辺境の虜囚 第十九話 接触

 食事とデザートを詰め込むと、シルヴィアは席から立ち上がった。

「じゃあ、行くわよ」


 エイナは面食らった。

「えと、あの……どこに?」


「あんた、あたしの話を聞いてなかったの?

 あたしたちはカーン少将を探しに行くの!

 カー君には悪いけど、二人乗りで行くしかないわ」

「えっ、私もカー君に乗るの?」


 シルヴィアは天井を仰ぎ、溜息をついた。

「少将が消息不明になって、もう一週間近くになるのよ。事態は一刻を争うわ。

 それとも何? あたしとカー君は空を飛んで、あんただけ歩いて追いかけてくるつもり?」


 実を言うと、エイナは何度かカー君に乗って、空を飛んだ経験がある。

 ただ、それはあくまで試験的なものだった。

 正直に言って、空を飛ぶのは恐かった。

 だが、今の状況ではシルヴィアに従うしかない。


      *       *


 カー君は村の中央広場で地面に寝そべり、すやすやと眠っていた。

 村に駐在する軍の兵士が親切にも見張りに立ち、物珍し気に集まった群衆を遠ざけてくれていた。

 シルヴィアは軍靴の爪先で、その横腹を容赦なく蹴とばした。


『ん~、シルヴィア、あと五分……』

「精霊族は眠る必要ないんでしょ。仕事なんだから起きなさい!」


 シルヴィアが肩の後方に固定された小さな椅子に座り、その前にエイナを乗せると、カー君が不満を洩らした。

『え~、僕、疲れているのに、二人も乗せるの?』

「ぶつぶつ言わないの!

 これだけ人がいるんだから、十分精気は吸収できたでしょ?」


 シルヴィアはてきぱきと準備を進めた。

 固定用の革ベルトをエイナの腰と肩に回してから、自分の飛行服の金具に留める。

「分かってると思うけど、飛行中はしっかりベルトを掴んでてね。

 二人乗りだからどうせ低空飛行になるけど、落ちたらただじゃ済まないわ。

 カー君も、エイナがいるんだから、急な旋回や上下動はやめてね」


 カー君は二人に聞こえないよう。ぶつぶつ言いながら立ち上がった。

 多分、女性の体重に対して、失礼な感想を洩らしたのだろう。

 シルヴィアは踵で乱暴に横腹を蹴り、出発を促した。


 カー君は仕方なく黒い翼を広げて羽ばたき、ふわりと浮き上がった。

 遠巻きに見ていた群衆から「おおぅ!」というどよめきが起きる。

 その人波が小さく見えるまで上昇すると、彼は羽ばたきを止めて水平飛行に移った。


 たちまちエイナの身体が風圧にさらされる。

 季節が夏であることと、ごく低空を飛んでいることで、あまり寒さは感じなかった。

 ただ、風で乾いてしまうので薄目しか開けられないのと、細かい埃や羽虫が顔に当たり、これが意外に痛い。

 シルヴィアの方は飛行用のゴーグルをして、顔のほとんどをマフラーで隠しているから平気らしい。


 カー君は辺境の畑や牧草地の低空を、滑るように飛んでいった。

 三十分も経たないうちに、前方に巨大な緑の塊りが見えてきた。

 延々と続くタブ大森林の樹影である。


 カー君は何度か羽ばたいて、高度を一段上げた。

 大森林には、樹高が三十メートルを超す巨木がざらにあるからだ。

 森に入るとすぐ、エイナが風を避けて横を向き、大きな声を上げた。

「ユニさんの家ってこの辺のはずだけど、マリウス様は何か言ってた?」


 エイナの身体を後ろから抱きしめているシルヴィアも、くぐもった声で怒鳴り返す。

「マリウス様の話じゃ、南の方に出かけているみたいよ! 国外じゃないかと思うわ」

「相変わらず、使われてるわねー!」


 二人が交わした会話は、それくらいだった。

 何しろ風切り音が酷くて、くっついているのに、怒鳴らないと話にならない。

 かといって、カー君を通した脳内通話は集中力を要するので、飛行中は危険であった。


      *       *


 眼下では単調な緑の絨毯がぐんぐん流れていき、沈黙の中で轟々という風の音だけが響いていた。

 そんな中、シルヴィアが突然叫んだ。


「やや右手の先、黄色っぽい塊りが見える!

