XR Treatment

メグリくくる

醜美の薬

 僕の目の前で、地面が爆ぜる。強かに打ち付けられた黒く、粘着く触手を、明日翔さんが転がりながら回避。明日翔さんの動きを援護するように祐成くんが手にした砲台を抱えて射撃する隣で、壮一郎くんと荘二郎くんがハイタッチをしながらはしゃいでいる。

「凄い凄い!」

「明日翔くん、曲芸師みたい!」

「遊んでないで、お前らもちったぁ手伝えよ!」

 祐成くんは舌打ちをしながら、さらに砲撃する。それに負けじと、僕も手にした銃を目の前に構えた。

 その先にいたのは、悪臭漂う異物だ。全身は黒く、滑っており、ヘドロが寄せ集まって、大きな山のようなものを形成している。そこから無数の触手が伸びて、僕たちに向かって攻撃してくるのだ。

 僕は目の前のその異物に向かって、引き金を引いた。一瞬にして六発放たれた弾丸は着弾し、ヘドロが悲鳴を上げる。シリンダーから薬莢を取り出して新しい弾を込めながら、僕はヘドロに向かって走り出した明日翔さんへ向かって、声を上げた。

「ロイナーゼを撃ちました! 疾患の動きは弱まるはずですが、患者の副作用のことを考えると、そろそろ決めたいです!」

「わかった、錦司! 俺に任せろっ!」

 そう言うと明日翔さんは手にした長剣を振り上げると、雄叫びを上げながらヘドロに向かって痩躯する。自分に接近する彼に気づいたのか、ヘドロも触手を伸ばした。

「させるかよっ!」

 明日翔さんへ伸びるそれらを、祐成くんが迎撃。壮一郎くんと荘二郎くんは二人で一つの大きなハサミで、触手を切り刻んでいた。

 そうこうしているうちに、明日翔さんは自分に迫る触手を切断し、割断し、両断し、ついにヘドロの前まで到着した。

「うおおおぉぉぉおおおっ!」

 明日翔さんが雄叫びを上げ、ヘドロに向かって長剣を振り下ろす。ヘドロから血飛沫の代わりに光の粒子が散乱し、汚泥は断末魔を上げながら、光の中へと消えていった。

 すると、僕の眼前に、こんなメッセージが現れた。

 

『疾患の消滅を確認。これにて、XR治療を終了致します』

 

 その内容に僕は満足そうに頷いて、顔にかけてたったゴーグルを外した。

 

 ***

 

「あー、疲れた疲れたー」

「今日もボクたち、頑張ったよねぇ」

 そう言って休憩室に入る壮一郎くんと荘二郎くんに向かって、祐成くんは呆れたように口を開く。

「疲れたって、お前ら後半殆ど何もしてなかったじゃねぇかよ」

「だってそれが」

「ボクたちの役目だもんねぇ!」

 両手を合わせながら、二人は抱き合うようにソファーへダイブする。ダブダブの白衣と、首から下げているカードホルダーにネックストラップが宙を舞った。

 カードホルダーにはそれぞれ二人の顔写真と、堂守 壮一郎(どうもり そういちろう)、堂守 荘二郎(どうもり そうじろう)と名前が入っている。写真は双子のため、そっくりだ。名前以外に見分けるポイントとして、壮一郎くんのネックストラップの色は緑で、荘二郎くんの方はピンクとなっている。

「まぁまぁ、いいじゃないか祐成。無事治療は完了したんだからさ」

 そう言って明日翔さんは、祐成くんの肩を叩く。二人とも壮一郎くんたちと同様、白衣を着ており、首からネックストラップをかけている。

 赤色のネックストラップが吊るしているカードホルダーには、比良野 明日翔(ひらの あすか)という名前と、少し目つきの悪い彼の顔写真が。そして黄色のネックストラップの方には、加々良 裕成(かから ひろあき)という名前に顔写真入りのカードキーが入ったホルダーが付いていた。

 かくいう僕も、彼らと殆ど同じ格好だ。白衣に、ネックストラップは青色。カードホルダーのには、自分の顔写真と藤王 錦司(ふじおう きんじ)という名前が刻まれたカードキーが入っている。

 そう、僕たちは全員医者で、一つのチームとして患者の治療を行っているのだ。

「何はともあれ、今日の仕事は終わりましたし、お茶でも入れましょう」

 僕はそう言って、電気ケトルでお湯を沸かし始める。窓の外を見れば、もう日が暮れて夜となっていた。

 それを眺めつつ、カップを用意している間に、壮一郎くんと荘二郎くんには砂糖を一つ、明日翔さんには一つ半、そして裕成くんには砂糖を三つ、ソーサーに置いていく。目が釣り上がっており、第一印象がどうしても怖めになってしまう裕成くんが、この中では一番甘党だ。ミルクピッチャーなんて洒落たものはこの部屋にはないので、冷蔵庫から二百ミリリットルの牛乳パックを取り出して、テーブルの上にカップやスプーンとともに並べておく。

 ちなみに僕は、砂糖もミルクも入れない派だ。

 電気ケトルが音を鳴らし、お湯が沸いたことを知らせてくれる。紅茶パックを皆のカップに入れて、僕はお湯を注いだ。紅茶のいい香りが、湯気とともに休憩室に広がっていく。

 皆がカップに砂糖とミルクを入れ、混ぜ終えるのを見てから、明日翔さんは部屋中を見渡して、カップを掲げる。

「それでは、本日全てのXR治療が完了したことを祝して、乾杯!」

「「「乾杯!」」」

 そう言って僕たちは、それぞれカップに口をつける。明日翔さんはずずず、と豪快に。僕は静かにゆっくりと。祐成くんは明日翔さんの真似をしようとして、あちち、とカップを落としそうになり。堂守の双子はふー、ふー、と紅茶を冷ましてからゆっくりと紅茶を嚥下した。

