しあわせな誕生日
清瀬 六朗
第1話 秋の終わり
月曜日の午後、
寒い。
季節で言えば秋の終わりだけど、もう空気は冬なのだろう。
こんな季節に自分は生まれたのか。
もう、というより、わずか二十年前のことだ。冬に満足な暖房のない時代ではない。たぶん、病院の産科の、エアコンの効いた暖かい病室で杏樹は生まれたのだろう。この世のなかで最初に触れた空気は暖かかったはずだ。お母さんも、自分を産むときに、寒い空気におなかをさらす必要はなかった。
それでも、病院を退院して家に帰るとき、自分もお母さんも、たぶんお父さんもいっしょに、この寒い空気のなかを帰ったんだ。そして杏樹がこの世で最初に迎えた季節は冬だった。
杏樹はため息をついた。
誕生日にこんなことを考えたのは初めてだ。
外は曇っている。空は白くて、その白さと灰色とのあいだでかすかな濃淡が見えるだけだ。廊下の照明も白い。ブーツの
今日は研究室公開の日で、通常の授業はない。
ここの大学では卒業論文をどの研究室で書くかを二年生の後期に決める。その研究室を決めるために、二年生のために研究室を公開する。そのための日が今日だ。
したがって二年生は学校に出て来て研究室めぐりをすることになっている。
でも二年生で属したゼミで研究室を決めてしまっている子も多い。二年生でゼミを取った子以外は卒業研究の研究室に入れないと公言している先生もいる。だから今日学校にわざわざ出てくる二年生はそれほど多くない。
出て来ている学生でも、児童福祉学部の学生ならばほとんどが小学校教育や福祉系の研究室に行く。
旧館の三階なんてへんぴな場所までやって来る子はなかなかいない。
一階でエレベーターに乗ったときには、まだ、だれかいたかな、という気配は感じた。でもここにはだれの気配もない。
エレベーターと階段の角から、民俗学、言語学、東洋思想学と続き、東洋思想学研究室の隣で、杏樹は足を止める。
研究室の表札には
「日本史
と書いてある。
もしなかにだれもいないようだったら素通りすることに決めていた。
日本史は「本命」ではない。ただちょっと興味があるからのぞいてみよう、という程度だ。
でも研究室のなかは明るい。だれかいるようだ。
ほんとうにここに入っていいのか自問するために、杏樹は研究室の前で深呼吸して息を整えた。
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