 あれがアオヤジロの群生よ!」


 エイナは涙が滲む目をわずかに開け、シルヴィアの言う方向を見た。

 確かに陰鬱な緑で塗りつぶされた樹海の中で、ぽっかりと黄色く染まった一帯が見えた。


 あらかじめ打ち合わせていたのか、カー君は速度を落としながら降下を始めた。

 翼を畳んで石のようにすとんと落ち、スギの巨木の間をすり抜け、薄暗い地面の直前で急制動をかけてから、かなり乱暴な着地をした。

 シルヴィアがパチンと音を立てて固定金具を外すと、股間を打って悶絶しているエイナを助けて、カー君の身体を滑り降りた。


      *       *


 太陽の傾きから、飛行時間は一時間半にも満たないとエイナは判断したが、体感的には半日も経ったような気がした。

 とにかく、動かない大地を踏みしめることがこれほど嬉しく、安堵を感じるとは、驚きですらあった。


 降り立った地面はコケとシダ類に覆われ、歩くのに邪魔な下草はまばらだった。

 周囲には、落下の際にカー君の身体に当たったスギの葉が散らばっていて、青臭くも清涼感のある香りが漂っている。


 エイナが強張った身体を伸ばしている間に、シルヴィアは飛行服のポケットから筒を出して、その一本を差し出してきた。


「これが合図に使う発煙筒よ」

 彼女はそう言って、傍らの樹の幹に筒の先をこすりつけた。

 燐と硫黄の塗られた先がすぐに摩擦で発火し、オレンジ色の煙を噴き出した。

 エイナもそれに倣い、二筋の煙が木々の間を立ち上っていった。


「こんなもので見つかるのかしら?」

「さぁね。こっちは参謀本部の言うことを信じるしかないわよ。

 それと、相手が出てきても、絶対に敵対行動は取らないようにって。防御魔法も使っちゃ駄目らしいわ」


「それで殺されたら、どうするの?」

「あたしもそう訊いたわよ。何て答えが返ってきたと思う?」


「さぁ?」

「『その時は、運が悪かったと諦めろ』ですって!」


 二人は顔を見合わせ、溜息をついた。

 そして、のそのそと歩くカー君を先頭に立て、肩を並べて歩き始めた。


      *       *


 発煙筒を手に十分も歩くと、境界線となるアオヤジロの群生地に入った。

 見た目には普通のスギとほとんど変わらないが、見上げると梢に近い葉が黄色く染まっている。

 周りの空気も、何となくよい香りがするような気がした。


 全員が無言で進んでいくと、突然カー君が足を止め、首をもたげてすんすんと鼻を動かした。


『来た……と思う』

 頭の中に彼の声が響いた。


 しばらくすると、敏感なエイナの嗅覚にも異臭が感じられた。

 まるで汗をかいた腋臭わきがの男性が、集団で近寄ってくるような感じだった。


 エイナたちは立ち止まったまま、周囲を油断なく見回した。

 最初に見えたのは、白い煙だった。

 

