な傷を受けていることは気づかれていないようだ。……やはりタマシイをどうにかできるのは自分しかいないと悟るほかなかった。


「どうすればいい? 壊れたタマシイをもとに直してやる方法……必ずあるはずだ」


 嘆いてなどはいられない。腹を決めたジーナが昨夜場所を教わった図書室に足を運ぶと、そこには何階層もあるであろう超大型の本棚が所狭しと並んでいた。いわくこの国の始まってから現在に至るまで、手に入った限りのあらゆる史書や薬学書、果ては落書きの写しまでもがここに収められているのだという。


「森どころか樹海の中から木を探すようなものだが……やるしかない」


 ジャンヌはこれから忙しくなると言っていたから助けを借りることは出来ない。もちろんドクターにも頼るのは無理だ。……ジーナは壁に刻まれた目録書を、丸い瞳を細く絞って見つめながら、誰か助けに来てくれはしまいかと淡い気合を抱いていたが、やはり誰も来なかった。

 試しに「タマシイの原理」と第された、腿と同じくらいの大きさの本を取り出して開いてみると、まるで布の網目のようにびっしりと皮のページを埋め尽くす文字がジーナを出迎える。思わず意識が遠のきそうになるが、ジーナは折れない。


「すごい文字量だ。……だが読める! 読み書きは話すよりもずっと楽だからナ」

 

「朝早くから読書か。こんな忙しい中でも精が出るな」

「王子!」


 ……来た。マルティスだ。魔界帝国の“元”王子のマルティスだ。


「王子! ウィレムのタマシイがこわれテ! 今にも消えそうなんダ! 何かできないかここから探さないト!」


 そう言われたマルティスは一瞬だけ混乱した素振りを見せたが、すぐに我に返り、既に積み上げられていた本を開いた。

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