 これが僕たちの、XR治療を行う医療チームのいつもの打ち上げの風景だ。緊急招集がかかる可能性もあるので、今日は残念ながらアルコールはなし。でも皆、仕事を無事に終えた満足感に浸っており、口元は緩んでいる。医者としての使命を果たし、患者を救える喜びをこうして共有出来る時間は、やはり何事にも代えがたい。

 XR、クロス・リアリティ(X Reality)とは、VRやAR、それに複合現実であるMR(Mixed Reality)や、代替現実と呼ばれるSR(Substitutional Reality)の様な、多様な新しい現実の総称で、これを医療に応用したのが、XR治療。科学技術と医療技術が融合した、新しい治療のあり方だ。

 治療の進め方は色々あるが、大雑把に説明すると、疾患をAIとXR技術で可視化し、XR上で重い疾患を除去する方法を取る。

 AIの役割は、人体のスキャンや疾患箇所の特定と、疾患や治療方法の照合。XRはAIが調査した結果を元に、医療チームが治療しやすいよう写像を駆使して、可視化を行う。

 そうして可視化した疾患を、僕ら医療チームが同じように疾患の写像を辿ることで疾患そのものへ医療行為をフィードバックすることで、治療を行うことが出来るのだ。

 疾患は可視化されると僕らには黒いヘドロのように見え、執刀や薬剤の投与、放射線治療やレントゲンなどの治療行為は、その可視化した疾患へ直接ダメージを与える、例えば剣で斬りつけたり、銃などで射撃する様な形でXR上で表せる様になった。

 大雑把に言えば、XRを利用することで疾患と直接戦闘を行い、打ち倒すことで治療を行えるようになったのだ。このXR治療が普及したことで、疾患の早期特定に除去が行えるようになった。

「お前ら、また機械いじりなんてやってんのか?」

 祐成くんのその言葉に、僕と明日翔さんは一緒に手にしたタブレット端末から顔を上げる。一息ついたので明日の治療方針について話していたのだ。

 僕たちが向けた視線の先には、バラバラに分解された機械があった。元がどんなものだったのか、見ているこちら側には判別できない状態のそれの傍には、レンチとドライバーを手にした壮一郎くんと、バラバラにした部品を一つ一つ虫眼鏡で興味深そうに見つめている荘二郎くんの姿がある。

 そんな二人に向かって、祐成くんが呆れたような表情を浮かべる。

「治療が終わった後だっていうのに、よくやるなぁ」

「だって、しょうがないじゃない」

「そうそう、気になっちゃうんだもん」

「ぼくは気になったら、分解したいんだから」

「ボクはもっといろんな物を解析したい!」

「だぁ、わーったよ! そんなに一辺に喋んな!」

 そんなやり取りを見て、僕と明日翔さんは互いに笑いあった。一見子供にしか見えない壮一郎くんと荘二郎くんにやり込められる祐成くんのいつものやり取りは、チームの中の年長者組である僕らには微笑ましく見える。

 その一方で、年長者として僕はこのチームを引っ張っていかなくてはいけないという使命感に、気を引き締めた。同じ年長組の明日翔さんは、他の医療チームとの連携作業などもこなさなくてはならない。明日翔さんの負担にならないように、そして祐成くんと壮一郎くん、そして荘二郎くんがのびのびと仕事ができて、それでいて今後成長できるようなチームの環境を作れるのは、僕だけなのだ。

 そう思っていると、祐成くんは自分が笑われていると感じたのか、顔を真赤にしてこちらにやって来た。

「なんっすか? 明日翔さんも錦司さんも、そんなに笑わなくたっていいじゃないっすか!」

「笑っていたんじゃない。俺たちは和んでいたんだ、祐成」

「意味わかんないっすよ!」

 あまりにも明け透けな明日翔さんに、僕は思わず苦笑いを浮かべる。

 明日翔さんは真っ直ぐな性格で、いつも僕らを引っ張っていってくれる、頼もしいリーダーだ。ただこうして真っ直ぐすぎるのが玉に瑕ではあるのだが、祐成くんに食ってかかられても、何か問題があるか? と言わんばかりな表情も、彼らしいと言えば彼らしい。

 僕は話題を変えるために、先程まで見ていたタブレット端末を祐成くんの方に向かって差し出した。電子カルテには、ある女性の患者の診断結果が載っている。

「明日僕らに回されるかもしれない患者なんだけど、祐成くんはどう思う?」

「診断結果は、若年性皮膚筋炎、ですか」

 その言葉に、僕は小さく頷いた。

 若年性皮膚筋炎は皮膚と筋肉に炎症を起こす病気だ。症状はいくつかタイプがあるが、場合によっては肺に障害を起こしてしまうものも存在する。筋力低下と皮疹が主な症状で、発熱、倦怠感、関節の痛みで発病することもあるのだが――

「でも、早期発見出来たみたいなんで、最初は普通にステロイド薬を投与でいいと思いますよ。患者はまだ、高校生みたいっすね。なら薬服用中は副作用として、易感染性や肥満、眼圧上昇の可能性があるかもしれないので、細かな指導や管理を行う必要はあると思うっすけど」

 祐成くんの判断に、僕は満足そうに頷く。

「うん、僕らも同じ判断だ」

「じゃあ、この件は俺がカンファでXR治療ではなく、一般の投薬治療で進めるように話をしておこう。XR治療は有用ではあるが、治療中は治療室も埋まってしまうし、手術と同じく患者に病院まで出向いてもらう必要がある。その時間を奪ってしまうより、薬を飲んで治療を行った方が患者のためにもなるだろう」

「なになに?」

「ボクらにも見せて!」

 そう言って、壮一郎くんに荘二郎くんも会話に混ざってきた。

 今日の仕事は終わったというのに、明日の治療についてチームメンバー同士で話に花が咲いていく。そうすると当然、夜はさらに夜が更けていくことになる。気づけば終電もなくなっていた。

