魔王の登場
「ふぅ…やっと着いた」
魔王城の最上階にある礼拝堂にて例の儀式は行われる。意識せずとも緊張しているらしい。息が荒く、鼓動が速くなっていくのを感じる。
……いや、これはただ長い階段を走って登ったからだ。既に貴族たちや文官達が集まっているのだろう、大きな扉の隙間からはざわめきが聞こえてくる。
扉を開けるなり、中の連中の視線が一斉にこちらに集まってくるのを無視して、父上の家族……つまり王族のために設けられた席に歩いていくと、横から聞き慣れた声が飛んできた。
「遅いっ!」
弟のコルニスだ。兄に対する口の効き方とは思えない口調で遅れたのを諌めてくる。
「いやぁちょっと腹を壊してしちまってな」
「まったく! 最近たるんでるんじゃねぇの!」
こんな場で騒ぎを起こすわけにはいかない、とのらりくらりと追求をかわしていると、次第にヒートアップしてきたのか言葉がだんだん荒くなり、罵倒の言葉も混ざってきた。
「いっつもいっつも! あの"蛮族"とつるんでるからそうな……」
パァン!!!
コルニスの聞くに堪えない暴言は、不意をついて飛んだ甲高い破裂音でかき消された。
「ひぎっ……!」
たまらずコルニスは倒れ込み、たちどころに真っ赤になる頬を抑え込みながら俺のほうを睨みつけてくる目からは、怯えと敵愾心がありありと読み取れる。
俺は気にも止めずに、ガキのくせに一丁前に首に巻かれた白のタイを引っ張り上げ、もう一度ビンタを食らわせる。
五、六回その面を張ったら、こちらを睨んでいた両目からポロポロと涙が零れ始めた。……周りの連中は静まり返り、こちらをじっと見つめているだけだ。まったく、誇り高き魔界帝国の上に立つものでありながらこんな差別を見過ごすと言うのか? 情けない限りだ。
「うっ……ぎぃ……」
……そしてなによりも情けないのはこいつだ。王位継承権はなくてもこの帝国の立派な王族だ。それなのにこれはどういうことだ。
「おい、泣くのは早いぞ。『蛮族』とは死神族のことか? 我々がどれほど連中に助けられているのか知らないのか?」
コルニスは生意気にこちらを睨みつけたまま何も言い返してこない。力では勝てないと踏んでなんとかごまかそうとしているのだろう。
「聞いてるんだよ! 答えろ!」
我慢の限界を感じてこぶしを振り上げた瞬間……
「まぁまぁ、良いではありませんか」
突然後ろから不気味な重々しい声が聞こえてきた。
……!
丞相だ。立派な白いひげを蓄え、重厚な衣装に身を包んだその男は、俺の振り上げた腕を軽く抑え込んできた。父上とそっくりな見てくれをしているのに、その目つきはどこまでもうさんくさい。
「……誰かと思えば」
コルニスは宰相が止めに入ったと分かると、すぐに足元に隠れるようにしてこちらを睨みつけてきた。
「マルティス様、あなた様は王位を継承する資格のあるお人だ。たとい相手に全面の非があったといえども、暴力に訴えるのは決して賢明とは言えますまい。それにコルニス様はまだ七歳でございます」
「すぐにぼーりょくに走るなよ!」
宰相が出てくるなり、弟の態度が一気に強くなった。さすが宰相に教育を一任されているだけあって、相当甘やかされているのがわかる。
「『まだ』じゃない、『もう』七歳だ。だからこそ、魔族、死神族、鬼族、獣人族……四大種族だけじゃない、この国の全ての民の間に差別を生むような考えを芽生えさせてはならない」
「随分と賑やかにやっているようだね」
その澄んだ声が突然狭い礼拝堂に響き渡ると、睨み合っていた俺と宰相のみならず、その場の皆が一斉に声のした方に目線を移した。この国の君主、魔王が現れたのだ。
「父上!」
「マルティス。元気そうだね」
魔王様は駆け寄った俺に優しく微笑んでみせた。老いて痩せておられるが美しい銀色の瞳の輝きはまるで損なわれていない。病に侵されている事が嘘のようにすら見える。
「ちっ……父上に置かれましてもご壮健で何よりでございます! これからの益々のご多幸を切に……」
「ふふっ……ありがとうマルティス」
父上は顔と頬を真っ赤に腫らしているコルニスをちらりと見るなり、すっと膝をおろして語りかけた。
