第3話 痴漢犯VS俺
「し……死ぬ」
ケーキ屋「ゆきの」を後にしてから少し経った頃。俺は電車内という密閉空間で人波にのまれていた。みんな仮装してるからいつもより暑いし、めちゃくちゃ汗臭い。それに酒の匂いも充満している。まるで令和の百鬼夜行。俺と同じような仮装をしてる奴もチラホラ見受けられる。さすがに、もう限界かもしれないと思っていたところで
(痛って)
誰かの肩とぶつかった。
「す、すみません」
あいにくぶつけた相手の顔を見る度胸なんてないが、とりあえず謝っておく。何も言わないよりかはマシだからな。顔を伏せた俺の視界の端に映る銀色。どこかで見覚えがあるような。既視感を感じた俺は顔を上げた。
(……マジで?)
一人の女性と目が合う。華美な衣装が数多ある電車内で、一際目立つ銀髪。間違いない。どこの誰かは知らないが俺がテレビで見つけた美少女だ。しかし、テレビで見た時と比べて表情が暗い。光が入ってない目は死人みたいだ。何かあったのだろうか。
まあ、とにかく今日はついてるな。あの子と一緒の電車に乗れるなんてな。明日になったら地球消滅とかにならないよな。なんてくだらないことを考えながらポケットからイヤホンを取り出そうとした俺の腕を誰かに掴まれた。腕の元を辿ると美少女がそこにいた。
「ん?」
首を傾げた俺に何やら伝えたいようだ。口はパクパク動いているのは分かるのだが何を言っているのか聞きとれない。本人としては声を出しているつもりなのかもしれないが、全く聞こえないのだ。それによくよく見ると目元が潤んでいる。アレルギーにでもやられたのかと思った俺だが、彼女の背後に立つ巨漢の男の顔を見て、その理由が分かった。
(もしかして…………痴漢!?)
彼女の後ろに立っている男は随分と体格が良い。推定にはなるが百キロを超えているだろう。けど筋骨隆々な感じからスポーツをやっているのかもしれない。いわゆる体育会系って感じだ。
犯罪者は身近にいるもんだな。痴漢とは縁がなさそうな人なのに。
「この先電車が揺れます。ご注意ください」
アナウンスが流れるや否やグラリとする電車内。どさっと数人の大人が俺の方に寄っかかり、たまらず「ぐえっ」といかにもマヌケそうな声が出た。それだけじゃない。俺の胸に一人の少女がもたれかかる。
俺が助けなくたってずっと電車に揺られていればその内、俺なんかよりも強そうな奴が乗車してきて手を貸してくれるに決まってる。それに、冤罪だったらどうすればいいんだ? もしも兄弟のスキンシップ的なことだったら恥をかくのは俺。最近流行りのパパ活なるものだったら俺の行動で彼女達の関係をぶち壊しかねない。申し訳ないが、関わるのをやめよう。
そう思っていた。後ろの男に気付かれないように俺の服を握る少女。恐怖のあまり震えているのが服を通じて伝わってくる。
助けを求める彼女の姿勢が俺を動かした。後で何か報酬があるとか。見返りなんてものを求めるつもりなんてない。本当なら無視したい。けど、それじゃあ駄目だろ。こんな格好をしてるが俺だって男の一人だ。
「なんとかする」
後ろの奴に気付かれないように小さく呟く。俺の声はなんとか聞こえたようでコクリと彼女も頷いた。
何とかして助けてやる。次の駅まで残された時間は大体5分。その間になんとかしないとな。とはいえ、威勢よく言ったはいいものの、痴漢です! と大声を出すのが最も手っ取り早いかもしれないが、それでは電車内で混乱を招きかねない。となると、短時間で確実に相手の動きを止める方法になるのだが。
普段動かない脳をこれでもかと稼働させ――
(そうだ。この作戦で行こう)
考えがまとまると、実行に移すための精神統一を始める。勝負は一瞬。気を抜いたらそれまでだからな。覚悟しろよムキムキ野郎。