 どうやら今日も、皆と病院に泊まることになるみたいだ。

 

 ***

 

 綺麗に磨かれた純白のタイルの上を、僕は歩いて行く。窓から差し込む日差しは少し目にきつくて、僅かに僕は目を細めた。それでも僕の目には、この廊下に並ぶ患者たちの姿が見えている。

 科学技術が進み、医療技術が進歩して電子化が進んだとしても、僕たち人間が物理的な体に依存している以上、その体のメンテナンス、つまり医療行為は必須となってくる。だから技術進歩があっても、僕らの務める病院は昔と変わらず、多くの人で賑わっていた。

 この光景がなくなる時には、きっと人間はSFの世界みたいに機械の体でも手に入れているんだろうな、と思いながら待合室の方へ歩いていると、椅子に座っている一人の眼鏡とマスクをした制服姿の少女に、目が止まる。

 あれは確か、若年性皮膚筋炎で通院している患者だったかな?

 以前XR医療ではなく、一般の投薬治療で進めることになった少女の元へ、僕は歩みを進めていく。一度は僕らのチームに回ってきた患者なので、その後の状態が気になったのだ。

 僕が近づいていくと、こちらに気づいた少女が顔を上げた。肩まで切った髪が、サラサラと揺れる。眼鏡の奥、彼女の上瞼辺りが、腫れているのが認識できた。典型的な、若年性皮膚筋炎の症状だ。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 僕の挨拶を、少女はマスクをモゴモゴ動かして返してきた。眼鏡とマスクをしているのは、顔にできた皮疹を少しでも隠すためだろう。電子カルテの情報だと、確か彼女はまだ高校一年生。体のデキモノ、特に自分の顔に出来たそれは、やはり隠したくなるものだ。他に気になったこととしては、彼女の身長に対して、この患者は少し痩せ過ぎているように感じる。若年性皮膚筋炎による筋力の低下が起こっているのだろう。恐らく制服の下、肘などには盛り上がった紫紅色の皮疹が出来ているはずだ。

 僕は彼女を安心させるように笑いかけながら、口を開く。

「歩き辛いとか、そういう事はありますか? 病院内だけでも、車椅子の貸出をしてますよ」

「あ、いえ、大丈夫、です。……先生」

 ネックストラップから下がっているカードキーを見て、僕がこの病院の医者だとわかって安心したのか、僅かに少女が笑ったような気がした。

「本当? 無理しないでいいからね」

「はい、大丈夫です。主治医の先生からも、そう言われているので」

 その言葉に、今度は僕のほうが安心した。若年性皮膚筋炎で筋力が低下し過ぎると、階段の昇り降りや立ち上がり、そして歩行も困難になっていく。

 そのため車椅子の利用を進めたのだが、どうやら目の前の少女は、そこまで疾患が進行していないらしい。病の早期発見が、功を奏しているのだろう。思春期の彼女には体にデキモノが出来るというのは苦痛かもしれないが、薬をしっかり飲んでいけば、完治出来るはずだ。

 そう思っていると、今度は彼女の方が口を開く。

「あの、私、これからステロイドって薬を飲まないといけないんですけど、やっぱり、副作用って出るんでしょうか?」

「主治医の先生が、そう言ってたの?」

「はい。それに、ネットでもその、太るって書いてあって。私、自分で着た洋服をSNSに上げてて、その、薬、あまり飲みたくなくって……」

 彼女のSNSアカウントを、僕は見せてもらった。フォロー数はインフルエンサーとまではいかないが、そこそこ注目を集めているようで、SNSで繋がったであろう仲のいいアカウントたちとの交流も活発に行われている。

 最近病気になって写真を投稿していない彼女を心配する声も寄せられており、それに目の前の患者は頑張って完治させて、復活すると意気込んでいる返信をしていた。

 なるほど、と思いながら、僕は腕を組む。ステロイドに副作用があるのも事実だし、脂肪が増えることがあるのも事実だ。

 高校生の彼女にとって、太りうというキーワードは忌避したいものの一つだろう。そして何より、彼女はSNS上で作られたこのコミュニティで排除されるのを恐れているフシがある。太って体型が変わってしまえば、今までと同じように服を着れなくなってしまい、かつての称賛を得られなくなってしまうのではないか? と考えているのだろう。

 ここで僕が、そんなことを気にする前にまずは疾患を完治することを考えるべきだ、とか、それぐらいで離れてしまう関係ならさっさとそのコミュニティから出てしまえばいい、というのは簡単だろう。

 でも、彼女はそうではないのだ。

 彼女には彼女なりに大切にしたいものがあり、それをむやみに否定したり、無視したりして治療を進めるのは違う気がする。

 心と体。

 人間は、その両方が健全であるべきだと、僕はそう思うのだ。

 そしてそれをサポートするのが医者という職業であり、この職業のやりがいだと感じている。

 僕が目の前の患者に向かって口を開こうとした所で、後ろから声をかけられた。

「錦司。何してるんだ? こんな所で」

「明日翔さん」

 こちらに向かって、タブレット端末を抱えた明日翔さんがやってくる。今日僕らのチームがXR治療を行うのは一時間後だから、事前に他のチームと情報共有を行っていたのかもしれない。

 僕は患者に了承を得た後、明日翔さんに今まで彼女から聞いた話の内容を共有する。話を聞き終えた明日翔さんは、僅かに僕の方を一瞥した。彼も、この患者が気にしているポイント、そして僕が気にしていた点に気づいたのだろう。

