第五話 初体験します?

「菜津子、ワッフル食べさせて? あーん」

「あんたは赤ちゃんかっ!」


 ジムニーを運転しながら口を大きく開けてワッフルを待つ雪子は、赤ちゃんというよりも、どちらかというとえさを待つ雛鳥ひなどりのように見えた。

 菜津子は苦笑しながら、雪子の大きく開けられた口へプレーンのワッフルを千切って放り込む。


「美味しーい!」


 無事に、というか、もちろん長い行列に並んでワッフルを買った雪子と菜津子は、改めて高速道路に乗り、厳島神社を目指す。


「それにしても、意外だったわ……」


 千切った残りのワッフルを食べながら、隣で疲れも見せずに運転し続ける雪子を見る菜津子。


「まさか、雪子ゆきんこがセルフスタンド未経験者だったなんてね?」

「だって、自動車学校ではセルフスタンドの利用の仕方は教わらなかったんだもーん!」


 ジムニーを届けてくれた車屋の好意で、納車時点でガソリンは満タンだった。だが、長旅は福岡以降も続く。ということで、福岡市内の下道を走っている間に給油をしようということになったのは良かったのだが……






「菜津子、セルフスタンドって、どうやって給油すればいいの!?」


 ナビ役の菜津子の案内でセルフのガソリンスタンドへ入ったジムニー。

 しかし、そこで思わぬ問題が浮き彫りになった。

 雪子は、セルフ給油未経験者だった。


 オロオロと戸惑う雪子の姿に、菜津子は目を点にした。


「あんた、Zとか家の軽トラなんかを、今までどうやって給油していたのよ?」

「ううう……。近所のスタンドでいつも給油してもらっていたよ?」

「ああ、あそこのお店は有人スタンドよね。って、まさかそこでしか給油したことがないなんて言わないわよね?」

「ドキッ!」

「マジか!」


 雪子がフェアレディZを叔母おば有希ゆうきから譲り受けたのは、春に大学を卒業してからだった。そこから秋までの半年間。雪子が経験したことのない車に関するイベントは数多く残っていた。


「仕方ないわね。それじゃあ、私が教えてあげるわよ」

「やったー!」


 素直に喜びを表す雪子を誘導して、ジムニーの外へ出る。

 ジムニーの給油口は運転席側の後方にある。


「ええっと……」

「雪子、何しているのよ?」

「えっ!? ……おおっと、そうか!」


 給油口のふたを一生懸命に押す雪子だったが、すぐ間違いに気づく。


「ほら、Zの給油口は押したら開くからさ。ジムニーは軽トラと一緒なんだね?」


 と言って、雪子は運転席を開けて、座席の右下にある小さなレバーを引く。すると、給油口の蓋が開いた。


「なんでセルフで給油をしたことがない雪子が、Zの給油口の開け方を知っているのよ?」

「だってさ。洗車は自分でするから。その時に、開くところは全部開けて拭きあげるでしょ?」

「マジか!」


 道理でZはエンジンルームや隅々までいつも綺麗なはずだ、と感心する菜津子。


「あんたって、本当に面倒がらない良い性格をしているわね」

「もっと褒めて?」

「はいはい。きちんと給油できたらね」


 菜津子はポーチからスティックを取り出すと、給油の機械にかざす。


「セルフスタンドによって色々とやり方は違ったりするけどね。基本は給油タイプを選んで、満タンか金額指定か給油量を選択するのよ」

「ふむふむ」

「私のお勧めは、この系列のスタンドね。このスティックタイプのキーを作っておけば、こうして機械にかざすだけで、あとはさっき言った給油タイプなんかを画面で選べば良いだけよ。たしか、アプリもあるんだっけ? 現金を持ち歩いたり、事務所まで払いに行かなくて良いから楽ちんよ」

