第七話 ご朱印帳買います?

 遅い昼食を摂った雪子と菜津子は、予定通りにホテルへと向かう。

 菜津子のスマホが示す道を辿り、土産屋や飲食店の並ぶ表参道を抜ける。

 すると、道を一本外れただけで、雰囲気ががらりと変わった。


「いかにも、宮島に暮らす人たちのための地区って感じだね?」

「新興住宅街のような安っぽい建売住宅の、外観が不揃いな街並みじゃなくて、古くて素敵な古民家がのきを連ねている景観は素敵ね」


 道は細い。

 運送業の軽貨物車が通るだけでも、通行人は道のはしに寄らなければならない。

 対向車が来れば、面倒だろうな。と思ってしまうが、それでも静観な住宅街は、歩いているだけで雪子と菜津子の視線を奪う。


「雪子、こっちよ」


 ふらふらと違う方角へ歩いていきそうになる雪子の手を取って、菜津子は目的のホテルへと辿り着いた。


「ネット予約をしていた者ですが」


 と、ホテルに入って受付に声を掛ける菜津子。

 そして、素早く手続きを進めていく。

 菜津子のクレカで料金を払い、客室の鍵を受け取って、エレベーターに乗る二人。

 そうしてようやく、二人は本日の宿に腰を下ろした。


「ふう。疲れたわね?」


 雪子の急遽の旅行計画で、最低限の荷物しか準備のできなかった菜津子。それでも化粧道具や小物などが入ったリュックを下ろし、畳敷の床に腰を下ろす。

 雪子は、部屋に入るなりユニットバスや押し入れを物色し始めていた。


「こらこら、雪子。先に実家だけには連絡をしなさい」

「はーい」


 菜津子に言われてようやく腰を下ろした雪子はスマホを取り出すと、無事に宮島へ着いたことを家族に知らせる。


「おばあちゃん? 宮島に着いたよ!」

『おやまあ、それは良かったわね。ゆっくりと観光していらっしゃいな』

「はーい。お母さんたちにも伝えておいてね?」

『はいはい、わかりましたよ』

「お土産買ってくるから、楽しみにしていてねー」


 と祖母に声を掛けて通話を切った雪子は、すぐに菜津子の手を取る。

 そして、長距離運転の疲れも見せずに手を引っ張る。


「よし、菜津子。観光に行こう!」

「あはは。あんたは本当に元気よね」


 菜津子も、すぐに動く。

 せっかく宮島まで来たのだ。思う存分に観光を楽しまなければ、もったいない。

 そう二人が観光に出ようとした時だった。

 雪子の携帯が鳴る。


「あ、お兄ちゃんからメールだ」


 携帯の画面を確認する雪子。そして、大笑いする。


「あはははっ。菜津子、これ見て見て!」


 雪子は、兄の冬彦から送られてきたメールに添付されていた写真を菜津子に見せる。


「何よ?」


 と雪子のスマホを覗き込む菜津子。

 すると、送られてきた写真には、菜津子の愛車のバイクYZFワイゼットエフ R-6アールシックスまたがる冬彦が写っていた。


「あはははっ。面白いよね。お兄ちゃん、足がつま先しか届いていないよ!」


 バイクに跨る冬彦。その足は、残念ながら地面にわずかしか届いていなかった。

 それもそのはず。菜津子のバイクの座高は850mm。

 身長162cmの冬彦の股下では、少し無理のある高さだった。

