辺境の虜囚 第二十話 魔法
エイナたちはオークの案内で、彼らの村に向かって歩き始めた。
タブ大森林は、古い時代(寒冷期)にできた針葉樹林なので、地表に陽光が届かず藪や下草が少ない。とはいえ、人手が入っているわけではないから、結構歩きづらい。
しかし、オークたちは踏み均された獣道をよく知っており、それを巧みにたどっていった。
五人のオークの中で、どうにか中原語を操れるのは、リンという若者だけらしかった。
エイナとシルヴィアは代わるがわるリンに話しかけ、どうにかして彼らのことを訊き出そうとした。
しかし、彼が知っている単語は少なく、両者の意志を疎通させるには、言葉よりも身振り手振りの方が役に立った。
一見すると、獰猛でいかつい容貌をしている彼らだったが、いざ話してみると意外に表情が豊かで、愛嬌があるとさえ感じられた。
とにかく、リンからオークの情報を訊き出すのは難しく、エイナたちは彼を解放するしかなかった。
その後の道中は、人間同士の会話となった。
「それにしても驚いたわね。
オークが中原語を使ったこともそうだけど、彼らには明らかに理性があるし、身なりから判断しても、ある程度の文明を持っていると思われるわ」
シルヴィアがオークたちに対して、やや好意的な感想を洩らしたのに対し、エイナの方は未だに懐疑的だった。
「私は辺境育ちだから、頭では理解しようと思うけど、本能が拒否しちゃうわね。
長年辺境を襲ってきたオークには、理性なんかなくて、ただ自らの欲望を満たそうとする野獣に過ぎなかったもの」
「あら、オ-クって、本来は低レベルだけど文明を持っているし、ちゃんと社会生活を営む種族なのよ」
「どうしてそんなことが分かるの?」
シルヴィアは自慢げに鼻をうごめかした。
「これもユニ先輩の功績のひとつなのよ」
「王国と南のルカ大公国を結ぶ街道があるんだけど、その東側一帯には〝南部密林〟って呼ばれる森林地帯が広がっているの。
そこには、数百年前に集団転移してきたオークが棲みついていて、ダウワースっていう王様が統治しているんですって。
ダウワース王は中原語を自在に操るそうよ。ユニ先輩はその王の信頼を得て、人間を襲わないことを約束させたのね。
今も大公国との間で、小規模な交易を続けているらしいわ」
南部密林のオークについては、エイナも魔導院で教わった記憶があった。
「じゃあ、その種族が大森林まで進出してきた……ってことかしら?」
「大森林と南部密林の間は山脈で隔てられているけど、確か一部ではつながっていたはずよ。
可能性はあるんじゃないかしら?」
「マリウス様の話では、彼らは王国に服従しているのよね?
交渉が成立したということは、意志の疎通もできたってことだわ。
村に行けば、もっとちゃんと話のできるオークがいるのかしら?
そうじゃないと、カーン少将がどうなったか、訊き出すのに苦労するわよ」
「そうね、そればっかりは行ってみないと分からないわ」
シルヴィアは肩をすくめてみせるのだった。
* *
彼らは長い時間歩き続け、オークの村に着いた頃には、すっかり暗くなっていた。
カー君が森に降り立ったのは、午後二時過ぎくらいだったから、五時間以上歩いたことになる。
当たり前の話だが、オークの村には外灯などはない。暗くなった村は、ひっそりとしていた。
日が落ちれば眠るのは、人間もオークも変わらないらしい。
ユニたちを案内したオークたちは松明に火をつけ、村の中をずんすん進んでいった。
エイナはかなり夜目が利くので、村の様子はおおよそ把握できた。
家屋はいわゆる掘立式で、地面を掘り下げて柱を立て、萱や葦で屋根を
これは後から知ったことだが、彼らの集落の近くには、小さな川が流れていた。
水は生活用水としても重要だが、オークは頻繁に水浴びをするので、立地としては理想的な場所であった。
ここはその川が、大規模な氾濫で流れを変えた跡地で、自分たちで森を切り拓いたというわけではないらしい。
村の中央には小さな広場があり、そこに大型の家屋が建っていた。
エイナとシルヴィアはそこに連れていかれた。
リーダー格のオークが入口の簾を上げ、エイナたちに入るよう促した。
ただ、カー君が二人の後に続こうとすると、オークはその前に立ちはだかった。
「カー君は駄目だって。外で大人しくしてなさい」
シルヴィアはそう声をかけ、建物の中に入っていった。
屋内は広かったが、間仕切りはなかった。集会所のような施設なのだろう。
あちこちに灯火が置かれ、薄暗いながらも視界は確保できた。
明かりは素焼きの皿に灯心を浸したもので、燃料は獣脂らしく酷い臭いがした(お陰でオークたちの体臭が気にならなかった)。
座っているオークは八人で、顔や身体に極彩色の入れ墨を施していた。
エイナたちを案内してきたオークたちも入れ墨はしていたが、これよりはずっと控えめで、色も暗い藍一色であった。
要するに、彼らはこの集落の権力者たちで、派手な入れ墨はその権威の象徴なのだろう。