『到着しました××駅。××駅』
到着のアナウンスが聞こえた。覚悟を決めろ夜闇太一。扉がアナウンスの後に開き、ゾロゾロと人が降車していく。巨漢も降りた。群衆の中に紛れ込むつもりなのだろう。行かせるわけにはいかないと俺は声をかけた。
「お前、ちょっと待てよ」
「ああ?」
若干どころか、かなりキレ気味に振り向く男。心当たりがあるから振り向いたに違いない。何か疚しいことでもなけりゃ呼び止められたなんて思わないからな。
「あんた、銀髪の子に痴漢してたんじゃないのか?」
「はぁ? 変な言いがかりは止めろよ。仮装してるからって調子こいてんのかこのガキ」
そっか。帰り道で配ってたお化けの仮面を被ってるから素顔が見えてないのか。これは好都合だ。顔が見えてないのなら自信満々に言ってやる。
「近くで見てたんだよ。いい大人なら自分がやったことを自白しろ」
「なんだお前? いい加減にしろよ!」
迫りくる巨体。武術なんて習ったことのない俺には勝ち目がないだろう。
もちろん、普通に戦えばな。
「おらぁぁぁぁぁぁ!」
俺が繰り出した攻撃は実にシンプル。
金的蹴り。
男子にやってはいけない禁術だ。
「ぐおおっ!」
「ざまあみろ!」
痛みの余りに前のめりに倒れ込む巨体。痛いだろうな。噂では金的を蹴られた時の痛みは出産を凌駕するほどらしい。
動けなくなった今が好機だ。
「今の内だ。行くぞっ!」
集まりかけた群衆の中をうまく避けて少女の手を掴むと急いでホームの階段を駆け上がる。
このまま解散してもよかったのかもしれないが、駅の近くではまだ奴がいるのかもしれない。とにかくゆっくりできる場所はないかとスマホで調べると丁度いい公園があったので行くことにした。
ここまで来れば平気か。
「助けるのが遅くなってごめんな」
ふりふり。
「あいつの動きを止めるためにはああするしかなくてさ」
ふりふり。
返答の変わりに首を横に振る美少女。街頭に晒される銀髪は美しい。けど、彼女は下を向いたままだ。俺もつられて視線を落とすと、手を繋いだままなことに今更ながら気がついた。
「わ、悪い!」
柔らかかったな、この子の。いや、そんなことよりもだ。彼女をなんとか明るい気持ちにさせないと。涙ぐんでるし。放っておけば声をあげて号泣するかもしれない。それに、このままPTSDにもなって電車に乗ることができなくなるのは可哀そうだ。けど、何か喜ばせる方法は……。
そうだ。俺の左手に持つ紙袋。この中には明日に発売予定の試作ケーキが入ってる。
「ケーキとか、食べる?」
「…………」
コクリ。
よかった。食欲はあるみたいだ。いつでも食べれるようにフォークもあるからな。それに試作とはいえ完成度に関してはケースに並んでいるケーキと何一つ変わらないクオリティだ。味に関しても自信あり。佐知子さんたちが日夜研究したものだからな。
箱を開けて取り出そうとしたのだが、
「あ…………」
潰れてる。ケーキの原型がねえ。
「いや、やっぱり食べない方が良いと思う。ごめん」
「ううん…………食べる」
箱を閉じようとした俺の腕が掴まれた。ていうか始めて声聞いたな。
恐る恐るケーキを食べる少女。
一瞬、ぱあっと後光が見えたような。そこから完食するまであっという間だった。流石、店長たちの自信作。明日、お礼を言っておこう。
ケーキを食べたことで明るさが戻ったのか、二人で何気ない話をして過ごした。周りから見れば仮面をつけた俺も変質者に変わらないのかもしれないが、別にいいや。こんな近くで美少女がケーキを食べることなんてないんだからな。
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