 足の届かない雪子のバイクに必死に跨っている冬彦の姿を笑う雪子。

 しかし、菜津子は血相を変えて自分のスマホを取り出すと、冬彦に電話をかける。

 すぐに応答のある菜津子のスマホ。


「おう、菜津子。俺の写真を見たようだな?」

「ちょっと、冬彦! 立ちゴケしたら絶対に許さないわよ!」


 足つきの悪いバイクの難点。それは、バランスを崩した時に踏ん張ることができずに、転倒させてしまうことだ。

 背の高い菜津子であれば、座高の高いR6に跨っても両足がしっかりと地面につく。

 女性は男性よりも骨盤が開いているという。それで、バイクに跨った時に男性よりもより足つきが良くなるのだ。

 しかし、冬彦はつま先が届く程度しかない。その状態でバランスを崩せば、間違いなくバイクを倒してしまうだろう。


 雪子が丁寧に車に乗るように、菜津子もバイクに愛着を持って乗っていた。

 これまで、立ちゴケなどしたこともない。その大切な愛車に傷を付けでもしたら許さない、と冬彦に釘を刺す菜津子。


「ふははははっ。心配するな。お前がうちに忘れていったバイクは、既にお前の家に届けてある」

「は? 忘れたわけじゃないわよ。あんたの妹に拉致されて、家に戻す暇がなかっただけよ。ってか、あんた私の家にバイクを届けたって、まさか乗ったの!?」

「安心しろ。ちゃんとヘルメットを被って運転したぞ。あ、お前、顔小さすぎだな? ヘルメットがキツかったぞ?」

「ちょっ! 冬彦!! 帰ったら、覚えておきなさいよ!」

「ふははははっ。もう忘れた。さらばだ!」


 ぷつり、と通話が途切れる。


「ったく。冬兄ふゆにい……」


 ガックリと肩を落とす菜津子。

 それでも、怒り心頭というわけではない。


 雪子や菜津子が幼馴染であるように。雪子の兄である冬彦とも、幼い頃からの付き合いがある。

 だから、冬彦はイタズラで菜津子のバイクに跨ったり、運転して家まで届けることがあるし、菜津子もそれだけで怒り狂うことはない。

 お互いに、どこまでのイタズラは許容できて、どこからは本気で怒るという許容を理解し合っていた。


「冬兄も大型バイクの免許を持っているから、乗られるのは良いんだけどさ。ヘルメットまで被られると、少し嫌よね?」

「今度、お兄ちゃんをしかっておくよ。オッサンが被ったら、嫌だよねー?」

「自分の兄をオッサン言うな。でもまあ、笑わせてもらったから今回は許すわ」

「うんうん。ちびっ子お兄ちゃんには笑わせてもらいました!」


 なぜだろう、と首を傾げる菜津子。

 冬彦の妹である雪子だけでなく、母親の祐希も背が高い。だというのに、長男である冬彦は男性の平均身長にも達していない。


「お婆ちゃんの遺伝かしら?」

「ん?」

「いや、冬兄の身長よ。雪子のお父さんやお爺さんは平均的な身長よね? それなのに、冬兄だけ身長が低いわよね?」

「菜津子、それはお兄ちゃんの前では絶対に言ったらいけない禁句だよ!」

「いや、私は言うわよ! 今度またイタズラをしたら、泣くまで言ってやるんだから」

「菜津子は鬼だー」


 雪子と菜津子は笑いながら、客室を出る。