 小さく頷くと、明日翔さんは彼女に向かって笑いかけた。

「なるほど。お話は、大体わかりました。お薬は、どれぐらい処方される予定ですか?」

「まずは、一週間って聞いてます」

「では、次回の通院もそれぐらいですね。それでは俺の方から、そこで薬の副作用の状態について確認するよう、君の主治医の先生とお話しておきましょう。副作用と言っても、飲む人によって出る症状もまちまちだからね。もし次回の診察時に君にとって受け入れられないような事があれば、遠慮なく主治医の先生に話をしてください」

「……はい、わかりました」

 そこで受付から彼女が呼ばれ、患者はこちらに一礼してこの場を立ち去っていった。

 それを見送りながら、僕は明日翔さんに礼を言う。

「ありがとうございます、明日翔さん。これで彼女も、多少は安心出来るはずです」

「いや、俺が言わなかったら、お前が言ってただろ?」

 そう言われて、僕は思わず頭をかく。確かに、僕も明日翔さんと同じようなことを言おうと思ってはいたのだ。

 そんな僕の様子を見て、明日翔さんが苦笑いを浮かべる。

「全く。一旦俺たちの手から放れた患者を気にするなんて、どれだけ仕事を抱え込むつもりなんだ?」

「そういう明日翔さんも、どうしてこのタイミングで待合室に?」

 僕の言葉に、明日翔さんは口角を吊り上げて肩をすくめるだけだった。どうやら明日翔さんも、人のことは言えないようだ。

「でも、錦司。あまり自分の患者以外に踏み込みすぎると、後々問題になる可能性もあるから気をつけろよ。患者の主治医と違うことを言ったりすると、患者も混乱するし、越権行為になる可能性もあるからな」

「じゃあ今度は、その辺りの上手いやり方を教えて下さいよ」

「……全く。研修医の時は、あんなに可愛かったのに、どうしてお前はこんなんになっちまったのかねぇ」

「きっと、指導医の教えが良かったんですよ」

「バカタレ」

 そう言って、僕のかつての指導医が軽く僕の肩を小突く。そしてその後、すぐに真剣な表情になった。

「でもな、そうやってなんでもかんでも一人でやろうと気負いすぎるなよ。俺たちはチームなんだからな」

 その言葉に内心動揺しながら、僕はなんとか口元に笑みを作る。

「わ、わかってますよ、明日翔さん」

「ん、ならばよし。それで、この後治療する患者だが――」

 そこから僕らは、次回の治療について話をしながら一緒に廊下を歩いて行く。

 今日もまだ、僕らのXR治療を待っている患者たちがいるのだ。

 

 ***

 

 緊急招集のアラーム音を聞いたのは、病院の仮眠室だった。

 急いで僕がベッドから起き上がった時には、明日翔さんはもう白衣を羽織っている所だった。僕が起きてから一拍置いて、祐成くんが体を起こす。だが完全にまだ目が覚めていないのか、口から僅かに涎を垂らしていた。彼のベッドの隣には壮一郎くんと荘二郎くんが二人抱き合って眠っており、起きる気配がない。

「祐成。大丈夫か?」

「……あ、はい! 明日翔さん! 大丈夫っす!」

「錦司。俺は先に治療室に向かって準備をしておくから、こっちは任せたぞ」

「わかりました。こっちでわかった情報はいつものように明日翔さんのタブレット端末に送っておきます」

「頼む」

 仮眠室から出ていく明日翔さんの出ていく後ろ姿を見送るよりも早く、祐成くんが双子たちを揺すって起こそうとしている。だが双子たちは寝言をつぶやいており、中々起きる気配がない。

 しびれを切らした祐成くんが、壮一郎くんと荘二郎くんのベッドから布団を引っ剥がす前に、僕は懐からスマートグラスをかけて、デバイスを起動させる。

 スマートグラス宛に届いていた緊急招集の詳細を呼んで、僕の息が一瞬詰まった。

 緊急でXR治療が必要だと連絡が届いた患者は、以前待合室で見かけた、若年性皮膚筋炎の少女だったのだ。

 だが止まっていたのも一瞬で、僕はすぐに明日翔さんとの通信を確立させながら白衣に袖を通す。と、ようやく双子たちは目を覚ましたみたいだ。まだ眠いのか、瞼をこすっていた。

 そんな壮一郎くんと荘二郎くんに、祐成くんが二人の端末を差し出す。双子が使っているのは、今では使っている人も見かけなくなった、ノートPCタイプのデバイスだ。情報の閲覧や更新だけならそこまでスペックの高い端末は、通常必要はない。逆に言うと、二人はスペックが高い端末を必要としているということだ。

 まだ眠そうな壮一郎くんと荘二郎くんに向かって、祐成くんが舌打ちをする。

「ほら、仕事だ仕事! さっさとやれ!」

「もー、祐成ちゃんはうるさいなぁ」

「そんなにボクらにかまって欲しいの?」

「バカなこと言ってないで、早くしろ!」

「はいはい。それじゃ、起動しますよ、っと」

「錦司くん、搬入された患者ちゃんの情報送ってくれたー?」

「ええ、送ってます。祐成くんも、受信できるようにデバイスの起動をお願いします」

「うっす」

 祐成くんもスマートグラスをかけ、白衣を羽織っている中、僕は壮一郎くんと荘二郎くんの肩に白衣をかけてやる。だが彼らは、僕が白衣をかけたことに気づいた様子もなく、一心不乱にノートPCのキーボードを叩いていた。

「なるほど、若年性皮膚筋炎だったんだね、患者ちゃん」

「そうみたいだね。患者ちゃん、病状悪化したのかな?」

「わかんない。ぼくのAIを走らせて、患者ちゃんを分解してみるよ」

「じゃあボクのAIも並行で走らせて、患者ちゃんを解析するね」

 強烈な打鍵音が、部屋中に響く。彼らが作業を続けている間に、僕は壮一郎くんを、祐成くんは荘二郎くんを抱えて、仮眠室を出て明日翔さんが待つ治療室へと走っていく。

 XR治療は、大雑把に説明すると、疾患をAIとXR技術で可視化し、XR上で重い疾患を除去する方法だ。逆に言うと、AIが人体のスキャンや疾患箇所の特定と、疾患や治療方法の照合を行えなければ、治療を行えない。