そして一番奥の上座に、ひときわ身体が大きいオークが、どっかりと腰を下ろしていた。
他の幹部オークたちの貫頭衣は生成りだったが、彼の衣服だけは赤や紫で模様が染められている。
彼が族長だということは容易に想像がつく。実に分かりやすかった。
そして、族長の隣には、少し見た目が違うオークが座っていた。
長い髪を後ろで縛り、やや小柄だが、大きな乳房と尻が目立っていた。他の者のような入れ墨はなく、肌の色も薄い。
目は大きくよく動き、上向きの鼻とぽってりとした唇には、どことなく愛嬌があった。
女性の彼女が同席しているのは、族長の妻だということだろうか。
勢ぞろいしたオークたちの前に引き出されたエイナとシルヴィアは、『取りあえず挨拶しなければ』と思った。
二人は気をつけの姿勢で、正面に座る族長に向けて敬礼した。
「リスト王国参謀本部所属、国家召喚士シルヴィア・グレンダモア少尉であります」
「同じく参謀本部所属、魔導士エイナ・フローリー少尉」
彼女たちは官姓名だけを名乗り、相手方の反応を見た。
言葉が通じないのでは、用件を話しても仕方がないからだ。
居並ぶオークたちは、一斉に上座の方を見た。だが、その視線は族長ではなく、隣の女オークに向けられていた。
彼女は幹部連中の眼差しに応えるように、すっと立ち上がり、甲高いオーク語で何かの説明を始めた。
その中に、「エイナ」「シルヴィア」といった単語が混じっていたので、彼女は二人の発言の通訳をしたのだろう。
エイナたちの挨拶に比べて、その女の説明は長かった。
しかも、オークの幹部たちは、喰ってかかるような勢いで、彼女に何事か言い返している。
オーク女は少し困ったような顔で、エイナたちの方に顔を向けた。
「遠い所をようこそお越しくださいました。私たちは、王国の客人を歓迎いたします」
彼女の第一声は、抑揚に不自然さはあったが、十分に滑らかで聞き取りやすい中原語だった。
単語を並べるだけのリンとは、レベルがまったく違う。
「私はダウワイエス・ジャヤと申します。どうかジャヤとお呼びください。
隣におりますのは、一族の
ジャヤと名乗った女性は、続いて幹部たちの名前を次々に紹介していった。
それが終わると、ジャヤは再び困った表情を浮かべ、エイナの方を見た。
「私たちは皆、王国の召喚士をよく知っています。
ですから、シルヴィアさんが連れてきた、あの翼の生えた奇妙な獣を見て、すぐに幻獣だと分かりました」
どうやら、彼らはエイナたちを建物の隙間から、ずっと覗いていたらしい。
「ですが、私たちオークは、魔法というものを一度も見たことがありません。
それで、魔導士が何かをうまく説明できないのです。
できれば、何か危険のない術を、ここで見せていただけないでしょうか?」
エイナは
彼らはエイナを凝視していたが、その目は疑念や不審というよりも、期待に満ちた子どものような輝きに満ちていた。
もちろん、族長もその一人である。
「ジャヤさんも、魔法を見たことがないのですか?」
「はい」
「ですが、魔導士という概念は理解しておられる?」
「魔法は知りませんが、初歩的な呪術なら、父から教わっています。
呪術も魔術も、元をただせば同じだと聞いています」
「それをお仲間に見せたことはないのですか?」
「父から禁じられました。呪術は恐ろしいもので、見世物ではありません」
エイナは『魔法だって、見世物じゃないんだけど……』と思ったが、口には出さなかった。
「分かりました。では、簡単な魔法をお見せしましょう」
彼女は自分が何も知らない少女だったころ、魔導士のケイトが初めて魔法を見せてくれた時のことを、ふと思い出して懐かしくなった。
エイナは小さな声で呪文を唱えながら、右手を前に出した。
下腹部に溜めた魔力を練り上げ、血流に乗せて腹から胸、肩、腕へと送り込み、指先に集中させる。
準備が整うと、彼女は人差し指をくるりと回してみせた。
すると突然室内に風が起こり、ごうっと渦を巻いて、灯火をすべて吹き消してしまった。
あたりは一瞬で闇に包まれ、オークたちは息を呑んだ。
ただ、オークは人間よりも夜目が利くので、そこに
これはごく初歩の風魔法であった。
エイナは風系の魔法をほとんど使わないが、この程度なら楽勝である。
続いて、次の呪文で空中に強い明かりが出現し、これはオークたちをぎょっとさせた。
輝く光の球は八つに分かれ、それぞれのオークの元へふわふわと寄っていく。
自分の目の前に浮かぶ光に、オークたちは恐々と手を伸ばした。
手を近づけても、炎と違い一切熱を感じない。
一人のオークが勇気を出し、光球を掴んでみようとしたが、明かりは手を通り抜けてしまった。
エイナがパチンと指を鳴らすと、それらの光はふっと消えてしまった。
その代わりに、エイナの掌の上には、小さな炎が生まれていた。
炎は人魂のようにゆらゆらと移動し、消えた灯心に次々と着火させて回る。