 そして、本格的な観光へと繰り出した。






「スタバがオシャレすぎっ!!」

げもみじ饅頭まんじゅうって……! カロリーヤバそうね?」

「菜津子、見て見て! デッカいしゃもじが売ってるよ!」


 表参道に戻った雪子と菜津子は、軒を連ねる土産物屋や飲食店を物色しながらゆっくりと歩く。

 しかし、まだ何かを買う気配はない。


「雪子、良いわね? お土産は帰る時に買うからね? そうしないと、手荷物を持って観光することになるわよ?」

「もみじ饅頭もダメ? 今食べたい!」

「一個とかなら良いわよ? こらっ、箱買いは禁止! 夕ご飯が食べられなくなるわよっ」


 やれやれ。小学生の遠足かしら。と苦笑する菜津子。

 それでも、雪子だけでなく菜津子も観光地の雰囲気にまれて、気分が高揚しいた。

 そして、買い食いや飲み物で小腹を満たしながら歩いていると、表参道の店々の軒が途切れる。


「すごい!」


 開けた視界の先に、灯籠とうろうと巨大な狛犬こまいぬと。そして石造りの鳥居が姿を現す。


「写真撮ってくださーい!」


 速攻で、知らない人に声を掛けて写真撮影をお願いする雪子。

 観光客らしいカップルは、長身の雪子に声を掛けられて驚く。次に、これまた長身の菜津子を見て、目を丸くする。


「モデルさんかしら?」


 と女性の方は自分のスマホで検索をかけ始め、男性がこころよく写真撮影を受けてくれる。


「残念。我々は素人だから、ネット検索をしても無意味なのだ」


 と女性の行動を笑いながら、モデルばりのポーズを取る雪子。菜津子も苦笑しつつ、雪子に負けじと決めポーズを取る。


「記念に、お、俺も横に並んで……」

「ちょっと、正行君!」

「嘘ウソ、うそだって!」


 カップルの邪魔をしては悪いと、雪子と菜津子は写真を撮ってもらうとすぐに鳥居を潜り、境内けいだいに入った。


「あのカップル、大丈夫かな?」

「きっと大丈夫でしょ?」


 笑いながら、松の並ぶ広い参道を進む。

 すると程なくして、厳島神社を象徴する建造物が見えてきた。

 ただし、現在は大改修中につき、足場と目隠しのシートで覆われてしまっているが。


「わー、すごいね!」


 興奮気味に写真を撮る雪子。

 その近くでは「せっかく来たのにね」と少し残念そうな会話を交わす観光客の姿があった。


「ホント、レアね!」


 菜津子は、わざとらしく雪子に声を掛ける。

 雪子は菜津子に振り返って、胸を張ってまるで自分のことのように誇らしげに言った。


「でしょ? やっぱり、七十年に一度の大改修なんて、レア中のレアだよ! 来て良かったね!」


 雪子と菜津子の会話が聞こえたのか、少し残念そうだった観光客の表情が明るくなる。


「来年も来て、綺麗になった大鳥居と比較するのも良いな?」

「そうね。来年、また来ましょう」


 そして、笑顔で去っていく観光客。

 どうせ観光に来たのなら、楽しまなければ損だ。

 苦労も思わぬトラブルも、全ては思い出になる。そして、大変だった思い出や辛い経験ほど、振り返れば楽しい笑い話になるのだと、バイク屋の主人が言っていたな、と菜津子は思い出す。


