目覚めると見知らぬ場所

――なんだってこんな子供に……――

 ――しょうがないだろう!敵か味方もわからな……――


 ……なんだ? 誰かが言い争っているのが聞こえる。手足が動かない。口を開けようにも口が開かない。幸いにも視覚も、聴覚も、嗅覚も無事だ。この二人が敵か味方かが分からない。……今は様子を見なければ。


「だまらっしゃい!」

 

 パァン!


 甲高い裏返った声と共に、何かを思い切り叩く音が聞こえた。


「ゲホッ……」

「ゲホッ、じゃないですよまったく! なぁにが敵か味方か分からなかったですか! 貴女ほどの剣士がこんな小さな子供にこの仕打ち……恥ずかしくないんですか!?」

 

「……もしこいつが邪教徒の手先だと知らぬままここに来ていれば我々の役目も果たせなくなったではないか……」

「で!? 果たしてこの子は邪教徒だったんですか!? 王子のお墨付きでしたね!? よしんば邪教徒でもこれほど重い怪我を負った子を取り押さえることも出来ないんですか剣士ってやつは!」


 あの赤い髪をした女……ジャンヌが、ずっと小さな背丈をした者に徹底的に言葉で叩きのめされている。ジーナがその様子をベッドに横になったままじっと見つめていたのに小さい方が気付いたのか、会話を強引に切り上げてジャンヌを部屋から追い出すと、ヒタヒタと音を立ててベッドのそばの椅子に立った。


「よかった。やっと目が覚めましたね」

「あ……う……」


 優しい口調で語りかけてきたその小人は、少なくともヒト、と呼べるような姿ではなかった。いわゆる獣人、特に爬虫類のような見てくれをしていて、その立ち振舞いや頭に備えられた大きなメガネと反射鏡から、医者のような者であるとわかった。


「いいですよ無理に喋らなくて! 顎の骨が砕けているので」


 ジーナの目に深い恐怖の色が刻み込まれているのに気づくと、獣人は気まずそうに咳払いをして押し黙ってしまった。数分間の沈黙の末、その帳を破ったのは、獣人の尾っぽの先に括り付けられた鈴の音だった。


「……あー、まずは自己紹介からですよね。私は爬虫人のカシミヤ。皆からは「ドクター」と呼ばれている通り、ここで医者をやっています。……もちろん、あなたの怪我もしっかり手当をしておきましたよ。細かい傷は残るでしょうが、このまま予後が良ければ怪我をする前と全く同じに治ることでしょう」


 ジーナの両足は包帯でぐるぐる巻きにされている。痛み止めの薬が効いているのか、火傷の激しい激痛も無い。足先を動かせば確かに足先が動こうとしている感覚がある。ジーナはそうしてドクターの言葉が嘘でなく、自分を助けてくれたのだと悟ったようだ。


「君は死神族ですね? なので月の光をたっぷりと吸収して育った薬草を使ってみました。 もちろんその包帯にもその薬草をたっぷりと染み込ませてありますし、多分これで治りはグンと早くなるでしょう。 大丈夫、身内の失態は責任を持って必ず私が埋め合わせますから! ……おっと失礼。勝手にべらべらと喋りすぎてしまいましたね。……じゃあ、あなたの事を教えていただきましょうか……それに、どうして王子と一緒にいたのかも、ね」


 ドクターは紙を机に置き、左手にペンを握らせると、ジーナに自分のことを紹介するよう促した。ジーナは首を少しだけ縦に振ると、震える手で文字をしたため、ひとしきり書き終えるとペンを置いた。


「え~……『私はパンデモニウムのジーナ、死神族。年は十二。手当をしてくれたことは感謝する。しかしマルティス王子を守る命を負った者として、あなた方がどういった出自で、どういった目的で動いているのかが明確にならない限り、我々の情報を詳らかにすることは出来ない。私にトドメを刺した者の仲間とあってはなおさらである』

 ……まぁ、そうなりますよね~。そうそう、マルティス王子は大きな怪我はありませんでしたが、厄介な呪いに蝕まれていまして、今は呪術が得意なものにあたらせています」


 それを聞いてジーナは心の底から安堵したのか、すぅっ、と長い息を吐き、これまでの心の疲労が一気にのしかかったのか目を閉じるなり眠り込んでしまった。


「あら、寝てしまいましたか。……まぁ、無理もありませんね」


 カシミヤはふうっとため息をついて、その一室を後にした。



 ◆


 

  チリン……チリン……


 カシミヤが去ってからどれだけの時間が経ってのことだろうか、暗い部屋に小さいが甲高い、よく通る鈴の音がかすかなうめき声と共に鳴り響く。するとにわかに部屋に安光石の穏やかな若竹色の照明が灯り、カシミヤが急ぎ足で部屋に入ってきて、ベッドの上に寝ている人影に語りかけた。


