王子の誘い

「さァて」


 屋敷の大きな扉を背にしてウィレムは月を仰いだ。この国の新たな節目だというのに、月の様子は昨日までとまるで同じだ。適当に持ってきた干し芋と燻製した肉をひとまとめにしてほおぼりながら、懐からこの国の王子が寄越してきたものを取り出した。



【秘密の手紙】

ウィレムへ

魔界帝国千年元日朝七時

魔狼像広場に来い

マルティス


 …………。


 こんな朝早くから呼び出しやがって、なんのつもりだあのバカ王子は。そんな罵詈が奥歯あたりまで出てきたものの、なんとか抑え込んで「秘密の手紙」とやらをくしゃくしゃにして懐にしまった。

 正直言って行きたくない。こんなめでたい日くらいはエレンと一緒にいたい。……とはいえあの王子に言われた以上、仮にも貴族としてそれを疎かにするわけにはいかない。


 ウィレムは気を紛らわすかのように口の中に含んでいた食べ物を瓶詰めの鯨乳で流し込むと、緑がかった黒髪を軽く整えて屋敷の敷地を出た。


 大通りを冷たい風が吹き抜ける。家屋にはこの国を象徴する旗が飾られ、やはり色々なところから魔王を讃える言葉が聞こえてくる……はずなのだが妙に静かなのは未だ早朝だからだろう、そう自分に納得させながら、ウィレムは足を止めずに歩き続ける。

 バカ王子とさんざんな呼ばれ方をしているマルティスだが、確かにやんちゃな所はあるものの、決して不愉快な男ではなかった。時々度を越すことがあるが、それでも悪いことをしたらどんなに身分の低い相手にも頭を下げる、そんなやつだった。


 ウィレムがそんな誘いに嫌々ながらも乗ったのも、自分の務めだから、という理由だけではないことを、実感は無いながらも薄々感じていた。これが魔王の生まれ持つという「カリスマ」というやつなのだろうか。そう頭にぼんやりと浮かべていながら歩いているとーー


 「おい! 誰かそいつを捕まえてくれ! 泥棒だ!」


 突然男の怒号が聞こえたと思うと、目の前を残像が通り過ぎた。向こう側へ走る人影が物凄い速さで遠ざかり、小さくなっていく。


 「はァ……またか」


 ウィレムは足元の小石を拾い上げて握りしめる。何かを唱えた瞬間、指と指の隙間から閃光が迸る。金色の目を見開いて盗人を見据え、小石が握られた右手を大きく振りかぶりーー


 バチンッ!!


 光の矢のごとく飛び出した石つぶては見事に盗人の膝裏を射抜き、バランスを崩した盗人は顔から勢いよく転んで動かなくなった。


 「おっ!? あんたはヴァレフォル家の……!」


 後はとっ捕まえるだけだと盗人の方へ歩いていると、先程の怒号の主が走ってきた。


 「このならずものは俺が責任持って憲兵隊に引き渡します。なので盗まれた荷物を確認してください」


 男は酒場の店主だったらしく、盗人の抱えていた袋から出てきたのは大量の酒、酒、酒。幸いなことに一本たりとも割れていない。


 「ふぅ、助かりましたよ。こいつら盗まれたら商売上がったりですから。流石ヴァレフォルさんだ、確かあのゲオルギュさんの息子でしたっけ」

 「……。ブツは全部取り返せましたか?」


 ウィレムが淡々とそう尋ねると、酒屋の店主は少年が顔を一瞬しかめたことなど考えもせず満足げにうなずいた。酒場の主人と別れ、苦しそうにうめき声を上げている悪人の足を掴んで憲兵の屯所に連れて行くと、出迎えた憲兵もこう言った。「流石ゲオルギュの子だ」と。


 ウィレムはなんとも言えないモヤモヤした気持ちを抱きながら盗人を引き渡し、件の広場への長い坂道を登る。勾配のある坂を進むにつれ、ウィレムは何か潮風に運ばれ、炭のような匂いが混じっているのに気づいた。

 果たして、坂を登りきった先の広場には一人の先客がいたのである。その先客は海に面した手すりに腰を下ろし、全身に光を浴びながら、巨大なタコの魔物、クラーケンの足の切れ端を無心にかじっていた。