「コルニスよ、彼らは王を慕い、この国に生きている。そこに野蛮と文明の優劣もありはしない。……これが終わった後、もし自分が、自分が言ったようなことを言われたら、どう思うかよく考えてみてみるといい。君はもう七歳なんだからね」
子供をなだめるような口調で語りかけられ、コルニスが悔しそうに顔を背けると、魔王はふぅっとため息をついて、今度はこちらに振り向いてきた。
「マルティス……君は民のことを何よりも大事にしているね。しかしいいかい、王たる者がたのむべきは言葉と知性、そして徳だ。丞相の言うように、むやみに暴力で解決を図ってはいけないよ。それをするのは他に打つ手が無くなったときだけにしなければならない」
「……はい」
返す言葉もない。大切な友を悪く言われたことにカッとなってしまったことは事実だ。顔をあげられずにうつむいていると、父上は肩に手を置いてまた口を開いた。
「……それでも、君の行動は決して間違いではない。まだ生を受けて十四年も経っていないというのに、本当に立派に育ったね」
「……! 身に余る光栄でございます」
その言葉に思わず目頭が熱くなり、感情が表に出そうになるのを必死で取り繕ったのはお見通しだったようだ。さらに父上はクスリと笑ってまた口を開いた。
「……だが、私の部屋を勝手に荒らしたり、持ち出した本を返しに来ないのは感心しないね」
これもまた返す言葉は無い。事が終わったら素直に謝って返しに行こう。
「確かなくなったのは……『災害史』、『天変地異全集』、あとは『獣人族の秘密』……はて、他に何があったかな」
……!?
「そうだ、あとは『美獣人大全』だったね。君は獣人族が好みなのかな? それならいい見合いの相手を探しておかないとね」
くすくす……
制止するも遅く、何もかも白月の下にさらされてしまった。先刻までの張り詰めていた空気はどこへやら、周囲からは小さな笑い声が聞こえ始める。
「いいえ父上、私は確かに我々ヒトとは異なる能力を持った獣人族らに学術的興味がありますが、決してそういう意味での『好き』では……」
「なぁに、恥じることではないよ。この世には男が好きな男もいれば、女が好きな女だっている。いわんや獣人族をや、ということだよ」
「……さて、これで雰囲気も良くなったし、そろそろ始めようか」
そう仰って父上が一段高い場所に登られると、その場の一同は一斉に静まり返り、まっすぐと魔王に正対した。……俺が作った嫌な空気を和らげるために? あるいは弟への暴力への罰として? こんな仕打ちを受けているのか俺は?
ガタッ……
その瞬間、天井から物音がした。ようやくウィレムとジーナが配置についたようだ。ということはさっきまでの胸糞悪い会話はもちろん、俺の知られざる秘密を聞かれた、ということもないようだ。良かった。
◆
ちょうどシャンデリアの真上あたりの天井裏に録画石がはまるくらいのくぼみが勝手に開けられていたのがわかった。まるでフクロウのように暗いところでもなんなく物を見れるジーナはともかく、ウィレムはこのガラクタだらけの天井裏で、物音を立てずに配置につくにはどうすればいいか、と悩んでいたウィレムの助けになった。
「ジーナ、なるたけ音を立てるな」
「いまのはしょうがないだロ、あんナ趣味があるなんテ知らなかったかラ」
王子の意外な一面が文字通り衆目にさらされ、下の方で何があったかは知らないが殺伐としていた空気が和らいだようで、同時に魔王の暴露に驚いたのか、ジーナは一瞬取り乱して物音を立てた。
「……まァ、言ってやるなって。隠していることを誰かにバラされるのは辛いもんだぜ」
「キェん、おまえにもあるのカ?」
「……まァな、お前も気づいてねェだけであるかもしれねェぞ?」
「ふーん……?」
金色の瞳を覗き込んでくる水晶の持ち主を押しのけながら、ウィレムはそっと口を開いた。
「さァ、まもなく始まるぞ。念のためいつでも戦いを仕掛けられるように、戦闘の準備はしておくぞ」
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