第三話 出発します?

「ゴメンごめん。まさか、そんなにショックを受けるとは思わなかったわ」


 長い手を後部座席から回し、雪子の額を優しく撫でる菜津子。


「だってね。全然気に留めていなかったことを、菜津子が言うんだもん。知ってしまったら、もう行けないじゃん」

「いやいや、極端すぎよ。別に、神様が神社に居なくたって御朱印は貰えるし、価値は変わらないって」

「そうかもしれないけどさ?」


 せっかく楽しみにしていた雪子の新しい趣味に水を差してしまった、と反省してしまう菜津子。


「あー、でもさ」


 そこへ助け舟を出したのは、亜希子だった。


「神無月って、いわゆる神様がお出かけ中で、神社に居ない月ってあたしらは認識しているけどさ。でも、逆に言えば、神様の旅行先、つまり出雲いずもには日本中から神様が集まってきているってことじゃない?」

「あっ、亜希子の言いたいことがわかった!」


 はいっ、と元気良く手を挙げる波瑠子。


「つまり、今、出雲に行って御朱印を貰えば……」

「ゴクリ」

「ちょー御利益のある御朱印になるかもってことだね!」

「ナイスアイディア、亜希子、波瑠子!」


 ピキーン、と元気になる雪子とは真逆に、奈津子は顔を引きらせていた。


「あ、あんたたち……」

「ねえ、菜津子?」

「却下! 絶対に却下よ、雪子!」

「ひどーい。まだ何も言っていないのに」

「言わなくてもわかるわよ?」

「じゃあ、当ててみて?」

「……良いわよ。ピッタリと当ててあげようじゃないの。どうせ雪子は、今から出雲に行こうって言いたいんでしょ?」

「ピンポーン! 大正解。菜津子、行こう!」

「イヤよっ」


 いくらなんでも、いきなり出雲まで出かけるなんてできない。と主張する菜津子。

 四人の住む九州の田舎から出雲までは、片道だけで約700km程はあるはずだ。向かえば、絶対に泊まりがけの旅行になってしまう。

 週末の早朝に突然呼び出され、いきなり一泊二日の旅行は無理に決まっていた。


「しくしく。菜津子が付き合ってくれないよ」

「残念だなー。ウチが休みなら、雪子に付き合うのになー」

「本当だよね。雪子、かわいそう」

「亜希子、波瑠子。あんたたち、自分たちは巻き込まれなかったからって、適当に雪子の味方をしているでしょ?」


 と言う菜津子の言葉に、うん、と笑みを浮かべて頷く二人。


「はぁ……」


 まさか、こんな週末になるとは。と、菜津子はため息を吐く。

 雪子と付き合っていると、こういう突飛な予定はまれにある。

 だが、菜津子は苦笑しつつも、雪子を憎めない。


 良く言えば天真爛漫てんしんらんまん。周りを巻き込む体質の雪子だが、何故か嫌な気分にはならない。本人に悪気がないところや、全員が小さい頃から耐性を付けているからかもしれない。

