最上階へ
「わぁ……すごいナ」
いたずら王子の隠れ家に入り込むなり、ジーナは感嘆の声を上げた。マルティスの言うところの秘密基地はあらゆるガラクタか何かで埋め尽くされている。
父親の書庫からくすねてきたであろう、大量の付箋をくわえた格調高い装丁の書がうず高く積み上がり、机の上には弓矢を改造したような物……あとは食べかけの干し肉とイルカのチーズ……が薄紙に包まれてそのまま置かれている。
あとは至るところに赤い印や書き込みのある魔界帝国の地図が壁に貼り付けられていた。
「なんだ? この地図」
地図にぐっと目を凝らしてみると、魔界帝国の十二の大都市すべてに赤い丸が付けられ、その隣にメモや日付と合わせてよくわからない数字が書き留められている。
ウィレムはハッとして地図に顔を近づけた。ここパンデモニウムから最も遠い距離にある都市に、自分の一族の名が記されていたのだ。そして「ヴァレフォル」の隣にあった数字は、ウィレムの父親が家を出た日付を示していた。
「お前なら気がつくと思ったよ。察しの通り、この国は裏で何かとんでもないことが起きつつあると分かったろう。俺がお前たちにこっそりと儀式の顛末を記録してほしいと言った理由がわかるはずだ」
「……儀式の大事な場面でこいつらを突きつけて丞相に一泡吹かせてやる」
「王子は、この地図を見たときの丞相の反応を記録して……そして王子を守る為にわたし達を呼んだんだナ?」
「そう! まさしくそのとおり!」
マルティスは沸き立って指と指と打ち合わせた。これがこの王子の狙いらしい。
「……で、確か重要な儀礼はこの魔王城最上階の礼拝堂で行われるんでしたね。問題は警らの兵達をどうやって回避しながら進むか……ですが」
「ウィレムの雷の力で……と思ったがあれは派手すぎるし確実に死人がでる。素早い動きが苦手なジーナは隠密行動が得意じゃない」
そんなことをぶつぶつとつぶやきながら、マルティスはガラクタ箱をゴソゴソと漁った末、二対の鉤爪を取り出して二人に投げ渡した。
「……これで登れと?」
「お前達ならできると踏んでの頼みだ。うまく行ったら……かならずそれに見合った事をするからさ、頼むよ」
ー皇子ーっ! マルティス皇子ーっ!?ー
上の方からこの脱走常習犯を呼ぶ、慌てた女中の声が聞こえ始めた。大方、寝室に起こしに行ったと思えばもぬけの殻だったのだろう。
「あまり騒ぎを大きくするわけにはいかないな。じゃ、頼んだぞふたりとも」
「……へいへい」
「めんどっちいナ」
「あぁ言い忘れてた」
口々に文句を垂れる二人をよそに、城の中へ通じる扉を半ば開けたところでマルティスがウィレムに手渡してあった録画石を指さした。
「その録画石、強い衝撃を与えたら爆音と共に粉々になり、煙状の破片が目に入れば失明は免れない。くれぐれも気をつけろよ」
そう言い終えると、王子ははしごに足をかけるなり明かりが漏れてくる方へ消えてしまった。
◆
「王子ー! マルティス王子ー!?」
「呼んだ?」
女中が後ろを向いている隙に現れたこのいたずら王子は、何食わぬ顔で壁にもたれかかっていた。
「王子!? いつの間に!」
「妙なことを言うじゃないかカリーヌ。自慢の鼻が詰まってるんじゃないかい?」
女中は後ろを向いている間に突然現れたのを見てうろたえている。王子はそれをからかいつつ通り抜けようとすると、行く手を塞がれてしまった。
「そっ……そんなはずはッ……! とにかく王子! あなたまた城から無断で抜け出しましたね! 今日こそ丞相様に報告しまー
言葉を遮るようにマルティスが懐から何かを取り出し、女中の手に置くと、その女中は目を見開かせた。
「こっ……この匂いは……!?」
「これあげるからさ、皆に「王子は腹壊してた」って伝えてくれない?」
その薄い銀の膜で包まれた物の匂いを嗅ぐなり、女中は目を輝かせ、よだれが止まらないのか口を手で抑え出した。
「にゃ〜! マルティス様さいこうッ!」
「へへ……そうだ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
マルティスは一瞬目をそらして笑ってから、真剣な顔つきになってカリーヌに向き直る。
「丞相についてだ。ほんの些細なことでもいい、何か気になることがあったら教えてくれないか」
「うーん……丞相様はいつもどおり素晴らしい人だと思いますよ? 私達獣人を重く用いてくださります」
「……そうか。なぁ、これだけはわかってほしいから言わせてもらう」
マルティスはカリーヌの表情を見て、ふぅっとため息を吐いた。
「いいか、獣人族が街の連中からあまり良く思われていないのは知ってる。まだ連中はお前達の事をよく分かっていないだけだ。ヒトってのは自分の知らないものを怖がる生き物だからな」
「……だといいんですけどね。ほら王子、そろそろお時間ですよ」
「ああ。そろそろ行くよ」
手にしっかりと『口止め料』を抱えたカリーヌににっこりと笑いかけ、マルティスは最上階、『礼神堂』に繋がる長い階段を登り始めた。
……きん……
「あら? 外から何か聞こえるわ……?」
一人残されたカリーヌの地獄耳は外から金属同士をぶつけ合う音をしっかりと拾ったが、すぐにそれどころではない、と生唾を飲み、手に抱えられた物をむさぼるため、人の通らない物置へ足を運ぶのだった。
◆
キン……キン……
キン……! キン……!