すべての明かりが灯ると、炎は〝ポンッ〟とはじけて消滅した。
オークたちは感嘆のこもった溜息を洩らし、ひそひそと小声でささやき合った。
「これでご満足いただけましたか?」
エイナの問いをジャヤが通訳すると、幹部たちは皆、嬉しそうな顔でうなずいた。
真顔に戻った族長が、何かを妻に命じた。
「エイナさん、ありがとうございました。
それでは、本題に入りましょう。
私たちは、王国から使者が到着することを通告されていました。
しかし、あなた方はその報せにあった人物ではなく、来た方角も違います。
一体、どのような目的で、私たちの領域を訪れたのでしょうか?」
その質問は、エイナたちが待ち望んでいたものだった。
二人は、自分たちが帝国の工作員を追っていること、その者たちが大森林に逃げ込んだ後、消息を絶ったことを説明した。
「その帝国人は、女魔導士が一人と、男が数人と思われます。
何か心当たりはないでしょうか?」
ジャヤはシルヴィアの質問を通訳したが、族長はごく短い言葉を発しただけだった。『説明は、お前に任せる』とでも言ったのだろう。
「それなら知っています。男二人に女一人でした。
狩りに出ていた者たちが見つけて殺しましたが、こちらも五人が殺されました」
「殺してしまったのですか!」
思わずシルヴィアの声が大きくなったが、ジャヤは冷静だった。
「なぜ怒るのですか?
私たちの狩場を無断で侵した者は、人間・オークを問わずに殺す――それは王国が私たちに命じたことではありませんか」
ジャヤの言葉に絶句したシルヴィアに替わり、エイナが説明を試みる。
「あなた方が王国の民となったことは聞いています。
ですが、それはごく一部の者しか知らない秘密なのです。
現に軍に身を置く私たちも、ごく最近知ったばかりで、しかも詳しい内容までは教えてもらえなかったのです」
ジャヤは静かにうなずいた。
「それは理解します。
あなた方王国の人たちが、オークを恐れ憎んでいることは知っています。
そのオークの存在を国が許したと知れれば、大変な騒ぎになるでしょうからね。
ですが、あなた方が知っているオークは、本来のオークの姿ではありません。
長年、辺境を襲い続けてきた奴らは、オークの皮を被った獣に過ぎません」
話はさらに続いた。
「私たちは、人間との〝共存〟を望んでいるわけではないのです。
あなた方がオークを恐れるように、私たちもまた人間を恐れています。
人間一人ひとりは、確かにオークよりも弱いのですが、鉄の武器を持った人間の集団に私たちは敵いません。
ですから、私たちは人間とは隔絶したこの地で、自分たちだけの暮らしを営んでいきたいのです」
「王国は、私たちの居住を認め、納税の義務を免除する代わりに、ある条件を出しました。
それは、認められた領域――つまり狩場を通過しようとする、理性のない
そして、あなた方が追っていたような、不審な人間も殺すことです。
私たちは今回、その義務を果たしたまでです」
ジャヤの説明は、納得のいくものだった。
確かに、王国がオークを臣民として認めたと知ったら、辺境は暴動を起こすだろう。
本来のオークには理性も文明があることが一般に浸透するまで、秘密にするのは仕方がないことだ。
そして、オークたちから税を徴収するというのも、現実味を欠いた話だった。
それよりも、数は減ったとはいえ未だに辺境を襲うオークを食い止める、防波堤に利用した方がずっと利用価値がある。
大森林を隠れ蓑に、密入出国を図る帝国工作員が、ついでに網にかかってくれれば、万々歳である。
シルヴィアは溜息をついた。カーン少将が殺されたのなら、それはそれでいい話だ。
「分かりました。その帝国人たちの死体は検分できますか?
できれば、直接死体を確認したいのですが」
ジャヤはあっさりと答えた。
「骨でよければ」
「は? いくら夏とはいえ、まだ白骨化するほど、日は経っていないはずですが?」
「いや、肉は喰いましたから、残っていません」
「喰った!?」
「はい。私たちオークにとって、人間は獲物の一種です。
殺したのなら、肉を喰うのは当然です。もったいないですもの」
確かにそうだった。
目の前にいるオークたちは、理性も文明もあるとはいえ、人間を喰うことには変わりはないのだ。
ジャヤが中原語を話しているということが、その現実から目を背けさせていたに過ぎない。
「そう……ですか」
うなだれたシルヴィアに、ジャヤは思いがけないことを言った。
「男二人はその場で殺しましたから、村に持ち帰って喰いましたが、女だけは生け捕りにして閉じ込めています。
何しろ、その女が一人で仲間を五人も殺しましたから、生きたまま八つ裂きにして、遺族がその肉を喰うことになっています。
その儀式が、ちょうど明日の予定なのです」
「ですから、女だけはまだ生きています」
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