「さあ、私たちも行くわよ?」

「菜津子、鳥居に近づけないかな?」


 大鳥居は、足場とシートに覆われている。遠い対岸の方からは、修復にたずさわる現場の人たち用のために、鳥居まで続く足場が設けられていた。

 とはいえ、大改修中なのは大鳥居だけで、規制線は張られていない。


「うーん。潮も引いているし、行けそうね? でも、濡れるかもよ?」

「大丈夫!」

「さすがね。田んぼの泥濘ぬかるみに平気で足を突っ込む農家の娘だから、足が濡れるのも平気なのかしら?」

「うわっ、菜津子がひどいことを言っているよ!」


 と言いつつも、躊躇いなく参道を降りて大鳥居の方へと走っていく雪子。

 雪子は車を長距離運転するため。菜津子は早朝にバイクを運転したために、オシャレなヒール靴ではなく、スニーカーを履いていた。


「まあ、濡れても明日までには乾くでしょ」


 菜津子も覚悟を決めると、参道を降りる。そして、先に駆けて行った雪子を追って、鳥居のそばに行く。


「写真撮ってくださーい!」


 どこでも気後れすることなく写真を頼む雪子。

 菜津子も雪子に合わせて、観光を楽しむ。

 大改修中の大鳥居を背後に写真を撮ってもらったり、厳島神社本殿を背景にしたり。


「人によってはさ。神社の鳥居を潜ったらそこからは神聖な領域なんだから写真は厳禁、なんて言う人もいるけど。神様はそんなに狭量きょうりょうじゃないわよね?」

「菜津子、良いことを言ったね! さすがに御神体の撮影とかは躊躇ためらっちゃうけど、外観の撮影くらいは神様も許してくれるよね?」

「そうよね? 神様だって、撮られた神社が拡散して有名になって、参拝客が増えてお賽銭さいせんが増えたら、きっと嬉しいわよね?」

「個人的な感想です!」

「ん? 雪子、何か言った?」

「あははははっ。なんでもないよー」


 満足するだけの写真が集まったのか、雪子は菜津子と手を繋いで参道へと戻る。

 いよいよ、次は厳島神社本殿の観光だ。

 厳島神社の中を観光するためには、入り口で拝観料はいかんりょうを払う必要がある。

 雪子がまとめて二人分を払い、荘厳そうごんな建物内へと入っていく。

 朱色しゅいろの柱や何箇所もの拝殿はいでんが並ぶ、幻想的な世界に魅入みいる雪子と菜津子。


「神社自体も修復中なんだね?」


 奥に進むと、部分的に大鳥居のような足場と目隠しシートによって覆われた場所があった。

 それでも、美しさは損なわれない。

 傾き始めた夕陽に照らされて、神秘さを増す厳島神社。


「そうだ、雪子」


 全てに魅入っていた雪子に、菜津子は声を掛ける。


「もちろん、御朱印ごしゅいんを貰うのよね?」

「菜津子、なにを言っているんだい。そのために来たんだよ?」

「ふふふ、そうね。それじゃあ、ひとつアドバイス。あんた、ご朱印帳ごしゅいんちょうを持っていないでしょ?」

「はっ!」


 ジムニーに乗り、各地の御朱印を集めたいと新たな趣味を見つけた雪子だが。

 これまで、にそうした活動をしてこなかった雪子は、御朱印を納めるためのご朱印帳さえ持っていなかった。


「うんうん。予想通り。で、よ」


 御朱印集めのためには、ご朱印帳は必須だよね、と鼻息を荒くする雪子に、菜津子は釘を刺した。


「雪子。あんたは、ここではご朱印帳を買わないこと」

「ええっ、なんで!?」


 ご朱印帳を買わないと、御朱印が貰えないよ? と困惑する雪子に、菜津子は補足を入れる。


「前まではさ。ご朱印帳に御朱印を直接書いてもらうのが主流だったわけよ。でも、最初から和紙なんかに描かれた御朱印を売っていて、それを自分のご朱印帳に貼るって流れが、ここ最近出てきたんだけどさ。さあ、ここで問題です」


 にやり、と笑みを浮かべる菜津子。


「ミーハーな雪子ちゃん。貴女は厳島神社のご朱印帳が欲しいですか? それとも、明日行く予定の出雲大社のご朱印帳が欲しいですか? 二つとも、なんて無理よ? 埋めるのが大変になるからね?」

「うっ……!」


 菜津子の思わぬ指摘に、雪子は息を呑む。


「な、なんて難しい選択なの!? 御朱印を巡る旅の最初の場所でご朱印帳を買うと、記念になるよね? でも、出雲大社は今、神様が大集合しているのよね。そこで買うと、ご利益が……?」


 ううん、と頭を抱える雪子に、菜津子は笑いかける。


「雪子以上に雪子のことを知っている私が決断してあげるわ。あんたは、出雲大社でご朱印帳を買いなさい。その方が後悔は少ないわ。だから、ここでは御朱印の紙を貰っておくのよ? そして、出雲大社のご朱印帳の一番最初に貼りなさいな」

「で、でも……?」

「安心しなさい。厳島神社のご朱印帳は、私が買うわ。それて、雪子が後でどうしても厳島神社のご朱印帳が良いって言うなら、交換してあげるから」

「菜津子お姉ちゃん、素敵!」

「お姉ちゃん言うなっ」


 歓喜に抱きついてきた雪子をがしながら、菜津子は御朱印受付の列に並んだ。

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