カレキの森:襲撃

「……なんですカ?」


 ジーナは冷静を装い、振り向かないまま後ろから話しかけてきた誰かにそう問い返した。


「こんなところで一体全体何をしておるのかと思っての」

「……特に大したモノじゃないでス。またどこかで会いましょウ」


 会話を切り上げようと急いで立ち上がるジーナなど気にも掛けず、怪しい人影は話を続ける。


「……ここは危険でござる。聞けば魔界帝国から逃亡した極悪人が潜んでおるというのだからな」

「え……?」

「ほう、聞いておらなんだか。……なんでも魔界帝国の王子を連れ去るほどの手練だそうでな。そいつの首に百万オーラムの大金がかかっておる」


 その想像を絶する大金にジーナは一瞬言葉を失った。百万オーラム。それだけの大金があれば二世代に渡って遊んで暮らせるほどだというのだから無理もない。


「……手練ねェ。で、それをわたしに話してどうするんダ?」

「もし怪しいやつを見たなら、教えてくれんかの?」

「うーん……ここには人っ子一人いなかったゾ」


 後ろからの声に嫌な冷たさを感じたのか、今度こそ話を切り上げようとジーナは適当に受け答えるが、後ろからの気配は未だ消えない。


「……確か……耳が尖っていて……」

「オイ。……わたしは今めちゃくちゃイライラしてるんダ。これ以上くだらない会話に付き合わせるなラ……地獄を見せるぞ」

「何も知らなそうだし、他の場所を当たることにしよう。……もし誰かに逢ったら、教えてやってくれ」

 ジーナは段々と苛立ちを隠せず、怒りの籠もった低い声で脅しをかけながら後ろを振り向いたその瞬間……


「ここには……「鬼」が潜んでおるからの」


 振り上げられた鋭い刃に沈もうとしている月のかすかな光が照りつけたのをジーナは見逃さなかった。振り下ろされた剣がジーナの脳天を捉えるすんでのところで飛び退き、波打ち際に勢いよく飛沫を上げて着地した。

 

 「……ワシはダイゴロウと申す者。貴様に恨みはないが……大人しくワシの金になってもらうぞ」

 「最初からそのつもりだったナ? 悪意がはっきりにじみ出てたゾ」


 顔に飛び散った水しぶきを拭い取ると、ジーナは背中に備えた大鎌を威嚇するように構えながら、敵の様子をつぶさに観察する。


 (……剣使いか。長い物と短い物の二刀流。しかも普通の剣と違ってずいぶんと細身で反り返っている。斬ることに特化しているはずだ。……一度でも食らったらヤバい)


 「どうした? 諦めたか?」

 「はやッ……


 敵は音もなくジーナの懐に入り込み、ハサミのように左右から振り抜かれた剣が空を切る。とっさに大鎌を横に傾けてどうにか軌道は逸したが、ジーナの頬と右肩に鋭い刃傷を残し、赤い飛沫が飛び散った。


 「このッ……!」


 負けじと苦し紛れに鎌を振り下ろすが、眉一つ動かさない涼しい顔でかわされてしまう。


「ふん……遅いな。戦い慣れておらぬのがよくわかるわっ!」

「ぐあっ!」


 回避した勢いに乗り、今度は剣の峰が叩きつけられる。ジーナは悲鳴を上げて地に倒れ伏すと、水しぶきが周囲に飛び散った。


「う……グ……」

「……なんだ。この程度か」


 当たり所が悪かったのか、額に血をにじませ苦痛に顔を歪めながらジーナはダイゴロウを鋭い目で睨むも、当然効果は無い。嘲笑を込めた言葉が返ってくるだけだ。


「さぁて……どうしてくれようか。……ん?」


 ダイゴロウは足元に薬草の入ったカゴを見つけると、剣を敵の喉元に突きつけたままやおら座り込んでカゴの中を覗き込んだ。


「……なんだ? この見るからに辛そうなのは」


 煉獄草だ。ジーナが採ってきた中でも特に先端の膨らんでいるものだった。……ジーナはこの好機を見逃さない。


「フンッ!」


 勢いよく煉獄草をダイゴロウの手ごと蹴り上げると、例の赤い煙が吹き出した。


「っ!? なんだ!?」

「……痛いだロ」


 その瞬間。ダイゴロウが目を両手で覆って悲鳴を上げたのを合図に、足を払ってバランスを崩させ、腕をつかんで勢いよく後ろに放り投げた。

 小柄な体が宙を舞い、水面に叩きつけられたのを横目に、ジーナは立ち上がった。


「……わたしは殺さない。急いでいるから……これで手打ちにしてやる」


 ジーナは煉獄草の粉が目にもたらす痛みがいかに凄まじいかを身をもって体験していたのか、突然襲いかかってきた代償にはふさわしいと考えたらしく、頬の生傷から滴る血を拭い取りながらその場を後にした。


 ……なんだったんだあいつは。信じられないくらい強かった。あの無駄のない動き、長い時間戦っていれば必ず殺されただろう。


 ジーナは当初の目的の薬草集めの結果も忘れること無く、帰り道を辿っていた。カシミヤから渡されていた器具は二個で一つ。互いのある方向を示してくれる代物らしい。歩きながら道具の向きを変えてみても、帰るべき目的地の居場所を的確に示している。


 足は先程のダイゴロウとの戦いへの恐怖からか、時を追うごとに早まっていく。あの激辛粉が目に入れば、時間にして二十分は痛みで視界が戻らない。今のうちに逃げ切ってしまおうという寸法だ。


 「やってくれたな」

 「!? 嘘……」


 暗闇に包まれたカレキの森の木々に、あの声が反響した。

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