包囲
「でっ! これからどうするんダ! まさか海に飛び込もうなんて言わないよナ!」
礼拝堂を出た先の長い廊下を全力で走りながらジーナはウィレムに問いかける。
ウィレムは少しだけ息を切らしているようだが、少し考え込む素振りを見せるなり、口を開いた。
「ここは魔王城の最上階。陸地に飛び降りようものなら岩のシミ、海に飛び込もうものならこの海域をうろついている魔界ザメのオヤツだ。……追手を警戒しつつ、飛び降りても平気な高さまで降りるしかねェ」
ウィレムのその答えに、ジーナは無言で首を縦に振った。
「『海に飛び込む』、か……。あるいは使えるかもしれねェ」
走り続け、吹き抜けになっている大きな橋に差し掛かった。こんな大事になっているのにも関わらず、月の空は相変わらず穏やかだ。ウィレムはちょうど橋の半ばあたりで立ち止まるなり、身につけていた鎧を脱ぎ始めた。
「ウィレム……? どうしタ? 気でも違ったカ?」
ジーナは自分で「気が狂った」と口に出したおかげで、ウィレムが何をしようとしているのかを勘づいた。
「まさカ……」
「そう、そのまさかさ。ジーナ、ここの柱を叩き壊してくれ」
ジーナは大鎌を両手で構え、すぅっと息を吸い込むと、勢いよく柱に打ち付けた。
ズゴン! と大きな音を立て、鋼鉄で出来た柱が見事に歪む。ウィレムは脱ぎ捨てた鎧をその周辺に転がし、マルティスから剥ぎ取った衣服を柱の先端に引っ掛けた。
乱心して橋から飛び降りたと思わせる寸法だ。ウィレムは作業を終えると、その橋から勢いよく飛び出し、すぐ下の橋に乗り移った。胸当てを海に放り捨てると、その鉄の塊は期待した通り大きな水音を立てて水面に叩きつけられ、沈んでいった。
「よく思いついたナ!」
「感心するのは後だァ行くぞ!」
ちょうど下の段に乗り移った時、追手の怒号が聞こえてきた。追手は二人のすぐ真上に走り寄り、まさか飛び降りたのか、気が狂ったのか云々と口々に言い合う声が虚しく響き渡った。
二人と一人の逃走劇は続く。不思議なことに、追手がほとんど、いや一人もいない。どういうことだ、とそんな疑問が二人の胸中で渦巻いていたが、二人共敢えて口に出そうとはしなかった。
「はぁ……はぁ……」
「ウィレム! 大丈夫カ!」
ウィレムの走る速さが明らかに遅くなってきたのを感じて、ジーナは少年のもとに駆け寄った。周囲を感知する魔法に加え、ほんの一瞬の遅延もなく感覚を他者と共有する【伝心】、消耗の激しい魔法を同時に使うのはまさに燃料の池にそのまま火を放つようなものだった。
「……大丈夫だ……! まだまだ余力は全然あるっ……! お前こそ大丈夫か……?」
「ダイジョブ! 外で月の光をたっぷり吸ってきたから……
ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ……
突然、そんな不気味な音と共に、影が固まったような何かが床から、壁から、天井から這い出してきた。
「なんダ!? こいつら……! 魔物じゃなイ!」
「おおかた……宰相の秘密兵器だろうなァ」
「キキキキキキキキ……」
不気味に震えながら、群れのうちの一匹がウィレムに飛びかかる。疲労を隠しきれないウィレムが反応が遅れることを直感したのか、ジーナが前に飛び出そうとするも、後ろから組み付かれてしまった。
「チィッ……! ウィレム!」
ジーナがウィレムに目を向けた刹那、金色の閃光が目をくらませたと思えば、背中にまとわりついていた怪物が真っ二つになっていた。
「ジーナァ……自分と王子の心配をしろォ」
「……! 『マテリアライザー』だナ!」
ウィレムの両手からはまるで稲妻のような刃が伸びていた。蠢いている敵に勢いよく飛びかかり、その刃で斬りつけると、まるで煙を腕で払うかのように真っ二つになり、べちゃりと音を立てて床に転がった。仲間がやられたことに臆せず、他の敵が次々に襲いかかってくる。
「ソォラ!」
襲い来る攻撃を巧みに回避し、生じた隙を突いて的確に撃破していく。荒々しくも、まるで舞うような優雅さだ。
複数体が飛びかかれば【
……が、同時に敵をいくら切り捨てても、全く数が減る気配がない。戦いは消耗戦の体を見せていた。
「キリがない! なんとか突破口を見つけないト……!」
「……クソっ……魔法も物理攻撃も効果無しかよ……」
背中を合わせながら、二人はどうすればいいのかを必死こいて考えるが、まるでアイデアが浮かんでこない。『マテリアライザー』は体内の魔力に実体を与え、物理的干渉を可能とするヴァレフォル家固有の魔法だ。……しかしそんな伝家の宝刀も、まるで役にたっていない。
「……【
飛び込んできた怪物に向け、ウィレムは手のひらから強烈な爆風を放った。すると敵はこれまでとはまるで違う挙動を見せた。
半液状の体が飛び散るようにバラバラになり、再生に相当手間取っているのがわかる。
「ジーナ! 【
「分かっタ! ……え~ッと……確か手のひらに魔力を……」
「……できる限り集中させて! 一気に! 勢いよく打ち出すんだよ! 前に教えてやったとおりだ!」
「セイッ!」
掛け声と共に、ジーナの手のひらからウィレムのそれと同じ爆風が放たれる。やはり効果は抜群のようだ。周りの怪物を足止めると、二人はその間を縫ってマルティスを連れて長い階段を駆け下りる。先程から魔力を浪費し続けたせいか、ウィレムは疲れを隠せなくなっている。
階を下るごとに怪物の数が目に見えて増えていく。五、六階層をまたぐ頃には通路が真っ黒に染まり上がっていた。
「マズイなァ……」
「こうなったラ……『霊術』を使ウ」
「……ダメだ。今その技を使えば、お前は完全にバテバテになっちまうどころか下手すりゃエネルギー切れで死ぬぞォ」
鎌に力を集めていたジーナは、ウィレムの言葉で武器をおろした。大量にエネルギーを使ってしまえばそれこそ終わりだ。
……何十分にも渡る逃走で、二人の体力はもう底をつきかけていた。
「でも……どうすれバ……」
「もしかしたら……全員で逃げるのは無理かもなァ」
「そんナ……」
ジーナが油断して生まれた一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。伸びた触手は、勢いよくジーナの手の甲を貫通し、さらなる追撃で吹っ飛ばされてしまった。
「ぎゃうっ!」
「ジーナ!」
ぼぎぼきっ……
ジーナが傷ついて動揺を見せたウィレムの腕にも太い触手が絡みつき、振りほどく間も与えず、骨を握りつぶした。
「……かぁっ……!」
悲鳴をこらえ、腕のことなど気にせず、衝撃波を放っても怪物はすんでのところで攻撃をかわしてしまった。最悪なことに、影の塊は二人の戦い方を学習していたのだ。
「くっ…… まダ……まダいけル……!」
ジーナは手の甲からボタボタと血を流しながら鎌を握り直そうとするが、どうやっても力が入らないようで、何度つかみ上げようとしても、得物がずり落ちて甲高い金属音を立てるばかりだった。
「……」
ウィレムは自分の折れた腕と、ジーナの傷ついた腕を交互に見つめ、何かを悟ったように息を吐いた。
――もう、俺とジーナと王子の三人でここを出るのはもう無理だ――
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