妹と私
やがて私が小学生になると、妹が1人産まれました。とてもとても可愛くて、ずっと「エリちゃん、エリちゃん」とくっついていた記憶があります。しかしそんな記憶はほんの一瞬で、私はすぐに妹のことが大嫌いになりました。理由はとても簡単で、母が妹に構うようになったからです。
そんな現象はどこの家庭にもあり得ることなのですが、あの当時の私にとって妹は嫌悪の対象でした。ただでさえお母さんが構ってくれないのにエリが居たら私は余計に構ってもらえないじゃないかと子どもながらに思ったのでしょう。
この頃から大好きなお母さんは私を見てくれていない、と感じるのはよくあることでした。
そんな時、母が私にエリを預けて出かけました。その日は夜で、19時までに帰ってくるから何かあったらここに電話しなさい、と電話番号を書かれた紙を渡されました。
エリとの接し方もよく分からず、ただひたすらに私はエリと母を待ちましたが、母は約束の時間を過ぎても帰ってきません。私は紙に書かれた番号に電話をかけました。しかしそれは、母に繋がることはなかったのです。
「違うよ、うちじゃないねえ。お母さん、番号間違えてしまったんだね。」
顔も名前も知らない女性に電話越しに励まされていました。お母さんが帰ってこないと涙ながらに女性に訴えていたのです。
その日は約束の時間を過ぎて母は帰ってきました。父は帰宅がいつも遅く、出張も多かったのでこの時父がどうしていたかは分かりません。
ごめんごめん、遅くなっちゃった、とへらへらしながら帰ってきた母。私はもう、涙でいっぱいで、エリのことなんて考えられませんでした。
それから数日してまたすぐに母が出掛けるから、と言ってきました。
その時は電話番号を書いた紙は渡されず、この時間までに帰ってくるからエリを見てて、と。またそれだけで私は不安でいっぱいになりました。
前みたいに時間までに帰ってこなかったらどうしよう、お母さんが帰って来なかったらどうしよう、と。それだけを思っていました。
「めぐみはお姉ちゃんだからできるよね。」
あまり構ってくれない母がよく言う言葉でした。お姉ちゃんだからやりなさい、お姉ちゃんなんだから我慢しなさい、エリに譲りなさい。でもここを頑張れば母は私を好きで居てくれる。そう信じて私はその日もエリと2人で留守番をしていました。
そしてその日も母が時間通りに帰ってくることはありませんでした。そんな時に事件が起こります。エリが泣き出したのです。それも当然。エリはまだ乳飲み子でした。母がエリにミルクを作ってあげているのをよく見ていました。
エリのことはあまり好きじゃない、でも泣いてしまった、どうしよう、どうすれば泣き止むだろう。
抱っこをしてみてもだめでした。エリのお気に入りのおもちゃであやしてみてもだめでした。おむつなんて換えているのを見たことはあるけど自分には出来ない。…この時私は思ったのです、エリはお腹が空いているのだと。
その時、私は母が作っていたのを見様見真似でエリにミルクを作ってやりました。抱っこして哺乳瓶の先端をエリに向けると大粒の涙を零しながらエリは必死でミルクを飲んでいました。
子どもながらにエリのそんな顔を見て胸が強く締め付けられたのを今でも思い出します。エリのことは好きじゃないけど、ごめんねエリ…と。
その後も母の真似をしてエリを抱っこして背中をトントンとしてやり、エリは無事に泣き止みました。それだけでホッとしました。
そして母は今回も何食わぬ顔で遅くなったことを謝ることもせずに笑って帰ってきました。母は私がエリにあげたミルクの瓶を見つけるとすぐに私に駆け寄り、私を哺乳瓶のあるところまで連れていき、低い声で言いました。
「何これ。」
「エリちゃんが泣いたからミルクあげた…」
「勝手にミルクなんてあげて…エリが死んだらお前はどう責任取るんぞ!?」
私は母に胸倉を捕まれ、頬を思い切り殴られたのです。その時、丁度教会の信者らしき2人組の女性たちが偶然窓の外からその光景を目撃していました。私は助けを求める目でそちらに視線をやりましたがその信者らしき2人はすぐに窓から見えないところに移動してしまいました。
この後も母にはエリにミルクをあげたことに対して罵声を浴びせ続けられ、私はますますエリのことを嫌いになっていきました。エリが居るから私が怒られるのだと、そう勘違いをしていったのです。
その後も私のエリを嫌う態度は酷いものでした。実の妹を思う態度ではありませんでした。それどころか、エリなんて消えて無くなってしまえばいいとすら思っていたのです。エリさえ居なくなれば母は私を愛してくれるのだと強く思うようになりました。
母に手を上げられたのはこの時ばかりではありません。お出かけの時に一緒に行かずに車の外で待っていたら平手打ちを加えられる。
算数の問題で私がてきぱきと問題を解けなかったら壁に押し付けられて首を絞められる、そんなこともありました。
生意気、という漢字の読みが分からなくて母に聞いた時、「お前みたいな子どものことよ」と言われました。ああ、母は私をそんな風に思っていたんだね、とそればかりでした。
エリを大事にしなさい、エリと仲良くしなさい、エリはこんなにもめぐみのことが好きなのに。再三聞いて聞き飽きた言葉でした。
夏休みに入ると、3泊4日ほどの研修会に参加させられました。
私の叔母、母から見た姉も統一教会に入信しており、従兄弟も一緒に参加することになっていたのでそこに行くことになったのです。
原理講論や聖書に基づいた人形劇をやった記憶と、一緒に宿泊研修に来ていた他の2世に意地悪をされた記憶しかありません。寝る度に布団に入って涙を流していました。早く帰りたかった。宿泊研究なんて頑張ったところで母に愛されるわけがないのに。
母に好かれるために母が教会からもらってきたキュリー夫人や赤毛のアンなどの本も読みました。他にも2世向けの絵本も読まされていました。
神様の天地天成のお話、アダムとエバの堕落のお話、カインとアベルのお話。今でもその絵本のイラストは頭に残っています。
私はそうして頑張っているつもりでしたが、母から愛されていると思えたことがありませんでした。
唯一、私が夏休み中に入院をしたことがあり、その時はエリは祖母に預けられ、母は私のところに毎日、無理な時は2日に1回と来てくれました。
その時だけは本当に母を独り占め出来てとても嬉しかった記憶があります。しかし、私のこの入院した原因の病気は、母も幼い頃にしたものでした。
祖母も幼い頃に同じ病気をしていました。今思えば、それが母にとって先祖解怨をしなくてはならない、と思わせる出来事だったのかもしれません。
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