キィン!! キィン!!
「ジーナ! そんな急ぐ必要はねェぞ! このペースを続けてたらすぐにヘトヘトになっちまう!」
静寂の支配する街に、軽い金属音が何度も何度も鳴り響く。鉄でできた魔王城の城壁を、鉤爪を使って登る音だ。
「ダイジョブ! お月サマが出てるからナ!」
重たい大鎌を背負いながらかなりの速さで垂直の壁を登っても、ジーナは息切れ一つしていない。下から飛んでくる忠告に対し、空に浮かぶ満月を指さして軽快に応えた。
「それだけじゃねェ! あんまり急ぐと手か足が滑って真っ逆さまに……
ツルン!
「あ」
ウ ィ レ ム の 手 が 滑 っ た !
滑って高いところから真っ逆さまに……と忠告した本人が手を滑らせた。手をかけた壁が偶然ほんの少しの錆も無くツルツルで、しかも結露の水滴が溜まっていたとなれば、ヤスリの手袋でも付けていなければ誰でも滑るだろう。
「うっ……うわっ……!」
一気に高度が下がって下腹部の圧が急に下がる感覚に襲われる。どこかに引っかかろうと鉤爪を振り回すも、捕らえるのは空気だけだ。
ーやばい死ぬー
遥か下に見える石畳を見て、ウィレムは死を確信した……
「ウィレム掴まレ!」
ついに体勢を崩しそうになった少年の眼の前に黒い金属の塊が上から差し出される。視界に入った瞬間、ウィレムは両手でそれにしがみついた。
ジーナの差し出した大鎌だ。
「……フゥ。間に合っテ良かっタ」
幸いにも分厚く頑丈な布で冷たい輝きは隠されており、掴まった手を傷つけることはなかった。
「……すまねェジーナ」
「おまえの言うとおり、モウチョイゆっくりのほうがいいかもナ」
左手だけを壁から離したままジーナはそうつぶやいた。死を目前にした恐怖から激しく狼狽しているのを見られ、ウィレムは気恥ずかしそうに目を逸らした。
「どうすル? このままぶら下がってるカ?運んでやってもいいゾ」
「なっ……!? 舐めるなよッ! 俺は男だッ! そんな情けない真似はできねェ!」
ジーナは不思議そうな顔をしながら鎌を大きく上に振り上げると、宙を舞ったウィレムは反射的に壁にしがみついた。
「うわッと……! 相変わらずすげェ力だな……!」
「今度はちゃんと落ち着いテ、登るんだゾ?」
下を向いてみると、ジーナがいつもの活力に満ちた笑みを見せてくる。なんとも言えぬ気持ちになり、ウィレムはその感情を振り払うように登り始めた。
ベルトの袋から感じられる録画石のずっしりとした重みは、例の道具が落っこちていないことを語らずとも示していた。
「なぁウィレム」
「ん?」
下から声が聞こえてきたと思えば、トカゲのような速さでジーナがウィレムの隣に並んできた。
「さっきから気になってんだけド、男だったら誰かに助けられちゃダメなのカ?」
「……そりゃあそうだろ。そういうもんなんだよ」
「どうしてそう言い切れるんダ?」
答えがすぐに見つからず、さもそれが当然で、疑問に思う余地すらないかのように答えるウィレムに、ジーナはしつこく問い詰め続ける。
「……結局、何故かはわからないけド、そうだと思ってるってことカ?」
「……むぅ……」
ついにウィレムは言葉に詰まってしまった。昔から「男はかくあるべき」と教え込まれ、それを疑う余地も無く、考えることもせず育ってきたツケだった。
「あ、もうサイジョウカイだナ! この話はこれが終わったらゆっくり話ソ!」
「……あァ、そうだな」
このやりとりをしている間にも壁を登り続けていた二人は、最上層の巨大な時計までたどり着いていた。時針はまもなく十時三十分を差すところだ。
時計の一部に扉があり、お誂え向きに鍵は外れている。マルティスの"小細工"のおかげだろう。
そこから狭い隙間を通り、ようやく礼拝堂の屋根裏に二人は伏せて録画石を取り出すのだった。
いよいよ始まりだ。
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