第二話 魔女とラプンツェル

 目が覚めて最初に感じるのは、いつも鈍い痛みだ。昨日蹴られた太ももに、響くような痛みが広がる。思わず顔を歪めた。布団に寝転んだまま、私は東側の窓の方をにらむ。太陽は、毎日私を苦しめるために律儀に昇ってくるんじゃないか。そんな馬鹿なことすら頭に浮かぶ。

私は、ひとつため息をついて布団から起き上がった。いつもの癖だ。幸福が逃げていく、だなんて知らない。逃げていく幸福を惜しむことができるのは、それだけ有り余るほどの幸福を持ち合わせている人だけだ。

パジャマを脱いで制服に着替える。腕の傷は長袖のカーディガンで隠して、昨日できた脚のあざはタイツを履けば見えないはず。隠しようのない顔を殴ったりしないあたり、お父さんにもまだある程度理性が残っているんだろう。

お父さんは、いつも通りもう出社したみたいだ。居間には誰もいなかった。昨晩私をしこたま蹴り飛ばした後も、ひとりでずっとお酒を飲んでいたのに。あの人はいつ寝ているんだろう。別に知りたくもないけれど。毎朝律儀に出勤して、毎晩律儀に私を殴りつける。まるであの太陽みたいだ。照らされる側のことなんて考えず、ただ照らすことばかりに執着している太陽。


そんな太陽がぎらぎらと照りつける夏の朝を、私は通学していた。長袖にタイツは蒸れて仕方がないけれど、悲しいかなもう慣れてしまった。高校に着く。期末テストが終わったばかりで、あとは夏休みを待つだけ。心なしか、みんな浮かれているようだった。

私は俯いたまま、早足で教室へと向かう。そのドアを開けても、誰ひとりこちらを見ることはなかった。何事もなかったかのように、みんなそのままの姿勢で談笑している。まるで誰も、私のことなんか見えていないみたいに。実際、この教室の世界に私はいないのだろう。一言も喋ることのない人間が、その世界の内側に入れるわけがない。

私は端っこの席に座って、今日の時間割を確認した。現社、数学、化学、書道、英語、現代文。この水曜日の時間割には体育がないだけ、随分と心持ちが楽だった。誰に見られている訳でもないけれど、傷を隠したまま着替えるのは骨が折れる。でも、ほんとうの大敵は一時間目の現社。現社の先生は良く言えば快活な先生で、悪く言えば熱血な先生だった。現社の授業では毎回、問題に対してグループで議論して、さらにランダムで数人が自分の意見を発表させられる。それだけならまだましなのだけれど、先生は生徒が自分の意見を言うまでずっと黙って待っているのだ。先生は、全ての生徒が自分の意見を言うことができると本気で思っている。なんて無垢な思い込みだろう、と私は思う。きっと先生は、何を言っても殴られる経験がないのだ。

だけど、今日はそんな現社の授業も気分が楽だ。なぜなら、今日は先の期末テストの返却と解説の時間だから。このときだけは先生がずっと解説をするので、先生に当てられないかと肝を冷やしたり、運悪く当てられてしまった結果、授業が終わるまでずっと続く沈黙の気まずさを味わったりする心配がない。

朝のHRが終わって、現社の授業が始まった。石塔若菜、と名前が呼ばれる。テストが返却された。そこに書いてあった数字は七六。平均点の九点上だ。良いあんばいだ。点数が高すぎても低すぎても殴られる。ちょうど狙ったあたりの点数が取れて、とりあえず私は息をついた。


「おい、なんだこの点数は」

夜、机の上に置いておいたテストを見て、お父さんが言う。その側には酒の缶が転がっている。拳を握りながら、お父さんが近づいてくる。あ、来る。

 殴られた。お腹に硬い拳がめり込んで、思わずうめき声が出る。

「なんなんだって言ってるんだよ」

そう怒鳴りながら、続いてお腹を蹴ってきた。私は何も言わない。口答えしたらもっと殴られるし、そもそもお父さんは答えを求めていないのだ。テストの結果なんてただの言いがかりにすぎない。殴るための適当な理由がほしいだけなのだ。また殴られる。私は目を閉じて、ずっと黙っている。


 小学生の頃、お母さんが死んでから、私の生活はずっとこうだった。お父さんはほとんど毎日私を殴りつける。だって、お父さんは私が「存在すること」が何よりも大切で、大切なのはそれだけなのだから。お父さんにとっては「存在する私」のことはどうでもよくて、お父さんの世界に私はいない。お母さんが唯一世界に残した面影である私の存在を、自分の側に縛り付けるためにお父さんは私を殴っている。それを分かっていたのに、いや、分かっていたから、私は抵抗するのを辞めた。自分の言葉を話さなくなった。私の全ての行動を、殴られる回数を減らすことに繋げた。私は、幸福になることを諦めた。

 でも、それがなんだっていうんだ。十発殴られるよりは、九発殴られる方が不幸じゃない。より不幸じゃなければ、幸せだって言い張ることすらできる。今日だって、もしもテストで四十点や九十点を取っていたら、お父さんにより言い訳を与えてしまって、さらに殴られたかもしれない。明日目を覚ましたとき、さらに痛みを感じたかもしれない。でも、あるかもしれなかったそれらの不幸を今日は回避できたのだから、それを幸福だと言ってしまってもいいじゃないか。幸福を諦めることを、私の幸福だと定義づけてもいいじゃないか。

でも、きっと世間はその幸福を受け入れてはくれない。クラスメイトも、先生も、すれ違う人たちも、テレビの中の有名人も、どこか遠くの国で戦争や貧困に喘ぐ人々さえも、いつか笑えるようになることを、より幸せになることを、幸福と呼んでいる。世界は、幸福になることを諦めた私を馬鹿にしているのだ。だって、その結果口を閉じた私を、誰も世界へと招き入れてはくれないのだから。

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