 もちろん、今回のように大変だと肩をすくめることはあるが、何歳になっても変わらない雪子の明るい性格に、最後は自ら足を突っ込んでしまう。それが、菜津子だった。


「仕方ないわね。私が神無月のことを言い出したことが原因だし」

「でも、もっと根本的な話は、雪子のジムニー自慢だよね?」

「しかも、早朝に呼び出されて、御朱印集めに行こうと言い出したのも雪子だよ?」

「はっ! 言われてみると、亜希子と波瑠子の言う通りね。雪子、やっぱり却下!」

「イヤー! バカー!」


 せっかく菜津子が行く気になったというのに、亜希子と波瑠子の言葉でまた振り出しに戻ってしまった。プンスカと怒る雪子に、三人が愉快に笑う。


「ゴメン、冗談よ。良いわよ、行ってやろうじゃないの」

「やったー! 菜津子、大好き!」

「はいはい、私も大好きよ、雪子」

「流石は、ウチらのお姉ちゃん的存在!」

「お姉ちゃんて言うな。亜希子、言っておくけど、私の生まれが一番早いだけで全員同い年なんだからね?」

「おねーちゃーん。お土産よろしくねー」

「波瑠子……」


 亜希子と波瑠子の軽いノリに、菜津子はジムニーの後部座席で項垂れた。






 朝八時。


 ジムニーで亜希子と波瑠子を家まで送り届け、雪子と菜津子は旅に出た。


「なんかさ。既にお腹いっぱいになるくらいに色々とあった気がするのに、まだ朝の八時っていうのが理解不能よね?」

「そうかな?」

「そうよ。そして、だいたい雪子のせい」

「ううう、ひどい」


 ジムニーを運転するのは、もちろん雪子。助手席には菜津子が座り、外出の為の化粧をしていた。


「高速使う? なら、私のETC貸すわよ?」

「うーん。最初は下道で走ってみたいかな? なので、少し遠回りになるけど高速は後から利用ってことで、山道を選択します。熊本に入ったら高速に乗ろう」

「オーケー」


 二人の乗ったジムニーは、田畑の広がる田舎から一度市街地の幹線道路に出て、北へ進む。そこから隣の町に入って進路を西へと変更し、一路、高千穂たかちほ方面を目指す。


「ところでさ。早朝に納車なんてしないだろうから、車は昨日のうちに来ていたのよね?」


 なんで昨日の夜に呼ばなかったのよ、と早朝の恨み言を口にする菜津子。


「違うの。聞いて、菜津子。たしかに納車は昨日だったんだよ。でもね。昨日はわたしが残業だったから、車屋さんの営業時間中に受け取りに行けなかったの」

「ああ。それで、家まで車を届けてもらったわけね?」

「そうだよ。昨日の夕方には家に車を届けてもらっていたんだけど、夜が遅かったわたしがしっかりと確認したのは今朝だったんだよ」


 待ちに待った車が納車可能状態になったら、一刻でも早く手にしたい。そう思う気持ちは誰でも一緒だ。

 雪子の場合、父親や祖父たちと車屋が長年の付き合いだったことから、ジムニーを家に届けてもらえた。


「合点がいったわ」


 昨日の夜、雪子は夜闇に沈んだ庭に浮かぶジムニーのシルエットを見ながら、早く朝になれ、と期待に胸を膨らませて過ごした。


「あんた、昨夜はベットの中でニヤニヤしてたでしょう?」

「うん。よくわかったね!」

「そりゃあ、わかるわよ」


 遠足前夜の小学生のように、無邪気に興奮しながら翌朝を待つ雪子を想像して、菜津子は口角を上げる。そして、思い立ったが吉日きちじつとばかりにあれやこれやと計画を立てた雪子の思考に、この時点で自分が既に巻き込まれていたのだろうということを理解して、菜津子の髪を解いていた手が落ちた。


「雪子、今度からはちゃんと事前に報告しなさいね?」

「はーい。サプライズはもう終わりだから、安心して良いよ?」

「本当かしら!?」


 ジムニーは快調に走り、勾配のある山道へと入っていく。

 急な坂道を登るために、雪子はマニュアルのギアを低速へと切り替えた。


「なんかさ、雪子」

「ん?」


 化粧を終えた菜津子が雪子の運転姿を見ながら言う。


「マニュアル車を操作する雪子の姿って、すごく男前よね?」

「うわんっ、ひどい」


 ガーン、とショックを受ける雪子。


「なんてことを言うの、菜津子。こんなに髪の毛を伸ばして、スカートだって履いているのに、男前だなんて! バイクに乗っている姿の菜津子の方が、よっぽど男前だよー」

「あははっ、ゴメン。だってさ、普通の女子は、そこまでマニュアル車を上手に運転は出来ないわよ?」

「ううう。家の農作業を手伝って、軽トラの運転に慣れているだけだよ。それに、マニュアル車に乗っている女性って、けっこういるよ?」

「そうなの?」

「うん。会社に、セリカのマニュアル車に乗っている女先輩がいるし」

「あんたの職場が特殊なだけじゃない?」

「そうなのかなぁ?」


 セリカのマニュアル車に乗っている雪子の女先輩は、免許取得時に父親から「マニュアル車に乗るなら車を買ってやろう」と言われたそうだ。


 ジムニーが長い坂を登りきると、雪子は高速ギヤへとスムーズに切り替える。

 惚れ惚れとする運転技術に、菜津子は「やっぱり男前」と笑った。


 その後、休憩ポイントになりそうな道の駅を幾つか素通りし、高千穂の街中へと入るジムニー。


「どこかで休憩する?」

「うーん。わたしは平気だけど、菜津子は?」

「私は助手席に乗っているだけだからね。それに、飲み物もあるし……」


 と、後部座席に置いたソフトタイプのクーラーボックスを見つめる菜津子。


「なぜ雪子の家族は、突然旅行に行くと言い出した大切な娘に、道中で飲みなさい、って平兵衛酢へべずジュースを渡すのかしら!?」

「平兵衛酢ジュース美味しいよ?」

「いや、知っているし。そうじゃなくてね? もっと、こう。オシャレな飲み物なら良かったのにな、という乙女の愚痴よ。ともかく、飲み物はあるから、私は休憩いらないけど。雪子は疲れない?」

