魔王の底力

「ちっ……父上っ!!」


 真っ暗闇に激しい咳込みが聴こえる。恐る恐る目を開けるなり放ったマルティスの悲鳴が狭い部屋に響き渡った。


「ごぶっ……マルティス……逃げなさい……」

「いいや……残念ながら逃がすわけにはいかぬのだよ」


 宰相は不気味な笑みを浮かべ、影が変形したであろう茨を蠢かせながら、一歩、また一歩とマルティスに近づいていく。


「うっ……あぁ……」


 いつの間にか居合わせた者達も縛られるか命を奪われてるかして、誰もマルティスを助けられる状態には無い。逃げろと言われたマルティスの足は恐怖でがすくみその場から動くこともままならない。コルニスは、とマルティスは押しつぶされそうな重圧に抗い、弟の安否を見極めるべくあたりを見回すがどこにもいない。そこには文字通り影も形も無かった。


「あぁ……コルニス様のことはご心配なく。これから私が新たな国の長になるのに、王族を根絶やしにするわけがありますまい。……ただ、マルティス様、そして陛下、あなた方はここで神の下へとお送りさせていただきましょう」

「……!」


 宰相の浮かべた悪魔じみた笑みはマルティスの中の怒りの感情を呼び起こし、恐怖を押しのけてその身を立ち上がらせた。


「マルティス逃げなさい……っ! お前ではこの状況を打開することは不可能だっ……!」


 息も絶え絶えになりながら絞り出された父の忠告を無視して、マルティスは宰相の襟に掴みかかると、その拍子になにかが千切れた音がした。


「このクソ野郎! ふざけるな! よくも父上を……」

「邪魔だ」


 一瞬、貼り付けたような邪悪な笑みが消え失せ、無表情になった宰相がなにかを唱えた瞬間、手のひらから湧き上がった不気味な光が辺りを埋め尽くした。


「マルティス――――ッ!」


 全身を茨で串刺しにされて動けない魔王は、息子の身に起きた恐ろしい事態に身を捩らせて悲痛な叫び声を上げる。光が止むと、そこにはマルティスは死んだように力なく、首を締め上げられている光景が広がっていた。


「ぐっ……」


ブチ……ブチチッ……


 魔王は死力を振り絞り、全身を貫いている茨を引きちぎり、そばに落ちていた大槍をなんとか拾い上げると、身を翻らせ宰相に勢いよく斬りかかった。


「ほう……まだそんなチカラがあったとはね……」


 魔王はゼルキスの腹を勢いよく蹴り飛ばし、微かな物音のした天井を一瞬だけ睨むと、声の限り叫んだ。


「そこにいるのはわかっているぞっ! 何をボケッとしておるのだ! マルティスを助けぬか!」

「ふん……頭がおかしくなったのかね?」


 宰相が魔王の叫び声など気にもとめず、マルティスを床に乱暴に叩きつけると、地面がグラグラと揺れた。その衝撃で怯んだ隙を突き、魔王の首を刎ねようと漆黒の刃が勢いよく振り抜かれる。


 ズグッ……


 確かに当たった。宰相は確信して笑みを浮かべ、魔王を見やると、思わぬ光景に驚愕からその金色の目を見開かせた。確かに命中していた攻撃は魔王の命を奪うに至らなかった。その刃は魔王の頬を貫いているだけだった。武器が信じられない力で噛み締められ、力尽くで引き抜こうにもビクともしない。


「魔王を……舐めるな……!」


 その瞬間、天井から何かが床に叩きつけられた。


 ◆


「おいっ! どうするんだよ! マルティスが! 魔王様ガ……!」


 天井裏から歴史に残る大事件を目にしていたジーナは、隣にいるウィレムをゆさゆさと揺さぶりながら問いかけるも、ウィレムは目を見開き、声を震わせて意味のない言葉を漏らすだけで動かない。否、動けないのだ。

 有事の際には王子を守る……ウィレムもジーナも、マルティスに近い世代では抜きん出た実力を持っている。……だが、突然、大人でも息巻いて動けなくなるほどの大事件が起きては、なおさら頭で考えた通りの行動が出来るわけは無い。


『そこにいるのはわかっているぞっ! 何をボケッとしておるのだ! マルティスを助けぬか!』


 鋭い金属音がした直後、かすれた怒声がこちらに伝わってきた。その言葉でウィレムはようやく正気を取り戻したのか、鋭い金色の目を一層鋭くさせ、首に巻いていたタイを解き、口元に覆わせた。


「ジーナァ……お前もそのスカーフで口元を隠せ。鼻もだ。そんで俺がいいよって言うまで絶対に目を開けるな。あと俺の手を絶対に掴んで離すな。……それと俺の指示は絶対。説明している時間はねェ」

「……わかっタ」


 ジーナはウィレムの言う事なら大丈夫だろうと、赤いスカーフを上にずらして鼻と口を覆い、覚悟を決めて息を吸い込み、目をぎゅっと閉じた。

 準備が出来たのを見届けると、ウィレムは天井を蹴破って録画石を勢いよく叩きつけた。


 カシュッ……


「ぐっ!? なんだこれはっ……!」


 丁度宰相の足元に叩きつけられた録画石が奇妙な音を立て、青色の煙幕になった。マルティスの言った通り、煙が目に入れば確実に失明するようで、煙に真っ先に巻かれた宰相が目を押さえて苦しみだしたのが見えた。


「突撃ィ!」


 目を閉じたまま、二人は荒れ果てた儀式場に飛び込んだ。まるで見えているかのように障害物を避けながらボロきれのようになっているマルティスの元へ走る。

 

「どうだジーナ……ちゃんと見えるか?」

「バッチリ!」


 ウィレムは体からバチバチと放電しながらジーナに問いかけた。ヒトならば感じられないほど弱い電流を広範囲に張り巡らせ、その圏内に入ったものを感知する【警網】の魔法だ。


「まるデわたしもその魔法使ってるみたいダ!」

「後でお前にもコツを教えてやるよォ! 生きて帰れりゃだけどなァ!」


 ウィレムがジーナに合図を送ると、ジーナはウィレムの言った通りその足を止めぬままマルティスを空いた片腕で担ぎ上げた。


「ナイスだジーナ!」


 礼拝堂の出口に差し掛かった辺りで録画石の霧が晴れると、宰相が立ちふさがった。


「やってくれますねぇ。 まさか録画石をそんな風に使うとは考えもしませんでしたよ。……おかげで……目が潰れてしまいました。ガキ二人……ということはヴァレフォル家のウィレムと、死神族の小娘、ジーナですか。そのボロキレを持っていったところで無駄ですよ? どうせ助からない」

「ほざけ! この薄汚ェダニ野郎!」 


 役に立たなくなった目を閉じたまま顔を歪ませた宰相が腕を振りかぶると、臨戦態勢を取ってウィレムが構える。……が、両者が激突するよりも早く、満身創痍の魔王が三人をかばうように前に立ちふさがった。


「魔王様……!」

「ウィレム、ジーナ。……私の息子を頼んだぞ」

「……仰せのままに。我がタマシイを賭けてマルティス様をお守りします」


「チッ」


 礼拝堂を飛び出した三人の方に顔を向けながら宰相が心底憎らしそうに舌打ちをつくと、魔王はそれをあざ笑うかのように大声で笑い倒した。


 「悔しいかね? もしあの三人を捕まえたいなら好きにするがいい。……だが、私を倒せればの話だがねッ……!」

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