 そして、は姿を現した。


 エイナの身体中に冷たいものが走り、彼女は反射的に腰を落とし、剣のつかに手をかけようとした。

 シルヴィアがその動きをすばやく押さえたが、その手も細かく震えている。


 心臓の鼓動が早鐘のように鳴り、胃の腑が締めつけられる感じがした。

 肺に空気がうまく入っていかず、目がくらんで貧血を起こしそうになった。

 エイナの脳内に、幼い時の記憶がフラッシュバックする。。


 頭を潰されたゴーチェ叔父さんの血まみれの姿、背後で悲鳴を上げるアイリ叔母さんが叩き殺される生々しい音。

 エイナは振り返らずに必死で逃げたので、そのおぞましい怪物を見たのは一瞬だった。

 もう八年も経ったというのに、その記憶は鮮明に蘇ってきた。


「オーク!」

 エイナは震える声でつぶやいた。

 シルヴィアから事前に聞かされていたとはいえ、いざ目の前にすると、恐怖で理性が吹き飛びそうだった。


 現れたのは五体のオークだった。

 いずれも身長は二メートル近くあり、麻のような目の粗い布の貫頭衣を着て、でっぷりと突き出た腹の下に縄を回して縛っている。

 右手には木の根のような棍棒を下げ、残る手に松明を持っている。

 白い煙は、その松明から上がるものだった。


 恐怖に固まっているエイナに対し、シルヴィアはまだ〝まし〟だった。

 彼女は中央平野の出身なので、そもそもオークを見たことがない。

 もちろん、魔導院でその生態は習っていて、詳細な絵図も見ている。

 だからシルヴィアにとって、オークは数多い幻獣の一種でしかない。


 彼女はゆっくりと歩を進め、低い姿勢で威嚇しているカー君の前に出て、頭を手で押さえて唸り声を止めさせた。

 オークたちもまた、距離を保って立ち止まっている。

 彼らは無言でこちらを観察していたが、特にカーバンクルに対しては警戒の色を露わにしていた。


 シルヴィアが前に出てきたことで、オークたちも顔を見合わせ、やがてその中の一人が思い切ったように足を踏み出した。

 そのオークは値踏みをするように、シルヴィアの飛行服と手にした発煙筒を見比べている。

 シルヴィアは何かに思い当たったように飛行服の前を開け、中に着ていた軍服を見せた。


 オークは目を細め、シルヴィアの腰に下がっている剣を指さして言葉を発した。

 それは大きな身体に似合わず、キーキーと甲高い声で、まるで豚の鳴き声のようであった。

 それが彼らの言語らしかったが、意味はさっぱり分からない。


 オークが警戒の表情を崩さないことから、シルヴィアは彼らが自分の剣を気にしているのだと判断した。

 彼女は慎重に剣のさげを外し、柄を彼らの方に向けて差し出した。

 オークはそれを受け取ると、仲間たちの方を振り返り、また何事かを話したが、その顔には安堵の笑みが浮かんでいた。


「エイナ、あんたもこっちに来て、武器をオークに渡してちょうだい。

 こっちに敵意のないことを見せるのよ」


 固まっていたエイナは、その声で呪縛が解けたように、思わず大きな声を出した。

「だって! そんなことをしたら……」


 だが、シルヴィアは怯えるエイナを叱りつけた。

「馬鹿ね、落ち着いてよく見なさい。

 オークもあたしたちを恐がっているのよ!」


 エイナはハッとして、オークたちの様子を改めて見回した。

 確かに、前に出たオークの背後にいる者たちは、棍棒を手に身構えているが、どこか不安そうにエイナとカー君に対し、交互に視線を送っている。

 だが、武器を渡して丸腰になったシルヴィアに対しては、もう注意を払っていない。


 エイナは渋々とオークに近づき、自分の剣を彼らに差し出した。

 彼はそれを受け取ると、振り返って仲間に対して剣を持った手を高く掲げてみせた。

 背後のオークたちは互いに顔を見合わせ、早口で言葉を交わしたが、明らかに表情が明るくなった。

 代表のオークは満足そうにうなずき、さらに何事かを指示した。


 すると、最後尾にいた少し小柄な(と言っても、百八十センチはあったが)オークが、周りに押されるように前に出てきた。

 彼は少しおどおどしていた。オークの年齢はよく分からないが、何となくまだ若い下っ端のように思えた。

 その小柄な若者は、リーダー格のオークに何か訊ねられ、しきりに身振り手振りで説明しているようだった。


 短いやり取りが終わると、代表のオークはシルヴィアの方に向き直り、握っていた棍棒を地面に置いて、その右手を差し出してきた。