 僕らのチームで、その治療に使うAIのチューニング等を行なっているのが、壮一郎くんと荘二郎くんなのだ。AIが出した結果を吟味し、さらに絞り込みが必要な部分やノイズとなりそうな情報を判断して、次々に双子たちはAIへと指示を飛ばしていく。こうすることで、XRで可視化するのに必要な情報を精査していっているのだ。

 双子が操るAIの結果も僕のデバイスに表示されていくが、早すぎて目で追えない。よく一瞬で情報の精査をし、かつAIへ指示も出せるものだと思っていると、壮一郎くんと荘二郎くんが同時にキーボードを叩いていた手を止める。

「うん、わかった!」

「やっぱり、若年性皮膚筋炎の悪化だね!」

「脂肪萎縮症を合併しているよ」

「正確には、後天性全身性脂肪萎縮症だね」

 その言葉に、僕は僅かに唇を噛んだ。

 脂肪萎縮症とは、皮下脂肪や内臓脂肪などの脂肪組織が減少、あるいは消失する疾患の総称だ。脂肪萎縮症には遺伝子異常による先天性、あるいは家族性と呼ばれるものと、自己免疫異常などによる後天性のものがあるが、壮一郎くんと荘二郎くんの調査結果では後者の後天性全身性脂肪萎縮症だということだ。

 後天性全身性脂肪萎縮症は確かに、皮下脂肪織炎や若年性皮膚筋炎などの膠原病に合併することが多いので、今回の患者のケースにも合致する。

 そう考えてた所で、丁度治療室の前までやって来た。僕は壮一郎くんを床に下ろして、ちゃんと白衣を着せてやる。横目で見ると、祐成くんも荘二郎くんの白衣を着せている所だった。

 双子がノートPCを閉じる音と合わせるように、僕は治療室の扉を開いて中に入る。部屋の中には、先に治療室へ向かっていた明日翔さんの姿があった。

「ゴーグルなどの準備は、俺の方で済ませておいた」

「ありがとうございます」

 礼を言って治療室の中を見渡すと、ゆで卵を半分に切ったようなベッドが五つ並べられていた。だが、この部屋に僕らが治療する患者の姿はない。

 患者はその治療室のさらに奥。ガラスの壁で仕切られた先、MRIのような機器の中に横たえられていた。患者の回りには他にも、僕たちがこれから操作して施術を施すためのアームやメス、注射器といった医療器具が無数に並んでいる。

 その状態の患者を横目に、僕たちは部屋のベッドに横になる、その前に、ゴーグルにグローブなどを身につけていく。

 ゴーグルはXRで可視化した世界を、現実の僕らが視覚的に認識するために使用するものだ。グローブなどは、その可視化したXRの世界に、僕らが触れるために利用する。

 グローブと言っても、そこまでの厚さはない。ゴム手袋のようにも感じるが、無数の電極が仕込まれており、実際に触った感触を電気的に感じさせてくれる作りになっている。

 それらを身に着け、僕らが全員ベッドに横たわるのを確認した明日翔さんが、真剣な表情で口を開いた。

「それではこれより、XR治療を開始する!」

『施術者のバイタル情報を確認。認証しました。五秒後に、施術者をXR上に可視化します』

 眼前に現れたメッセージを確認し、僕は脱力したようにベッドに自分の体を預けた。

 メッセージがカウントダウンを刻んでいく。4が3になり、3が2になって、ついに数字が0となった。

 その瞬間、僕の視界が暗転する。

 高層ビルのエレベーターに乗って、地上から上層階へ一気に引き上げるような浮遊感を、全身で感じた。

 そして、次に瞬きをすると、僕はもう治療室にはいなかった。

 いや、実際には治療室に僕の体は存在する。でも、僕の体がそれを認識していないのだ。身につけたゴーグルなどの効果で、僕は今、XRの世界に存在しているんだと、僕の体が誤認している。

 僕が今いる場所は、床が真っ白な、巨大な空間。巨大すぎて、果てが見えないほどだ。

 そして、そう感じているのは、僕だけではない。

「皆、ちゃんとこっちの世界にやって来れているか?」

 明日翔さんがそう言って、僕らの方を振り向いた。その言葉に、祐成くんが頷く。

「大丈夫っす。不具合も特になさそうですね」

「ぼくたちも」

「大丈夫だよ!」

 壮一郎くんと荘二郎くんも、ハイタッチをしながら、そう答えた。

「僕も大丈夫です。治療するための陣形はいつも通りでいいですか? 明日翔さん」

「ああ。俺が前衛、錦司が中衛で、祐成が後衛の布陣で行く。壮一郎と荘二郎は、いつものようにサポートに回ってくれ」

 その言葉に、各々が頷いた。XR治療は疾患と直接戦闘を行うため、他の医療行為では絶対に耳にしないであろう、戦闘のための単語がどんどん出てくる。

 明日翔さんは手を前に突き出すと、そこに長剣が現れた。可視化した疾患と戦うために、自分の扱いやすい得物をXR上に表現したのだろう。

 僕も同じように、自分の手元に集中する。すると、視界にどの得物を出現させるのか、選択肢が浮かんできた。僕は毎回選んでいる、リボルバータイプの拳銃を選択する。撃つ度に弾の入れ替えが必要になる難点はあるが、弾丸に投与したい薬物を選択できるので、その自由さが気に入っていた。

