母と統一教会

私の母は、統一教会という教団に所属しています。

入信したのはいつからか、それは分かりませんが母は私を産むのにとても辛い思いをしたということだけ聞いています。

母は病気を患っていました。原因も分からないまま半年も入院していたそうです。

そんな病気と闘ってようやく元気になって私を妊娠した母は不安でいっぱいだったことでしょう。担当の医師からも障害を持った子どもが生まれるかもしれない、母の身体がもつかも分からないので堕胎した方がいいと言われていたそうです。

母は毎日、祭壇も何もない場所で一生懸命祈っていたようでした。そんな時、母の前に1枚の絵が目につきました、それがイエス様を抱いたマリア様の絵だったのです。

その絵を見て母は私を産もう、障害を持って産まれたのならば兄弟を作らなくていいと父と相談した上で決心したのでした。

辛い思いを抱えて私を出産した母が統一教会に行ってしまうのはもはや時間の問題でした。


赤ちゃんの頃の記憶はもちろん残ってはいないのですが、写真に写る私と母、父もとても幸せそうでした。

私の記憶があるのは3歳頃のことです。そんな昔のことをなぜ覚えているか甚だ疑問ですが頭に残っています。しかし残っているのはいい感情ではありません。

私は3歳の頃から幼稚園ではなく、保育園に預けられていました。母は仕事をしておらず、父はなぜ母が私を幼稚園に預けないのか疑問だったそうで、問うたところ「今の流行りは幼稚園ではなく、保育園だから口を出さないで欲しい」と言われたそうです。

父は営業の仕事をしており、帰宅もそんなに早い方ではありませんでしたし、亭主関白な一面もあり家の仕事を手伝うことは滅多にありませんでした。

朝、保育園に来てお友だちと遊ぶ、先生に怒られる、お給食を食べる、ビデオを見る、そうして1日を過ごしていくうちに15時頃になると早い子はぽつぽつと帰っていきます。

大好きなお友だちにまたね、と手を振りながら母が迎えに来るのを待っていましたが、早くて17時30分、遅いと20時を超えることもざらにありました。

誰も居ない教室に子どもは私1人がぽつん、と居ることも当たり前だったのです。

どうして私のお母さんはリカちゃんのおうちみたいに早く来てくれないのだろう、と子どもながらに思うこともありました。

この頃の話を父としていると、どうやら教会の方で仕事をしているという呈で市に提出する書類を偽装し、母が教会に入り浸っていることが判明しました。

母が私を教会に連れていくこともありましたがそれは本当に稀で、その時もキッズルームのようなところに夜遅くまで預けられていました。

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