 シルヴィアは驚いて、隣のエイナに訊ねた。

「ねえ、これひょっとして……握手を求めているんじゃない?」

「オークが? そんなの聞いたことがないわ!」


「そっ、そうよね」

 シルヴィアはそう言いながらも、恐るおそる差し出された右手をそっと握ってみた。

 すると、相手も彼女の手を軽く握り返し、ぶんぶんと振ってみせた。

 その顔は実に嬉しそうだった。


 シルヴィアは手を振り回されながら、引きった笑顔でエイナの方を見た。

「や、やっぱり、握手だったみたい」


 代表のオークは飽きもせずに手を振っていたが、ようやく満足したらしく、どうにか手を離してくれた。

 そして、握手の仕方を教えたらしい若者を、自分の前に押し出し、再び何かを命じた。

 その若いオークは、顔を真っ赤にして躊躇ためらっていたが、やがて決心したらしく、自分の顔を指さして言った。


「俺、オルク・リン」

 そして、今度はシルヴィアに指先を向けた。


「お前、何?」


 それは耳障りで下手な発音だったが、驚いたことに間違いなく大陸共通の言葉――中原語であった。

 どうやら、若者は自分の名を名乗った上で、シルヴィアの名を訊ねたらしい。


 シルヴィアは笑みを浮かべ、若者の顔を指さした。

「あなた、オルク・リンね?」


 彼が嬉しそうにうなずくと、シルヴィアは自分を指し示した。

「シルヴィア。

 あたしの名は、シルヴィアよ」


 そして、隣のエイナを指さす。

「エイナ。

 この子の名は、エイナ」


 若者は興奮した様子で後ろを向き、何か早口でまくし立てた。

 そして、何度もシルヴィアとエイナを代わるがわる指さして、

「シルヴィア!」

「エイナ!」

と繰り返した。


 オークたちは大騒ぎとなり、一斉に若者に詰め寄って、何かを要求し始めた。

 リーダー格のオークがそれを一喝して黙らせ、改めて若者をシルヴィアの前に連れてきた。

 オルク・リンは少し得意気な顔をして、オークの代表を指さし、シルヴィアに向かって声を張り上げた。


「これ、アリ・ハイ。強い。大きい強い!」


 どうやら、彼は通訳として仲間の名前を紹介しているらしい。

 シルヴィアが代表のオークを指さして、ゆっくりと確認する。

「アリ・ハイ。彼はとても強いのね?」


 自分の名を呼ばれたオークは、腕組みをして大きくうなずいた。

 その後も、残る三人の名が次々と紹介され、いちいちシルヴィアが名前を呼ぶことで、オークたちは満面の笑顔を見せた。

 そして、どうにか騒ぎが収まると、オルク・リンと名乗った若者は、真面目な顔になってシルヴィアに話かけた。


「お前、俺村、行く」

 彼はそう言って、森の奥の方を指さした。

 

 つまり、彼らの村に連れていくので、ついてこいと言いたいのだろう。

 シルヴィアとエイナがうなずき、カー君ものそりと動き出した。


 オークたちは、その動きに一斉に飛び上がり、棍棒を振りかざして威嚇した。

 そして、早口で何か議論した上で、リンがシルヴィアに訊ねた。


「獣、何?」

「この子はカー君、カーバンクルよ」


 リンはそう説明されても、首を捻るばかりだった。

 どうやらオークたちはカーバンクルを初めて見るようで、非常に恐れているようだった。

 カー君はオークよりも大きな体格をしていたから、無理もない。


「カー……くん?」

「そうよ、カー君」


 リンは難しい顔をした。うまく言葉が出てこないようだった。

「これ、やるか?」


 彼はそう言って口を大きく開け、ガチガチと歯で音を立ててみせた。

 要するに、カー君が噛みつかないか心配しているのだ。


 シルヴィアは思わず吹き出した。

「大丈夫よ、ほら!」


 彼女はカー君の口を無理やり開くと、袖をまくった腕をそのなかに突っ込んでみせた。

 カー君は『止めてよぉ~』情けない声を上げたが、もちろんオークたちには聞こえない。


 リンは目を丸くして、感に堪えたような声を出した。

「シルヴィア、強い。アリ・ハイ、同じ、強い!」


 残りのオークたちも、シルヴィアに敬意とおそれの視線を向ける。

 どうやらシルヴィアは、オークたちから勇者認定をされたようだった。

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