「おー!」

「ただし、クレカ登録だけどね?」

「ぐぬぬ、クレジットカード会社の陰謀だよ……」


 ガソリン代は、菜津子持ちで決定していた。


「おっちょこちょいの雪子のために一応言っておくけど、軽自動車だから軽油ってわけじゃないからね?」

「それくらい、知ってるよー。ハイオクだよね!」

「はい、間違い! ストップ!! Zじゃないんだから、普通のガソリンで良いのよ!」


 ハイオク満タンのボタンを躊躇いなく押そうとする雪子を、菜津子が慌てて止めた。


「ガソリン満タン入りまーす」

「その前に。雪子、そこの静電気除去の丸い奴に触れなさい。ガソリンを入れる時は、静電気は厳禁よ」

「なるほど」


 菜津子に言われるままに、雪子は静電気除去ボタンに触れて、自分でノズルを給油口に差し込む。そしてレバーを引き、ガソリンを入れていく。


「なんだか、楽しいね?」

「そうかしら? バイクで入れる時は、ガソリンが溢れ出ないか気を使うのよね」

「満タンになったら、どうやってわかるの?」

「自動で止まるわよ」

「すごい、ハイテク!」

「いやいや、その程度はローテクにもならないんじゃないかしら?」


 無邪気にセルフスタンド初体験を楽しむ雪子。


「ほら、満タンになったら、レシートを受け取って終わり。給油口の蓋を閉じ忘れないようにね?」

「意外と簡単だった」

「でしょ?」


 ガソリンをギリギリまで入れて蓋を閉め、ノズルを指定の場所に戻す。


「これで、次からは雪子もセルフスタンドにひとりで行けるわよね?」

「うっ……。菜津子お姉ちゃん、もう一回教えてね?」

「えー、なんでよ!? 今、自分で簡単って言ったばかりじゃない。次は、ひとりで頑張りなさい。ってか、お姉ちゃん言うな」


 わがままを言う雪子を運転席に押し込み、菜津子も助手席に乗り込む。


「ねえ。雪子、知ってる? セルフスタンドって、事務所の方で係員が一々いちいち給油開始のボタンを押しているらしいわよ?」

「そうなの? そういう部分を自動化すれば良いのにね?」

「きっと、私たちが知らないような不都合とか色々とあるんじゃない? それはともかくとして。さあ、出発しましょう」

「オーケー」






 途中、関門橋手前のめかりPAで休憩を入れた。

 そして、いよいよ本州へ上陸する雪子のジムニー。


「関門海峡、凄かったね! うずがちょっと怖かったけど、その側を大きな船が通るのが凄かったよね」

「そうね。でも、思っていたよりもずっと狭くなかった?」

「言われてみると? 大淀川おおよどがわの幅の方が広く感じたかな?」

「何でそこで、宮崎市の河川が比較に上がるのよ?」

「だって、身近じゃない?」

「身近じゃないわね」

「しくしく」


 車移動で九州から本州へと初めて渡った二人。

 いったい、どんな異郷が広がっているのだろう、と心躍らせていたが、実際に渡ってみると、高速道路から見える風景に然程さほどの違いはなかった。

 それで、通過点に過ぎなかった関門海峡の話についつい花が咲いてしまう。


「しかし、まさか昼食がワッフルとたい焼きならぬ、ふく焼きになるとは思わなかったわ」

「フグが特産品だから、たい焼きじゃなくてふく焼きなんだね。面白いし美味しかったね。それにしても……」

「「ワッフルと平兵衛酢へべずジュースは合わないね!」」


 雪子と菜津子の声が綺麗に被った。

 可笑しくて笑い合う二人。


「いや、ホント合わなかったわね」

「平兵衛酢ジュースの酸味とワッフルの甘味が思いの外ダメダメな噛み合わせだったよね?」

「甘い物を食べた後の口直しにはサッパリしていて良いのかもしれないけど、コーヒーみたいに食べながら飲む組み合わせじゃなかったわね」


 平兵衛酢とは、カボスのような香りの柑橘類かんきつるいになる。普通であれば、刺身に使ったり、焼酎に入れて酸味と香りを楽しむ。だが、地元の特産品として、平兵衛酢を使ったジュースが売られていて、これが意外と美味しい。


