変貌の王子

チリン……チリン……


 暗い部屋に小さいが甲高い、よく通る鈴の音がかすかなうめき声と共に鳴り響く。するとにわかに部屋に安光石の穏やかな若竹色の照明が灯り、カシミヤが急ぎ足で部屋に入ってきて、ベッドの上に寝ている人影に語りかけた。


「どうしました?」

「あしが……いたイ……」

「あぁ、麻酔が切れたんですね……それに発熱もひどい。死神族の体はヒトとは思えないほど強いはずなのにここまで弱るなんて、よっぽどひどい目にあったんでしょう」


 ドクターは怪我人の足を覆う汚れた包帯を丁寧に取り、生傷に懐から取り出した粉を擦り込み、もう一度包帯を巻き直した。


「今の粉はネムリダケというキノコを加工して作ったものです。ほんのもう少しすれば痛みは引くでしょう。……手当をしてからはや三日、顎の怪我が速く治ったんです、きっと足の火傷ももうすぐ治るはずです」


 カシミヤの言った通り、その薬はすぐに効いてきたようで、痛みで歪んだ顔も、ほどなくして落ち着きを取り戻したようだった。荒い呼吸が整い、二、三度深呼吸するなり、ジーナは口を開いた。


「……感謝しまス」

「ふふ……感謝もお礼も、怪我が治ってからにしてもらいましょうね。今はただ病人として怪我を治すのに専念してもらいます」

「なんで見知らぬわたしにここまでするんですカ」

「そりゃあ、アレですよ、私は邪教徒や罪人じゃない限りは誰でも治す主義なんですよ。それに、マルティス王子を守ってくれていたんですから」


 それまで体を寝かせていたジーナはその言葉を聞いた瞬間、ベッドから跳ね起きた。その目に宿った焦りと不安を感じ取ったのか、ドクターは少女の両肩にゆっくりと手を伸ばし、落ち着くよう促した。


「マルティス王子の件ですが、呪術が得意な者に任せていたと前に話していましたが、「なんとかなった」らしいですよ。……その後のことは私もわかりませんが、とにかく生きてはいるそうです」

「良かっタ……」


 不意にジーナの双眸からポロポロと雫がこぼれ落ちた。ドクターがその涙を拭き取り、笑いかけてやると、ジーナも同じようにほほえみ返した。


「王子はどこニ? 顔を見たイ」

「あー、……今はそっとしておいたほうが良いと思いますね? だいぶ参ってしまってるみたいなので……」

「……そう……ですよネ……」


 会話が不自然な形で終わり、二人の間を沈黙の膜が隔てる。話しかけようにも話しかけにくい時間がいくばくか続き、やがてジーナの顔に徐々に、また不安が戻った。


「あの……! わたしが寝てる間ニ……ウィレムていうわたしと同じくらいノ年のやつは来てませんか?」

「ウィレム……? 男の名前ですね。……私の知る限りは」


 キョトンとして答えに窮したドクターを見て、自分の知りたい答えが得られないと悟るやいなや、ジーナは歯を砕けんばかりにギリギリと音を立てて噛み締めたまま、うつむいてしまった。


「……大事な人なんですか?」

「……わたしと王子を……城から逃してくれたシ……わたしはあいつに……一生返せなイ借りがありまス」

「……そうですか。ジーナ、気持ちは痛いほどわかります。きっとあなたは今すぐにでもここを飛び出して、彼を助けに行きたいでしょう。……ですがその体で、今や邪教徒の巣と化したパンデモニウムに戻って何ができるというんですか」


「ぐぅううううう……」

「ほら……今は嘆いたってどうしようもありません。今は力を蓄えるときです。……それに、あなた向けに、そう、罪滅ぼしとしてジャンヌがあなたが使うための鎌を作っています。……あと何日かで出来上がるでしょう。だから今は休むのです。いいですね?」


「……ドクター、ジャキョウト……って、なんなんですカ?」


 ジーナはどうにか自分の心を納得させたのか、ウィレムの件を端に置いて、何度も耳にしている「ジャキョウト」という言葉の意味をドクターに尋ねてみると、尋ねられた側は知らないのも無理もない、という体で、目を一瞬だけどこか向こうにやると、やおら立ち上がった。


「……外は雲ひとつない晴天で満月がきらめいています。治療も兼ねて月でも浴びながら話しましょうか。邪教徒のことは話せば長……


 バタン!


「おい! 大変だ! マルティス王子が……!」


 ジーナを屋外へ連れ出そうとドクターが道具を用意してきた矢先、扉が勢いよく開かれ、ジャンヌが開口一番そう叫んだ。


「王子が……なんテ?」

「あ……」


 ジーナは言葉も無くベッドから飛び出そうとしたが、当然体を支えるための足は使えない。力なく顔面から硬い石の床にぶつかりそうになったところを、ドクターに間一髪で支えられてもなお、這ってでもマルティスの方へ行こうという意思は消えないようだ。息を荒くしながら扉から這い出そうとするジーナをドクターは必死で抑えながら、ジャンヌのほうをその鋭い目で睨みつけた。


「王子ッ……! 王子に会わせて……!」

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