「どうしました?」

「あしが……いたイ……」

「あぁ、麻酔が切れたんですね……それに発熱もひどい。死神族の体はヒトとは思えないほど強いはずなのにここまで弱るなんて、よっぽどひどい目にあったんでしょう」


 ドクターは怪我人の足を覆う汚れた包帯を丁寧に取り、生傷に懐から取り出した粉を擦り込み、もう一度包帯を巻き直した。


「今の粉はネムリダケというキノコを加工して作ったものです。ほんのもう少しすれば痛みは引くでしょう。……手当をしてからはや三日、顎の怪我が速く治ったんです、きっと足の火傷ももうすぐ治るはずです」


 カシミヤの言った通り、その薬はすぐに効いてきたようで、痛みで歪んだ顔も、ほどなくして落ち着きを取り戻したようだった。荒い呼吸が整い、二、三度深呼吸するなり、ジーナは口を開いた。


「……感謝しまス」

「ふふ……感謝もお礼も、怪我が治ってからにしてもらいましょうね。今はただ病人として怪我を治すのに専念してもらいます」

「なんで見知らぬわたしにここまでするんですカ」

「そりゃあ、アレですよ、私は邪教徒や罪人じゃない限りは誰でも治す主義なんですよ。それに、マルティス王子を守ってくれていたんですから」


 それまで体を寝かせていたジーナはその言葉を聞いた瞬間、ベッドから跳ね起きた。その目に宿った焦りと不安を感じ取ったのか、ドクターは少女の両肩にゆっくりと手を伸ばし、落ち着くよう促した。


「マルティス王子の件ですが、呪術が得意な者に任せていたと前に話していましたが、「なんとかなった」らしいですよ。……その後のことは私もわかりませんが、とにかく生きてはいるそうです」

「良かっタ……」


 不意にジーナの双眸からポロポロと雫がこぼれ落ちた。ドクターがその涙を拭き取り、笑いかけてやると、ジーナも同じようにほほえみ返した。


「王子はどこニ? 顔を見たイ」

「あー、……今はそっとしておいたほうが良いと思いますね? だいぶ参ってしまってるみたいなので……」

「……そう……ですよネ……」


 会話が不自然な形で終わり、二人の間を沈黙の膜が隔てる。話しかけようにも話しかけにくい時間がいくばくか続き、やがてジーナの顔に徐々に、また不安が戻った。


「あの……! わたしが寝てる間ニ……ウィレムていうわたしと同じくらいノ年のやつは来てませんか?」

「ウィレム……? 男の名前ですね。……私の知る限りは」


 キョトンとして答えに窮したドクターを見て、自分の知りたい答えが得られないと悟るやいなや、ジーナは歯を砕けんばかりにギリギリと音を立てて噛み締めたまま、うつむいてしまった。


「……大事な人なんですか?」

「……わたしと王子を……城から逃してくれたシ……わたしはあいつに……一生返せなイ借りがありまス」

「……そうですか。ジーナ、気持ちは痛いほどわかります。きっとあなたは今すぐにでもここを飛び出して、彼を助けに行きたいでしょう。……ですがその体で、今や邪教徒の巣と化したパンデモニウムに戻って何ができるというんですか」


「ぐぅううううう……」

「ほら……今は嘆いたってどうしようもありません。今は力を蓄えるときです。……それに、あなた向けに、そう、罪滅ぼしとしてジャンヌがあなたが使うための鎌を作っています。……あと何日かで出来上がるでしょう。だから今は休むのです。いいですね?」


「……ドクター、ジャキョウト……って、なんなんですカ?」


 ジーナはどうにか自分の心を納得させたのか、ウィレムの件を端に置いて、何度も耳にしている「ジャキョウト」という言葉の意味をドクターに尋ねてみると、尋ねられた側は知らないのも無理もない、という体で、目を一瞬だけどこか向こうにやると、やおら立ち上がった。


「……外は雲ひとつない晴天で満月がきらめいています。治療も兼ねて月でも浴びながら話しましょうか。邪教徒のことは話せば長……


 バタン!


「おい! 大変だ! マルティス王子が……!」


 ジーナを屋外へ連れ出そうとドクターが道具を用意してきた矢先、扉が勢いよく開かれ、ジャンヌが開口一番そう叫んだ。


「王子が……なんテ?」

「あ……」


 ジーナは言葉も無くベッドから飛び出そうとしたが、当然体を支えるための足は使えない。力なく顔面から硬い石の床にぶつかりそうになったところを、ドクターに間一髪で支えられてもなお、這ってでもマルティスの方へ行こうという意思は消えないようだ。息を荒くしながら扉から這い出そうとするジーナをドクターは必死で抑えながら、ジャンヌのほうをその鋭い目で睨みつけた。


「王子ッ……! 王子に会わせて……!」

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