 「よォ、お前も来てたのか」

 「フィヘフウィレム!」


 ウィレムに声をかけられ、その少女は勢いよく振り返った。口の中に含んでいたクラーケンの肉を飲み込むなり、明るくウィレムに問いかける。


 「いい朝だナ! 半分食べるカ? さっきもらったのを焼いたんダ」

 「いや、気にすんな。俺、もう食ってきたし」

 

 なまりの強い言葉でそうか、とだけ返すと、少女は乱れがちな桔梗色の美しい髪をかきあげて続ける。


 「おまえも王子に呼ばれたのカ?」

 「あァ。一体何のつもりなのかさっぱりわからねェよ」

 「ジュ中八九、イタズラにつきあわされたりしテ」

 「十中八九、そうだろうな。とはいえ、今日に限っちゃ大人しくしてくれるだろうよ」

 

 勢いよく頷いた少女がクラーケンに再び口をつけ、ムシャムシャと音がし始めると、二人は少しだけ沈黙する。ウィレムはそんな少女に見とれていると、手元に違和感を感じて声を上げた。


 「……ジーナ、そいつを刺してるのって……」

 「ただの鎌だゾ?」


 ジーナという名で呼ばれた少女は焼いたタコの足を何かに刺して食べていたが、何に刺していたというと、それはジーナの種族が常に持ち歩く大鎌の柄だった。細い胴体に向いている刃は硬い布でぐるぐる巻きにされていて危なくないのだろうが、見ていて非常にハラハラしてしまう。


 「もらタ足をな、鎌に刺して焼いてたんダ」

 「なるほどなァ、道理で炭の匂いがしたわけだ」


 ゴォ〜〜〜〜ン……


 そんな雑談を続けている間、それなりに時が経っていたようで、七時を告げる鐘が鳴り響いた。


「七時だな」

「マルティス王子は?」


 七時に来い、そう偉そうに手紙に綴ったくせに自分が遅れるとは何事か。そう言わんばかりにウィレムの顔がだんだんと不機嫌になってくるのを見かね、ジーナは覚えている途中のぎこちない言葉で話題を振ってくる。


 「もう少ししてもこなかたラ、市場バザール行こ」

 「……いや、今年はねェんだとよ」


 例年、年のはじめから数日は魔王城の前の大通りに大きな市場バザールが開かれる。

 物税として収められたはいいが、倉庫に収まりきらなかった食料品や必需品の余り物が住民向けに安値で売り出されるのだ。ことに個人も入り込んで各々料理や手芸品、果ては武具や愛玩動物さえも売り出して、毎年大盛況になるのだが、今年は無しだ。


 「……なんデ?」


 「大きな声では言えない……が、帝国各地の都市が色々と大変なことになっててな、そんなことをやっている暇は無いのさ」


 露骨に落胆したジーナに答える形で、二人の後ろからよく通る声が聞こえてきた。

 そう、遅刻してきた魔界帝国の王子、マルティスだ。何様のつもりなのか、広場の石像に座り込んでいる。


 「マルティス王子……誘っておいた自分が遅れたのに何の言葉も無しですか? 結構なご身分で何よりだ。さぞかしぐっすり眠れたのでしょうね」

 「だって俺王子だもん……なんて冗談だ。いやぁ悪い悪い。やっぱりこんな日だからかね、城の中は朝っぱらから人が多くて弱った。抜け出すのにちょっと手荒い真似もしてしまった」


 ウィレムの皮肉にこの王子は冗談交じりに詫びを入れつつ、像から飛び降りて服についたホコリをパンパンと叩いている。手荒い真似、と言っている割に、身につけている高級そうな衣装のどこかが破れたりしているわけではない。数え切れないほどの「隠密行動」の成果だろう。


 「特に優秀で強いお前たちに! 任せたいことがあるっ!さぁついてきてくれ! 歩きながら説明する! 例のブツがある場所に行くぞ!」



 マルティスはその銀色にきらめく瞳を一層強く輝かせ、きびすを返して二人に促した。


 「……聞いたカ? 『例のブツ』だってサ」

 「……おおかた、魔王城からくすねてきたんだろうなァ……あ〜あ、面倒なことになりそうだ」

 「面白そうだシ、いいじゃないカ! 行こ!」


 いつの間にかクラーケンを食べ終えていたジーナは、鎌を布でぎゅっと拭って背負うと、ウィレムの手を引いたのだった。

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