マルティス変身せり

「王子に会わせて」、そう懇願するジーナの姿を受けて、ジャンヌとカシミヤは顔を見合わせジーナに「何を見ても拒絶しないか」と聞くと、ジーナは奮起して「どんなにひどい姿になっても、魂が王子なら王子だ!」と混乱と興奮で入り混じった感情任せに返した。


「いいでしょう。あなたの覚悟を買います。きっと彼もあなたの安否をしりたがっているでしょうから」


 ドクターは車輪付きの椅子にジーナを座らせると、そのまま椅子を押して医務室の扉をくぐった。その先には岩をくり抜いて作ったような細長い空間が広がり、同じような小部屋がいくつもあるように見える。通路の突き当りを前にするとジャンヌはここだ、と誰に言うでもなくつぶやき、その扉は開かれた。


 その扉の中は暗く、ベッドの上に寝ている人影が、突然差した光から目を覆ったことくらいしか分からない。


「お……王子……?」

「その声……そのニオイ……ジーナか?」


 向こうの人影が少しだけ動揺したようだった。


「王子…… わたしは王子がどんな姿になっても気にしなイ!」

「ふん……それはありがたいな。……ジャンヌ、明かりをつけてくれ」


 ジャンヌが静かに御意、とだけ言うと、ジーナの医務室と同じ、緑色の明かりが強まっていく。


「……ジーナ。俺を助けてくれたこと、心の底から感謝する。……さぁ、こっちへ来てくれ」

「……エ?」


 明かりが部屋の隅から隅までを照らし、はっきりと見えるようになったマルティスの姿を一瞥すると、ジーナの口からはそんな気の抜けた声が飛び出した。


「はは……」


 ジーナの気の抜けた声を聞き、マルティスはさもありなんという言わんばかりに乾いた声で笑った。少女の大きな丸い瞳は、変わり果てた王子の姿をその形を一層大きく見開かせて捉え、その目線は部屋の奥に釘付けになっていた。


「まぁ、そうなるよな」

「王子…… 確かに王子ダ…… でも……なんで……?」

「変異の呪い……」


 そばに立っていたジャンヌがそうつぶやくと、ジーナは驚き混じりに勢いよく振り向き、ジャンヌの顔を見つめるが、ただ複雑そうな顔をしているだけで、これ以上何かを言うことは無かった。


「……俺のことを看てくれた術者が言うには、食らった者を別の生物に変えてしまうそれはそれは恐ろしいものだそうだ」

「別の生物……だかラそんな姿ニ……?」

「いや、そうではない」


 マルティスはかけられた言葉を否定すると、ベッドから跳ね起きてジーナの方へ歩み寄りながら続ける。


「本来……この呪いを喰らえばドロドロの肉塊に成り果てる。……術者がその呪いの効果を和らげてくれたおかげで、変異がこの程度に抑えられた……らしい」


 ……マルティスの姿は既にヒトの“それ”ではなかった。全身が黒みがかった灰色の体毛に覆われ、顔の輪郭も鼻が飛び出し、耳に至っては原型を留めないほどにその形を変えている。そして極めつけはにょろりと伸びた尻尾……その格好はまさしく、獣人のそれだった。


「……まぁだから、いや、あそこから生きて出てこれただけでも儲けものだと思っておくよ」

「なんダ、見た目は変わっても……王子はマルティスのままだナ」


 だが息遣いやその気品ある立ち振舞いはマルティスがヒトだった時と全く変わっていない。やはりその獣人の両目には、深い知性を湛える銀色の瞳が輝いている。それだけでジーナの中の疑いは完全に晴れたようで、ふぅっ、と深い安堵の息を吐いた。


「化け物呼ばわりされるかと思ったよ」

「からだなんてタマシイの入れ物ダ。王子のタマシイは……前とまったく変わらなイからナ」


 マルティスはその言葉にはただ微笑みかけるだけで返したが、その目つきは最初にジーナが見たときよりもずっと落ち着いたものになっている。


「……ウィレムは?」

「……」

「クソっ……」


 無言、その返答ですべてを察し、マルティスは勢いよく足を踏み鳴らした。


「……でもウィレムは……必ず合流するって言ってタ。だからわたしはそれを信じル」


 そうこぼしたジーナを見据えたまま、マルティスは何も語らず立ち尽くしていた。二人の間に沈黙の霧が立ち込める。その霧を払ったのはジャンヌだった。


「さぁジーナ。体の傷がまだ癒えたわけじゃない。……病室に戻ろう。王子、あなたももうしばらく安静にして、邪気が抜けきるまで待ってもらわねば困ります。……さぁ」

(……ジーナさん。辛いのは分かります。でも今はその怪我を治すのが先決ですから)


 ジーナはカシミヤが耳打ちした言葉に素直に従うことにしたようで、特に何か抵抗するでもなく、ドクターに運ばれてその場を後にしたのだった。

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