第19話 日本史研究室のお茶会(12)

 ところが、紅茶を唇までもって行く前に、まだカップケーキが残っているのに気づいた。残すのはいやだ。

 それで、杏樹あんじゅは、紅茶のカップを置いて、ケーキのほうを食べる。

 それでしばらく話が途切れる。

 「ところでさ」

 さっきまで凜々りりしくて真摯しんしで先生に反論というのを挑んでいた結生子ゆきこさんが、杏樹に話しかける。

 嬉しそうだ。

 「杏樹ちゃん、そのケーキのお味、どう?」

 「あ。おいしいです!」

 あ。口にケーキを入れたまま言ってしまった。慌てて紅茶を口に流し込む。

 「お行儀が悪い感」が増幅されたな、これは。

 まあいいけど。

 でも、結生子さんはそれは気にしない様子だった。

 「どうおいしい?」

 目を細めてほんとに嬉しそうにきく。

 なんでそう絡む、と思ったけど、正直に答えた。

 「ふわっとしてて、でも口当たりはさくっとしてて、でも口に入れてるととろけていくような感じがあって、それから甘さが広がって……なんか、こう……粉から作ったって感じがぜんぜんしないです!」

 その表現はどうなの、と、自分で思う。

 「それって、最高のめことばをもらった、と思ってもいいかしら?」

 結生子さんがきくので、ためらいなく

「はい!」

と答える。

 結生子さんは意味ありげに笑った。

 ――また何か罠にはまった?

 でも、結生子さんは、杏樹ではなく先生のほうを見た。言う。

 「だ、そうですよ」

 先生は、最初は眉をひそめて迷惑そうにしていたけれど、急に、わかった、というようににこっと笑った。

 その肩のぴくっという動きが若々しい。

 ほんと、何歳なんだろう、この先生は。

 「ありがとう」

と先生が言った。ほっと息をつくような言いかただった。

 「え?」

と、いまの会話に参加していなかったいずみ仁子じんこが反応した。

 仁子はもうカップケーキを食べてしまっている。たぶん二個めだ。

 その仁子が、その顔色の悪い顔を軽く先生のほうに上げて、きいた。

 「これって、先生が作られた……ん……ですか?」

 先生はまた肩を動かす。

 「そうよ」

 「わあ」

 仁子が声を立て、結生子さんがやっぱり目を細めて嬉しそうにその仁子ちゃんを見ている。

 仁子が「わあ」なんて声を立てるんだ、と、感心するひまもなかった。

 え? え?

 先生が、何を作ったって?

 「これって、先生が作られた」。

 ――ということは、その「これ」とは?

 このカップケーキのこと?

 「ええっ?」

 杏樹は思わず大きい声を立てた。

 「だって、これって、満梨まりさんの店の、あ、いや、どこの店のケーキと較べても、おいしいですよ!」

 昨日、お母さんが東京の有名店まで行って買ってくれた、あの杏樹の成人祝いのケーキと較べたらどうだろう?

 ケーキの種類が違うから「どっちもおいしい」としか言えない。でも、先生のケーキは、有名店のケーキと比較しても引けを取らない。

 先生は少女のように頬を赤くした。

 「ありがとう」

 これで杏樹は因果のバランスは取った。

 根拠はないけど、杏樹はそう思って、とても満足だった。

 そして、現代社会学研究室に行かなければ、という気もちを、また忘れてしまった。

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