「全然疲れないよ。運転、楽しい!」

「それは良かった」


 二人の乗ったジムニーは高千穂の街中を過ぎ、さらに山奥へと入っていく。

 そこからは、急勾配の坂道は徐々に減っていき、代わりに連続した細かいカーブが増え出す。


「うわわ。意外と横に流れる?」


 カーブ前の減速に失敗した雪子が、慌てた。


「Zとは違うんだから、気をつけてね?」

「うん。気をつける。ゴメンね?」


 車高が低く、スポーツカーらしい硬い足回りのZに比べ、車高が高く足回りも柔らかいジムニーは、カーブを曲がる際に大きく横に振られてしまう。速度が速すぎると、横転するのではないかと危険を感じるほどに。


「さて。それじゃあ、そろそろ聞こうじゃないの。雪子の、ジムニーレビューという奴をね?」

「おおう、そう来たか!」


 連続したカーブをゆっくりと曲がりながら、雪子はジムニーの感触を改めて確認するように、ハンドルを握りしめた。


「そうだねー」


 うーん、と考えて。まず最初に出た言葉は、


「全然進まない!」


 雪子の断言に、菜津子は笑う。


「そりゃあ、Zと比較したら、軽自動車なんて全然加速なんてしないわよ」


 菜津子は、すぐに気付いた。

 どうやら、雪子がレビューする際に参考にしている比較対象は、排気量3700ccのフェアレディZのようだ。

 一方、軽自動車規格のジムニーは、660cc。

 排気量が約五倍も違う。しかも、高速で走るために設計されたスポーツカーと、悪路走行に特化したジムニーでは、そもそもの趣旨しゅしさえ違う。

 しかし、雪子はそうした車の性質の違いには無頓着むとんちゃくなまま、比較レビューをする。


「あとはね。ブレーキを踏む度に、カチョンカチョンって安っぽい音がするよ!」

「はい! 雪子は今、全国のジムニー愛好家を敵にしました!」

「えー! なんで!?」

「あんたねぇ……。何百万もするZと軽のジムニーが同じ品質なわけないでしょ?」


 雪子の購入したジムニーも最上位モデルなので、車両価格だけで二百万円近くする。だが、Zはその倍はするのだ。


「ジムニーは、そういう部分は節約して、悪路走行のために性能を振っているのよ。ジムニー乗りからしてみれば、小さな段差にさえ困るZの方が、なんだこの車は、と思うはずよ」

「そうだね。別にけなしたわけじゃないんだよ。率直な感想を口にしただけ。音楽を流していれば足下の音なんて気にならないし。……あ。音楽といえば!」

「なに?」

「音質があんまり良くない? ラジオとかなら良いんだけど、音楽をガンガンにかけると、籠って聞こえるよね?」

「はい、またジムニー愛好家を敵に回した!」

「えええー!」

「雪子、質問なんだけど。Zの音響メーカーは?」

「ボウズとかいうヤツだよ?」

「冬美おばさんの車は?」

「マークレビンソン?」

「その辺の高級車の音質と一緒にしない!」

「ごめんなさい!」

「そういえば、友里さんはオーディオをメーカー純正にしなかったのよね?」

「うん。なんか、メーカー品だとスマホと連動できるかわからないから、それならいっその事、安い社外品を付けてもらって、浮いたお金でタイヤとか色々とイジろうって思ったみたい」

「今どきだと、更新しない車のカーナビとかよりも、スマホの地図とかの方が便利だものね」

「いま、すごく活躍してるしね」


 助手席のダッシュボードの中から伸びた配線が、菜津子のスマホと繋がっていた。

 そして、社外のオーディオには、菜津子のスマホから呼び出した案内アプリが表示され、雪子に道順を示していた。


「他には? っていうか、良いところもいっぱいあるでしょ? それが聞きたいわ」

「うん。色々と思いつくけど」


 と、赤信号で停まるジムニー。


「あっ」

「なに?」

「赤信号の時にね。先頭で停まると、上の信号が見えにくい!」

「それは、身長の高い雪子の視線が上過ぎて、フロントガラスからの上部視界が悪いからでしょ?」

「むきーっ。背が高いのは、菜津子も一緒なんだからねー!」

「きーっ。それを言うんじゃない、雪子!」


 雪子と菜津子は、ジムニーの中でキーキーと猿のように騒いだ。

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