第65話 杏樹連れ去られ事件!(3)

 杏樹あんじゅ嘉世子かよこ先輩に「拉致」された、っていうことになっていたらしい。

 車に押し込まれているところを見た、すごく悲しそうな表情だった、あれは助けを求めていたに違いない、あのとき声をかけていなかったのが悔やまれる……。

 嘉世子先輩の車に乗ったのは事実だ。そのときに「いかのおすし」の標語を思い出したのも事実だけど。

 でも、なんでそんな大騒ぎになる?

 あのとき、杏樹は車に押し込まれたのではなくて自分で乗ったのだし、べつに悲しそうにもしていなかったはずだ。だれかに声をかけられても、普通に嘉世子先輩の車に乗って出発しただろう。

 そこで、どんたくにそう書いて、どうしてそんな話になったかをきいてみる。

 しばらくして返事が返ってきた。

 「かよん先輩、すごい騒ぎを起こしてたんだよ」

 「騒ぎって、トラブル」

 いや、それは言い直さなくてもわかるんだが。

 「そのあとすぐ、あんじゅが拉致されたからさ」

 だからそんな物騒な話ではないんだけど。

 でも、それは言わずに

「トラブルって、どんな?」

と返す。

 そうするとまた連続してメッセージが来た。

 先輩の言ったとおり、現代社会学研究室の研究室公開には十人以上の二年生が来て、三年生や院生まで含めて、二十人を超える学生が集まっていた。

 嘉世子先輩も来ていたけど、ずっと黙って座っていて、ときどきスマートフォンを見ているだけで、だれとも話さなかったという。

 そこに建築か何かに興味があるという二年生の学生が来た。それで、羽場はばという現代社会学の先生が嘉世子先輩に声をかけて、都市工学の説明をするように言った。

 そうしたら、嘉世子先輩が突然立ち上がり、思い詰めた目で先生を見つめて

「先生、そんなことより、いまここで、わたしと結婚するって言ってください!」

と大声でわめいた。

 どんたくによると、先生は既婚者で、奥さんも子どももいるという。女の子は明珠めいしゅ女学館じょがっかんの幼稚園に通っているらしい。

 かわいいんだろうな。

 かわいいに決まってる。

 会ったことないけど。

 その子にも、その先生にも。

 いや、そうではなく!

 だから、もともと、先生が、嘉世子先輩と結婚するなんて言うはずもない。

 しかも、研究室公開で、たくさん学生がいるところで。

 先輩は、先生とひとしきり激しくやり取りしたあと、ぷいっと研究室を出て行ったという。

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