「で、雪子の意見を採用して、昼食は甘味かんみで軽く済ませたわけだけど。あと、約二時間。雪子はホントに大丈夫?」

「うん。宮島に行ったら、向こうの美味しい食べ物をお腹いっぱい食べるんだよ!」

「良いわね。現地の美味しい物を食べるのは、旅の醍醐味だいごみだものね。それじゃあ、何が美味しいのか調べようかしら」


 菜津子はスマホを手に取る。

 相変わらず、菜津子のスマホはケーブルでジムニーに接続されていた。

 スマホ連動でナビが使えるのは良いが、何故かケーブル接続でないと対応していない。しかも、そのケーブルはダッシュボードの奥から伸びていた。

 この不便さと配線のセンスさえ良ければな、と思う菜津子。


「あっ!」

「ん? どうしたの?」


 スマホを操作していた菜津子が、急に声を上げて固まった。雪子は、菜津子の珍しい反応に前を向いたまま首を傾げる。


「ねえ、雪子……。今更気付いたんだけどね……」

「ど、どうしたのかな!?」

「今ね。宮島を検索していて知ったんだけど……。厳島神社と言えば?」

「ん? それはもう、海に浮かぶ大きな鳥居じゃない?」

「だよね。あれが一番の目玉よね?」

「うんうん。それがどうしたの?」

「あのね、雪子。心をしっかり持って聞くのよ?」

「う、うん……」

「実は…………。その鳥居、今、七十年に一度の大改修中なの!」

「菜津子!」

「ゴメン、雪子! 先に調べておくべきだったわ」


 手を合わせて謝る菜津子。

 雪子は、大きく目を見開いて固まっていた。


「そ、それって……」


 そして、雪子は鼻息荒く言った。


「凄く、レアだね!!」

「……………………は?」


 雪子の言葉の意味が理解できず、聞き返す菜津子。


「雪子、もう一回言って。なんて言ったの?」

「あのね、菜津子。それって、すっごくレアだね!」

「はい、ストップ。意味がわからないんだけど?」


 大失態の気持ちで雪子に鳥居のことを伝えたはずなのに、何故か「レア」だと言われた菜津子は、眉間に深い皺を刻んで首を傾げた。


「だってね。七十年に一度だよ? 普通の鳥居なら、五年後だって十年後だっていつでも見られるんだよ? でも、大改修中の鳥居は、七十年に一度しか見られないんだよ! 次に見られるのは、わたし達が九十三歳になった時なんだよ? だから、すっごくレアだよ!」


 すごいね、と運転席で嬉しそうに興奮する雪子とは真逆に、菜津子は額に手を当ててガックリと項垂れた。


「なるほど。ボジティブ雪子から見れば、これは『残念なこと』じゃなくて『素敵なこと』になるわけね?」

「うん!」

「雪子がそれで良いなわ、私もその考えに染まろうじゃないの。よし、大改修中のレアな鳥居を見に行こう!」

「行こうー!」


 九州の風景と然程変わらない本州の高速道路を、ジムニーは広島に向かって快調に進んで行った。






「ってなわけで、着いたわけだけど」

「海だー。宮島だー。厳島神社だー!」

「はいはい、お子様じゃないんだから、そんなに興奮しないの」


 今にも走り出しそうな雪子の手をしっかり握る菜津子。

 二人は今、宮島を前にした船着場に居た。

 ジムニーは近くの大駐車場に駐めて、これからは徒歩になる。


「それで。なんで宮島行きのフェリーが二種類あるのかしら?」

「わたしが聞いてくるね?」


 宮島へ渡るフェリーの船着場には、二種類の船が出入りしていた。

 行き先は同じ。料金も同じ。では、何が違うのか。

 雪子は、近くに立つ係員へ話を聞きに行く。そして、すぐに戻ってきた。


「あのね、菜津子。向こうが民間のフェリーで、こっちがJRなんだって。だから、好きな方に乗って大丈夫って言われたよ」

「好きな方って言われてもねぇ」


 と、出航していく二種類のフェリーを見つめる菜津子。

 そのとき、菜津子は見た。


「雪子、こっちにするわよ」


 菜津子は雪子の手を引き、躊躇わずに片方の券売機から往復券を購入する。

 そして、そちらの船着場へと入っていった。


「菜津子、なんでこっち?」

「ふふふ。雪子、あれを見なさい」


 菜津子が指差す先。

 二人が乗る予定のフェリーは、宮島側の船着場に大回りで進んでいた。


「あれ? もうひとつの船は宮島に直行しているのに、こっちは変な方向に進んでいるよね?」

「そう。それが答えよ。よく見て。こっちは、改修中の鳥居の近くを通るルートみたい」

「おお、凄い! でも、それならみんなこっちの船に乗りたがるんじゃないかな?」

「バカね、雪子。私らのような観光客はそうかもしれないけど、地元の人なら短時間で行き来できる向こうの船を選ぶと思わない?」

「なるほど!」


 菜津子の指摘は正しいのかもしれない。

 もう片方のフェリーには、いかにも地元民の軽トラらしき車が何台も入っていく。

 一方、二人が待つフェリーの待ち合い場所には、観光客風の人たちが大勢列を成していた。


「料金は一緒。でも、ルートの違いから到着時間には差がある。それが、二つの運行会社の違いってわけかしら?」

「共存共栄?」

「なのかしらね?」


 二人が話していると、フェリーが着いた。

 先ずは下船する人々が優先され、次に乗船する雪子たちが案内される。


「海だー!」

「はい、お子様のようにはしゃがない。大人しく座っていなさい」

「はーい」


 屋外の席に座り、対岸の宮島と厳島神社を見つめる雪子と菜津子。


「なんか、不思議な感じね。海の向こうにも上陸できる島があるなんてね?」

「そうだよね。地元の太平洋だと、見渡す限り海だもんね」


 養殖漁業の生け簀が設置されていたり、漁船が頻繁に行き来していたり。遠くでは、ジェットスキーまで走っていた。

 地元の海とは違う内海の光景に、雪子と菜津子は瞳を輝かせて見入っていた。

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