 僕は元々処方されていたという、ステロイドを弾丸として選択。すると、僕の手には、確かに拳銃が握られていた。

 現実世界の僕が身につけているグローブから、ごつくて、固い、凶器の冷たさが帰ってくる。

 その冷たさを握りしめていると、祐成くんがいつものように砲台を出現させて、肩に担いでいた。拳銃よりも弾が大きいので、一度に大量に薬を投与したい時や、患者に輸血が必要な時、他には疾患の進行を止めたい時に動きを封じるような、トリッキーな攻撃が可能となっている。

 一方、壮一郎くんと荘二郎くんは、何も出現させていなかった。彼らは疾患を可視化するための情報収取がメインで、ほぼほぼ役割を終えている。しかし双子がこの場にいるのは、治療中に現実世界とのやり取りが必須になるということと、リアルタイムでモニタリングしている患者の状況を僕らに知らせるための、オペレーター的な役割を担ってもらっているからだ。他にも祐成くんの手が離せない時に、彼の代わりに砲弾を出現させたり、一緒に援護射撃をしたりするなど、連携が乱れた時のサポートとしても動いてくれる。

「壮一郎、荘二郎。患者の病状が悪化した原因は特定できているのか?」

「んとねー、断定は出来ないけど」

「SNSが原因っぽいかなぁ」

「SNS? 何で病気とSNSが関係してくるんだよ」

 首を傾げる祐成くんに向かって、双子が両手を合わせながら口を開く。

「患者ちゃん、SNSで着飾った自分の画像アップしてたみたいなんだよねぇ」

「患者ちゃん、それで太るのをかなり気にして、ダイエットしてたみたい」

「……若年性皮膚筋炎で処方してた薬って、もしかして」

「そうだよ、祐成ちゃん! 太る副作用があるステロイド!」

「つまり、患者ちゃんは、太った自分の姿をSNSにアップするのに抵抗があって、薬を飲むのをためらったっぽいんだよねぇ」

「はぁ? 何だそりゃ」

 祐成くんは呆れた表情になるが、待合室で患者と副作用について話をしていた明日翔さんと僕は顔を僅かに強張らせる。それと同時に、もっとあの時僕は何かできたのではないか? という後悔で胸が苦しくなった。

 患者に不安が残らない形で主治医に投薬の話を進めてもらうよう話をしていたが、どうやらそれは効果を発揮しなかったようだ。患者が素直に薬を飲んでくれなかったのか、それとも彼女の主治医が話を上手く進められなかったのかは、分からない。

 分かっているのは、一刻も早く患者のために疾患を除去しなくてはならないということだけだ。

「では、病状悪化については、この治療後早急に手を打つことにしよう。疾患の可視化を行うが、皆準備はいいな」

 明日翔さんの言葉に、チームメンバーは大きく頷いた。

「では、疾患の可視化を頼む」

『了解しました。疾患の可視化を行います』

 メッセージが流れた瞬間、地面が盛り上がる。

 そこから噴火するように現れたのは、闇よりどす黒いヘドロだった。ヘドロは巨大な山を作るように一箇所にまとまった後、弾け飛んだように触手を伸ばす。伸ばしたそれらを鞭のように振るって、黒いヘドロ、患者の疾患は僕らに向かって攻撃を仕掛けてきた。事前に決めていた役割通り、僕らは散開して、ヘドロに相対する。

 弾丸の如きその触手たちの間を、明日翔さんは身を屈め、時には切り結んで進んでいく。殆どの疾患は、明日翔さんの長剣を受ければ、その存在を維持できない。彼を疾患の元へ到達させることができれば、僕らの勝ちと言っていいだろう。

 僕は明日翔さんの援護のため、銃口をヘドロへと向ける、所で、こちらの方にも触手が迫ってきた。体を捻って躱しながら、僕は銃口を引き絞る。轟音と共に弾丸が疾患に向かって突き進むが、その弾は触手が打ち落としていた。そして弾丸を打ち落とした触手は、ヘドロから切り離されて地面に落ち、光の粒子が溢れ出して、消えていく。触手経由で薬の弾丸が疾患全体に伝わるのを、防いでいるのだ。

 僕は舌打ちをしながら銃を、疾患へと撃ち続ける。六発撃った後、薬莢を取り出して弾を込め直すリードタイムが、僕が完全に無防備になる時間だ。

 当然、疾患はそのスキを見逃してはくれない。ここぞとばかりに、触手たちが僕に向かって迫ってくる。

 その触手たちを、一発の砲音が吹き飛ばした。祐成くんが抱えている、砲台だ。砲弾を撃ち出した衝撃が、風圧となって僕の体すら揺らす。千切れた触手たちが宙を舞い、光を発してその中に消えていった。

「援護は任せてください、錦司さん!」

 こちらに向かって親指を上げて笑いかける祐成くんの後ろに、触手が迫っていた。僕が声を上げるより早く、祐成くんに迫った触手は切断されている。

 壮一郎くんと、荘二郎くんだ。彼らは巨大なハサミを出現させ、互いに柄の部分を持ち合って、二人で一つの得物を使っている。

「錦司くんにいい所見せようとして、背中がお留守だぜ? 祐成ちゃん」

「油断大敵だよん? 祐成ちゃん」

「う、うるせぇ! 俺だって気づいてたんだよ!」

「ほら、三人とも集中して!」

 言い合いをしていた彼らに向かっていた触手を、先程入れ替えた弾丸で僕は即座に撃ち落とす。明日翔さんの援護射撃も撃ちつつ、自分に向かってくる触手たちも避けて、僕はまたシリンダーから薬莢を取り出して新しい弾丸を込め直す。

「祐成くんは、ステロイドの砲弾を! 壮一郎くんと荘二郎くんは、祐成くんを守ってあげてください!」

「わかりました!」

「あいなー」

「あいよー」

 祐成くんが砲撃の準備を進めている間、彼を狙う触手たちを双子がちょっきんちょっきんと言いながら、どんどんと切断していく。

 僕は明日翔さんの援護と疾患にダメージを与えるため、射撃を続けた。

 撃つ、避けながら弾を込める、撃つ、避けながら弾を込める、転がる、撃つ、避けながら弾を込める、撃つ、避けながら弾を込める、転がる、撃、とうとして避ける、撃つ。それぐらいの動作をしていると、祐成くんの準備が出来たみたいだ。

