嵐の後

HARD LANDING

「うっ……ん……」


 ここはどこだ? 脳裏に浮かんだその問いは、明瞭になった記憶にすぐにかき消された。全身がズキズキと痛む……だが死ぬほどの痛みじゃないのは奇跡としか言えない。ウィレムを置き去りにして、王子を担いだまま大砲の中に飛び込んで……どうにか生きながらえたようだ。……無我夢中だったからどうやって火を付けたのかは思い出せない。

 

 体に感覚が戻るのを待たずに半身を起こし、暗い闇の中を見回すと、すぐそばにマルティスが倒れているのを見つけた。あの奇妙な光を浴びてからというもの、ずっと死んだように動かないが、魂は未だ肉体にしっかりと張り付いていることがはっきりと感じられる。まるで「何か」に守られているように……


「あ……れ?」


 おかしい。王子を回収しようと立ち上がろうとしても足腰にまるで力が入らない。バシャリと音を立てて体が泥の水たまりに沈んだ。冷たい水で混濁状態にあった意識が一気に戻るのを感じる。きっとこれで……


 ズキン!


 足を動かそうとした瞬間返ってきたのは、これまで感じたことの無い、想像を絶する痛みだった。しかも腰から下の感覚、特に肌の感覚が全く戻らない。……恐る恐る目線を足に向けた瞬間、声にならない悲鳴が喉から勢いよく飛び出した。


「うっ……嘘だろ……」


 ……そう、両足が目も当てられない状態になっていたのだ。痛みが強すぎて何か声を発するどころか息をすることも出来ない。せめて……せめて……月……月の光で使い果たした体力を回復できれば……! そう思って月を仰いだ。月はこの散々な出来事など意にも介さずこの地に光を注いでいる。不幸中の幸い……と思った瞬間…… 突然立ち現れた分厚い雲がこの地から光を奪い取ってしまった。

 程なくして地を揺るがす轟音が鳴り響き、空から水滴が降り注いだと思えば、たちまちそれは豪雨になった。


「ハ……ハハ……」


 ここまで立て続けにこんな目に遭わされていちゃあたまったものじゃない。もう気が狂いそうだ。……だが、気を狂わせない何かがあった。最後に見たウィレムの顔だ。腕をへし折られ、魔力も底をつき、限界まで疲労していたであろうに、あいつは……私と王子を命がけで逃した。普段滅多に笑わないあいつが無理に作った笑顔が魂に焼き付いて消えない。……ウィレムが「必ず合流する」と言ったのだ。

 今の私にできるのはその言葉を信じて、あいつを迎えてやることだけだ…… 背中にマルティスを乗せ、なんとか動く両腕で這いずっていくしか無い。どこか雨宿りのできる場所を探さなければ私も、王子も凍え死ぬ。


「動け! 動け! なんとしても生き延びるんだ!」


 ジーナの魂の叫び声が、誰もいない荒野に虚しく響き渡った……


(同日同刻、パンデモニウムにて)


「ふん……」


 大きく開いた窓から外を見渡す男は、両腕を広げたまま忌々しげに息をついた。男の作り出した魔法の豪雨は空気を凍えるほどの寒さに冷やし、吐息は白い霧となった。


「陛下、ご報告に上がりました」

「聞こう」


 男は目線を変えぬまま、男のもとに来るなり跪いた伝令にそう促すと、伝令はすぐに自分の業務である報告を初めた。


「貴方様を頭目に置いた新たな国の建設は順調に進んでおります。まずは各地に点在する、都市と都市とを繋ぐ橋を全て破壊し、方々に貴方様のお作りになった魔物たちを放って参りました。これで万が一各地の強者達に感づかれても足止めをすることが出来ます」

「ふむ……よろしい。では……

 

「そしてパンデモニウムの街には旧時代を批判しつつ貴方様の国の素晴らしさを僭越ながら私がしたためた、バラのように華麗でランのように繊細で美麗でプログレッシブな文章で美しく讃えさせていただきました」


 口を挟まれた男の口元が一瞬だけ引きつったが、伝令は構わずに続ける。


「そしてこの街の中央には貴方様の巨像を設置させましょう。貴方様の威信をこの闇の世界に轟かせるのです!」


「うむ……そうだな。ところで一番聞きたいことが……」


 男のその言葉でようやく我に返ったのか、なんでしょう、と何食わぬ顔で問い返した伝令を一瞥して肩をすくめると、男はまた口を開いた。


「マルティスの行方は?」

「いやぁ~、それが全く不明でして……どうやってこの城から逃げ出したのかすら……」

「……なんだと?」


「城内を調べた所、大砲が一つだけ壊れていましたが……あれだけ強い火力を食らったら飛ぶどころか一瞬で灰になるでしょう。なので実はあの娘ごと死んでいるのでは? そうでなくてもあの方角から何処かの陸地に墜落するなんて考えにくく、恐らくサメの餌でしょう」

「そんなはずは無い! 探し出せ!! 手でも足でもいい! やつが死んだと分かるものを全力で探し出せ!!」


「落ち着いてくださいませ。……貴方様もここ数日ずっと飲まず食わず寝ずではありませんか。……少しお休みになられては?」


 血相を変えて叫ぶ男をなだめるように声をかけ、懐から水の入った瓶を差し出す伝令の手を跳ね除け、男は踵を返した。杖の音が暗い城内に響き渡る。


「どちらへ?」

「お前の言う通り……少々疲れすぎているのやもしれん。だが休む前にやっておかねばならぬことがある。ご苦労だった。今日はもう休め」


「アイアイ! やはり貴方は最高ですね! じゃあ折角なのできれいなねーちゃんでも引っ掛けてきまぁぁす!」


 伝令は途端に俗っぽい笑みを浮かべ、鼻の下を伸ばしながら窓から飛び降りていった。男は半ば呆れながら街へ走っていく伝令の姿をしばらくの間見届けると、また長い溜息を吐いて、審問室へ通じる地下への階段を下っていった。

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