歯車は回る

 カツン……カツン……


 男の足音と杖を突く音が地下への狭い階段に響き渡る。地下に潜っていくに連れ、カビ臭い匂いに混じった血の匂いがより強くなっていく。

 城の地下室の最奥の一室は、大きな鉄格子の扉で外界と隔てられていた。男はその扉を乱暴に蹴り開けて中に入ると、そこに捉えられたものを鋭い眼差しで見つめた。

 明かりが灯されたのに気付いたのか、「囚人」は両手両足を縛られたまま、鎌首をもたげて男を睨み返した。


「……てめェ……」


 その囚人はまるで鬼人のように厳つい顔をした男など恐怖しないといようだ。金色の瞳が一切ブレること無く男を見据えている。


「……あれから四日間。看守共に命に関わるような苛烈な暴力を禁じていたとはいえ……これほど痛めつけられてもマルティス王子がどうやって逃げおおせたかを割らないとは。……幼い身でありながらその精神力は称賛に値する。流石はヴァレフォル家……かつての魔界帝国で五本の指に入る武家の出だ」


「へっ……ゴミが。勝手にほざいてやがれ……このボケジジイ……がっ!?


 男の振るった杖は空気を切り裂き、少年の腹に叩きつけられた。

 パァン! と弾けるような甲高い音が物語る衝撃で言葉がかき消され、傷けられた臓腑から血が上り、言葉の続きの代わりに大量の鮮血が吐き出される。男は顔を苦痛に歪めている少年の前髪を乱暴につかみ、その瞳を一寸の距離も無く覗き込んだ。


「よいか? 私は子供というものが大嫌いでね……こういうふうに楯突かれると苦しめて苦しめて惨たらしく殺してやりたくなる。……だが、もしマルティス王子ともう一人の死神族の娘がどうやってここから逃げたか……洗いざらい白状すれば、命を助けてやるばかりか私の小間使いくらいとしてなら置いてやってもいいのだぞ」


 男は枯れ木のような手を少年の顔に這わせながらジロジロと傷だらけになった体を舐めるように見つめると、少年は嫌悪で眉をしかめた。


「へっ……お断りだァ……どーせ小間使いとやらになったらなったで……死んだほうがマシみてェな思いをさせるんだろうが! 俺が仕えるのは魔王様だけだ! テメェみてぇな……


 パァン!

 

「!?」


 少年は口元に這い寄った指に死力を振り絞って噛みつくと、男は目を見開き、今度は顔面に杖を思いきり叩きつけた。


「うぐ……」

「……決まりだな。貴様の運命は茨にまみれた崖へと死の行軍だ」


 男が指を鳴らすと、それを合図にぞろぞろと無数の屈強な人影が同じ牢獄に入ってきた。獣のような……否、獣そのものの唸り声を上げてにじり寄ってくる様は、さしものこの少年、ウィレムをして恐怖で全身を震わせた。


「獣人族……!?」

「……そうだ、言い忘れていたな。彼らは肉食の獣人でな。……その生まれのせいで迫害されてきた連中だ。嬉しいことに、私の理想に賛同してくれている。……君たち、この小僧を好きにしてくれて構わんぞ。但し殺すな」


 男は邪悪な笑みをその顔に貼り付けたままウィレムに群がる獣人たちと、まさに蛇に睨まれた蛙……ならぬ獣人に睨まれた少年の恐怖に歪んだ顔を見届けると、鉄の扉を勢いよく叩きつけた。


「……さて、今日はもう休んで……明日からは権力の地盤固めを徹底して行わなければ」


 再び階段を登っていく男の後ろ姿を照らす牢獄の明かりは遠ざかり、やがて闇の中に溶け込んでしまった。


 ◆

 

「ぶはぁっ」


 闇の世界のどこかで、誰かの顔が水面から飛び出し、大きな息を吐き出した。長い間服やらカタナやらを詰め込んだ浮き箱だけを頼りに海を泳ぎきってきたその少年は涼しい顔をしているがその荒い息はいつまで経っても整わない。


「これも百万オーラムのため……これも大金のため……」


 そう、百万オーラムという一生遊んで暮らせるであろう大金に目がくらみ、パンデモニウムから泳いで大陸にたどり着いたダイゴロウである。


 長い時間海で泳いでいたせいか体が冷え切っているようで、ガチガチと歯の根が震えて合わない。しかも天候は大雨。なんとか雨宿りできる場所を探さなければ賞金首に遭遇する前に凍え死ぬであろうことは、こんな無茶苦茶をするダイゴロウにとっても明白なことだった。


「ここは……カレキの森かの」


 見渡す限り立ち枯れたような、茨がそのまま樹木になったような不気味な木の森が広がっている。だがその「森」は何の生き物の気配もない死の森。あるのはただ魔物のみという不毛の地だ。


 パキッ……パキン!


 ダイゴロウは手の届く範囲に生えている枝を折り取り、あるいは拾い、偶然見つけた洞穴の中に枝を集められるだけ集めると、二本のカタナを何度も打ち合わせる。鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合って飛び散る火花が枝に燃え移り、またその枝から別の枝に燃え移り、程なくして焚き火となった。橙色の光が暗く冷たい洞窟の中を暖かく照らし、その空気はダイゴロウの気持ちを少しばかり和らげた。

 焚き火を前にして座り込み、カタナを錆びないように丁寧に処理し終え、この剣士は揺らめく焚き火の火をじーっと見つめながら、何か物思いにふけっている。だが相当に疲労が溜まっているのであろう、程なくしてまぶたが重くなり、完全に閉じられてしまった。

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