「僕が疾患を引き付けるので、その間に砲撃をお願いします!」

「了解っす!」

 祐成くんの言葉を聞き終える前に、僕はもう一丁、このXRの世界に銃を出現させた。今度の銃は、フルオート射撃が可能なものだ。

 新たに出現させた銃で、ろくに狙いも定めずにとにかく疾患に向かって引き金を絞り続ける。フルオート射撃は、引き金を引いている間、弾丸を撃ち出し続けるものだ。今は疾患に俺という存在を、最優先で倒すべき驚異と認識させる必要があるので、とにかく撃ち続ける。狙いが適当なのは、疾患の体が大きいので、大まかな方向へ銃口を向けていれば疾患に当たる軌道で弾が飛ぶためだ。だがそうした射撃も、全て触手に阻まれてしまう。

 一方、リボルバータイプの拳銃は狙いの精度を上げつつ、撃つ速度も維持。祐成くんは壮一郎くんと荘二郎くんが守ってくれているので、明日翔さんの援護に集中できる。明日翔さんも長剣を振るって触手を切り結んでいくが、疾患に近づけば近づくほどその数は増えていく。そもそも明日翔さんを狙い始めた触手を優先して撃っていった方が、彼の進行速度も上がるのだ。

 六発撃ち終わったので、片手でリボルバーから空薬莢を排出。出現させた新しい弾丸を口に咥え、シリンダーにねじ込んで、装填完了。また新たに撃ち続ける。フルオートの弾丸も弾倉がなくなったので、不要な弾倉を排出。出現させた弾倉へ、拳銃を叩きつけるようにして宙で装填。また引き金を絞る。

 射撃を続けながら、やっぱり片手での装填はキツイな、と僕は舌打ちをした。僕が最初からこの戦法を取らなかったのは、腕の負担が大きく、ずっと続けることが難しいためだ。自分の実力不足で明日翔さんが進む一歩が遅くなってしまうことに苛立たしさを感じるが、僕はすぐに頭を切り替えて、今自分が出来ることに集中していく。

 やがて、僕を一番の驚異と感じたのか、疾患の触手たちが僕に集まってきた。ここからはもう、自分の限界への挑戦だ。

 今まで以上の猛攻に、僕は銃を振り回し、弾丸をひたすらばら撒いていく。冷や汗が、僕の額からこぼれ落ちた。

「準備、完了しました!」

 砲台を抱えた祐成くんが、声を張り上げる。よし、なんとか持ちこたえた。

「やってくれ、祐成くん!」

「いきますよっ!」

 祐成くんが手にした砲台が、けたたましい、暴力に近い大音量が発せられた。そして放たれたのは、それだけではない。

 砲弾は辺りの触手を引きちぎるようにして飛んでいき、そしてついに疾患に直撃した。

 巨大なヘドロが、大きく傾いていく。

「やったっすね、錦司さん!」

「ちょ、祐成ちゃん!」

「それ、フラグだよ!」

 壮一郎くんと荘二郎くんの悲鳴に近い言葉通り、一度は傾いていた疾患だったが、体勢を立て直すように体を起こしていた。

 でも、大量のステロイドを投入したのに、どうしてまだまともにあの疾患は動けんるんだ?

 一瞬。その疑問が頭に浮かんだせいで、僕は自分に迫る触手たちへの対処が、後手に回ってしまう。慌てて銃を向けるが、あの一瞬が致命的だった。自分を囮にしていたのが仇となり、瞬く間に無数の触手たちに囲まれてしまう。それでも僕は、懸命に引き金を引き続けた。

 だが、どうしても撃ち落とせない触手たちが、僕の背後から迫っている。気づいているのに、そこまで手が回らない。

 うねり、粘着く触手が地面を這うように僕の方へと近づいてきて――

 その触手が、長剣に斬り裂かれていた。

 僕を救ったのは、長剣を得物に選んだのは、一人しかいない。

「明日翔さん!」

「大丈夫か? 錦司!」

「な、何してるんですか! まずは患者のために疾患を攻撃するのが先でしょう? 何で僕の方なんかに――」

「馬鹿野郎! 仲間を見捨てられるか!」

 僕をそう一喝した明日翔さんは、長剣を巧みに操り、次々に触手を切り落としていく。

「患者も、仲間も、俺は絶対に諦めたりしない! お前は違うのか? 錦司!」

「……いいえ。まさか、そんなわけないでしょう」

 僕は、二丁の銃を力強く握りしめる。先程までは絶望的な状況だったが、この人がやって来てくれただけで、そんな気分も吹き飛んでしまった。そうだ。まだ、負けてない。まだ、僕はやれる。いや、僕たちは、まだやれるんだ。

