崩壊への悲鳴
ーいよいよだー
魔王は付き人から渡された原稿を鋭い目でじっと見ると、すぐにひっくり返して台の上に置き、軽く咳払いをしてから厳かにその口を開いた。
「……我々は、今この瞬間、かつて誰もが至らざりし領域に到達する。偉大なる魔界帝国初代大魔王、偉大なる黎明王がこの国を建国なされてより千年の時が流れり。しかれども、社稷は未だ尽きぬ。遠く光の世界をさぶらえども、かほどの長き時を生きた国は未だかつて無し」
……おお……すげぇ……カンペを一瞬チラ見しただけでなんの滞りもなく……
マルティスは父親の優れた経験の為せる技を体感し、感動で銀色の瞳をきらめかせた。
……だが、最近起こっている事はご存知ではないのか?
魔王の勅語はまだまだ続く。
「貴殿らに問う。この繁栄は我、魔王の存在ゆえか? 王侯
貴族、乃ち民の上に立つ者の徳、威信がゆえか?」
「……否、不毛にして魑魅魍魎の跋扈せしここ闇の世界にありても、搾取よりも共有を、迫害よりも共存を、そして力よりも徳を選びし者のあるがゆえなり。其に関せば平民、貴族の序列せし所は無し。この千年の繁栄はひとえにこの国に生くる遍く全ての民のゆえなれば」
ずずっ……
天井の方からかすかにそんな音が聞こえた気がする。
◆
「ずずっ……」
「ダイジョブか? わたしは魔王様の言ってること、さっぱりダ」
すすり泣いたのはウィレムだった。まだ公用語に習熟しきっていないジーナは、難解で古い言葉を使う魔王の意図がいまいちわからず、肩を震わせているウィレムを優しく叩いた。
「えェと……つまりだな……魔王様は……俺やお前みたいな子供でも……この国の繁栄に貢献してるって……」
「おお、確かにそれ嬉しいナ」
ウィレムが魔王の言葉にここまで情緒を揺さぶられるのには理由がある。王たる器の者は、全て優れた話術を持ち、さらに特殊な力強い声質がそれに説得力を与えるのだという。いわば催眠に近い能力だ。
「この機をもって貴殿ら王侯貴族に厳命する。万民よりも強き者達よ、決して驕らず、いたずらに民を傷つけることなく、その力をもって彼らを導く灯火となれ。……諸君のさらなる活躍を、切に期待する。……以上だ」
魔王のゆっくりとした厳かな演説が弱い咳払いで締めくくられると、十数人の聴衆から拍手の音が起こった。
威厳を見せるべく丈夫に振る舞ってはいるが、額から流れる汗や荒い息から、相当疲れていることがうかがい知れる。
「では、次はゼルキス宰相のお言葉を」
それまで空気のように目立たずそこにいた付き人は、今度は宰相に壇上に立つように促した。
「それでは……謹んで」
宰相はうなずいてゆっくりと立ち上がり、魔王のそれよりも低い高さにある台に登った。
「え〜……それでは」
「いや! ちょっと待っていただこう!」
マルティスは宰相が喋り始めたのを遮り、椅子から立ち上がった。
「……ほほほ、なんでしょうか、マルティス王子」
「どうかしたのかね?」
その段取りとは異なる展開に、周囲の人間は困惑しているようで、マルティスが声を上げると同時に場はざわめき始めた。
「皆にこれを見てもらいたい!」
マルティスが何も飾られていない壁に件の地図を張り付けてみせると、その場にいた殆どの人間が困惑の声を上げる。宰相のひげの奥にある口が僅かに引きつったのを、王子は見逃さない。
「ご明察のとおり! この地図はここ数年で起きている事件を書き加えたものである! この地図によればパンデモニウムを除いた全ての都市で暴動が起き! その鎮圧のために実力者達が派遣されているのは事実であるが!」
「この国をまわって商いをしている死神族達から聞くところによればこれらの騒ぎは! 全く同じ時間、同時に発生したものである! そしてここパンデモニウムで公式に発表されたこれらの日付とは大幅なズレが存在し! 暴動の起きる前に派遣が決定されている都市もある始末だ!」
(どういうことだ……?)
(確かこの一件は丞相殿がすべての任を……)
(先輩……死神族が嘘をついてるなんてことは無いんですか……?)
(死神族が嘘をついた話を聞いたことは無い……伝聞の過程で情報が誤った……? いやそれも考えにくい……やつらの記憶力に勝るものはないはずだ)
(じゃ……じゃあ……)
「皆の者! 静かに!」
玉座に座ったまま、魔王がピシャリとそう言い放つと、この場は急に静まった。
「丞相。……これはどういうことかな? 説明しなさい」
しばらくして、厳かに、そしてずっしりとした重圧のある声が狭い堂内に反響した。しかし宰相は黙ったまま答えない。
「……はぁ。死神族共め……」
「もうすぐでうまく行きそうだったのに残念だ」
顔を上げた宰相の放った声は、これまで耳にしたことのないような恐ろしいものだった。
「まさかこんな小僧に見破られるとはな。甘く見ていた。流石は腐っても魔王の息子なだけある」
「ふん……それが本性かっ! あんなお粗末な小細工でこの銀の目を誤魔化すことはできやしないんだよ!」
見下すように一瞥されてもなお、マルティスは力強く啖呵を切って見せると、それを引き金にそれまで固まっていた周囲の何人かの文官達も宰相を糾弾し始めた。
「ゼルキス! 貴様これはどういうことだ!」
しかし、ほとんどは不気味な笑みを浮かべながら突っ立っているだけだ。マルティスがそれに気づいた頃には手遅れだった。
「これは重大な裏切り行」 ズグッ!
突然、宰相の足元から黒い何かが飛び出し、一人の顔面を貫いた。
「なっ……」
うろたえている瞬間に一人、また一人、宰相に食って掛かった文官達がおぞましい凶器に貫かれていく。全身に返り血を浴びた宰相の眼に、この世ならざる光が宿ったのが見えた。
「バレたなら仕方ない。悪いがここがお前たちの死に場所であり、今この時がこの国の命日だ」
影が変形しているのだろうか、宰相の足元の黒い影から、無数の棘が生えた茨のようなものが何本もうねうねと揺らめいている。
「な……なんだこの能力は……!?」
「ククク……これから死ぬ連中に説明する必要は無いだろう」
「マルティス! 逃げろぉ!」
逃げ……逃げないと……! 父親が叫んだようにマルティスは自分の体を動かそうとするも、目の前に立ちふさがった恐ろしい化け物への恐怖で足がすくんで動けない。
力の無い自分がこの状況を生きて脱するには逃げるしか無い。それなのに逃げるための足は震えるだけで動かない。
「さぁ、お別れの時だ。死ね」
淡々とした言葉と共に、無数のイバラが空を切ってマルティスに襲いかかる。
ドズドズドズドズ!
恐怖から目を閉じたマルティスの耳に、なにかに突き刺さる鈍い音だけが入ってきた。体に傷がついていない。
……何が起きたのか、この眼で見なくても分かってしまう。心臓がバクバクと激しく鳴っている。……マルティスは恐る恐る目を開けた。
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