 再び銃を構え、撃ち始めた僕に向かって、明日翔さんが問いを投げかけてくる。

「錦司。さっき投与した薬で疾患の動きが最後まで弱まらなかった理由はわかるか?」

「はい。投与する薬が、間違っていたんですね」

 確かに、若年性皮膚筋炎単体だけ患っているのであれば、ステロイドを投与する方法でも問題ないだろう。実際、限定的ではあるが、効果はあったのだ。

 だが今回の患者は、後天性全身性脂肪萎縮症を合併している。つまり、若年性皮膚筋炎に対するステロイドだけでは足りないのだ。

「脂肪萎縮症に伴う高血糖、高中性脂肪血症に対して、レプチンの投与が必要だったんだ」

 僕の言葉に、明日翔さんが頼もしそうに頷いてくれる。口を開きつつ、引き続き触手たちを斬り結んでいく。

「そうだ。代謝異常を起こしているのが、問題なんだ。それを解決すれば、あの疾患を倒すことが出来る」

「わかりました。それでは、また僕が囮になって――」

「二丁拳銃で戦うの、そろそろ限界なんじゃないか?」

 そう言われて自分の腕を見下ろすと、両腕とも震えていた。確かに、限界が着ていたのかもしれない。

 明日翔さんにじっと見つめられて、僕はいつか待合室で彼から言われた言葉を思い出していた。

「わかりました。素直に、皆の力を借りたいと思います」

「そうしろ。お前が思いやっている様に、皆お前のことを思いやっている。もちろん、俺もな」

 そう言って、明日翔さんはまた疾患に向かって、歩みを進めていく。僕も援護射撃をしながら、祐成くんたちと合流した。

「大丈夫でしたか? 錦司さん!」

「悪い、心配かけたね。でも、大丈夫だ」

「それで、錦司くん」

「次は、どうするの?」

「ステロイドじゃなくて、レプチンを投与する。僕が囮になる作戦はもう出来ないが――」

「大丈夫っすよ、錦司さん! 俺たち、チームじゃないっすか!」

「そうだよ、錦司くん」

「ボクたち皆で、頑張ろう?」

「……そうだな。ありがとう」

「とにかく、小さくても当て続ければいいんっすよね?」

「それじゃ、ぼくらが錦司くんと祐成ちゃんを守るから」

「錦司くんと祐成ちゃんは、攻撃に専念しちゃってよ」

 方針が固まり、僕たちは走り始めた。こちらに迫る触手たちを壮一郎くんと荘二郎くんが切断し、その合間を縫うように僕が明日翔さんへ援護射撃を撃ち放つ。

 祐成くんは一発の威力よりもとにかく当たることを優先して、砲弾を散弾に変更。命中精度を上げるため、砲身が先程よりも長い砲台へ変更していた。僕も途中から、弾丸の入れ替え速度を削減するため、拳銃をリボルバーからフルオートへ変更している。

 祐成くんの砲台が火を吹き、双子が操る巨大なハサミがヘドロの触手を光へと変えていく。僕の手にしている拳銃も、銃口からは絶えずマズルフラッシュが発せられていた。

 火力よりも手数を増やして対応しているため、どうしても決定打にかける。だが手数を増やしたことにより、確実に触手の数を減らせていた。徐々にではあるが、疾患本体にもダメージを蓄積させれていく。

 そして、ついに巨大なヘドロの山、そこから現れる触手の嵐が、一瞬止んだ。

「今です、祐成くん!」

「ここで一発、ドデカイのかましますよ!」

「いけいけ祐成ちゃん!」

「やれやれ祐成ちゃん!」

 祐成くんが、砲台を先程のものに戻す。砲弾の準備は、僕が肩代わりした。僕が出現させた弾を、祐成くんが自分の砲台へと装填。そして射角等を調整した後、それを発射した。

 爆音が鳴り響き、触手たちを木っ端にしながら、その砲弾は疾患のど真ん中にぶち当たる。血飛沫の如き光の粒子が盛大に撒き散らされ、その中を痩躯する人影があった。

 明日翔さんだ。

「うおおおぉぉぉおおおっ!」

 明日翔さんが雄叫びを上げ、ヘドロに向かって長剣を振り下ろす。疾患から光の粒子が散乱し、汚泥は断末魔を上げながら、光の中へと消えていった。

 すると、僕の眼前に、こんなメッセージが現れた。

 

『疾患の消滅を確認。これにて、XR治療を終了致します』

 

 その内容に僕は満足そうに頷いて、顔にかけてたったゴーグルを外した。

 

 ***

 

「それじゃあ、ちゃんと薬、飲むんだよ?」

「はい、わかりました」

 そう言って頭を下げる彼女を病院の入口で見送り、僕は病院の中へと戻っていく。

 すると待合室で、明日翔さんが僕のことを待っていた。

「病状の悪化は、患者が薬を飲まなくなったことが原因みたいだな」

 その言葉に、僕は苦々しく頷いた。

 若年性皮膚筋炎が悪化して後天性全身性脂肪萎縮症を併発したあの患者は、やはりSNS上での自分の評価を気にしていたらしい。その結果、太るのを気にしすぎてしまい、薬を飲まなくなったのだという。

 女性の太りたくない、という気持ちは非常によく分かるし、共感出来る部分もある。だが、それで命の危険に晒されてしまうのでは、割にあわないだろう。

 なるべく心と体、その両方を健全な状態に出来るようにしようと考えてはいるが、中々やはり上手くいかないこともある。

 技術進歩があっても、人間は人間だ。どうしてこんなことをするんだろう? ということを人間はするし、過去自分もそう考えていた馬鹿らしいと思えることを、いざ自分が当事者になった瞬間にやってしまったりする。

 病院から処方された薬を途中で飲まなくなってしまうことなんて、かなりの確率で起こっていたりするのだ。

 僕が何か口にするより前に、明日翔さんが言葉を紡いでいた。

「どうやら、まだまだみたいだな」

「……そうですね。まだ僕は、精進が足りないみたいです」

「違うだろ? 錦司」

「え?」

「俺たち、だろ?」

 そう言った明日翔さんが、別の方向を振り向く。そちらにはこちらに手を振る、祐成くんに壮一郎くん、荘二郎くんの姿がある。

 それを見て、確かに明日翔さんの言う通りだな、と思った。

 僕らは、チームだ。僕が出来ないことは、仲間が助けてくれる。足りない所は、皆で補っていけばいい。チームとして足りない事があれば、皆で頑張ればいいのだ。

「そうですね、明日翔さん」

 そう言った後、僕は明日翔さんと一緒に仲間の元へと歩いていった。

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