辺境の虜囚 第二十一話 転移

「ということは、その女をどこかに監禁しているということですか?」


 シルヴィアの質問に、ジャヤは大きくうなずいた。

「見せしめのため、檻に入れて誰もが見える場所に置いています」


 エイナはオークたちに気づかれないように、唇の動きを抑えながら、感知魔法の呪文を唱えていた。

 魔法が発動すると、脳内に浮かんだ暗闇の中に、ひときわ明るく輝く光点が出現した。

 その光の強さや波動のパターンには覚えがある。採石場で襲ってきた魔導士に間違いない。

 エイナのいる所から、そう遠くない位置だ。


「その女の口は塞いでいますか!」

 エイナがシルヴィアを押し退け、強い口調で訊ねる。

 ジャヤは驚いて、エイナの顔を見詰めた。


「いえ、手は縛っていますけど……。

 なぜ、そんなことをする必要があるのですか?」

「あの女は、カメリア・カーン少将という有名な魔導士です。

 口が利ける状態なら、魔法を使って好きな時に逃げることができるはずです。

 そして、彼女がその気になれば、この村のオーク全員を殺せるのです!」


 ジャヤは慌てて、オークたちにエイナの言葉を通訳した。

 だが、族長をはじめとした幹部たちの反応は鈍く、エイナの警告を真に受けた様子はない。

 敵を捕らえて閉じ込めていることで、安心しきっているのだ。

 魔法の威力を知らないのでは、無理もない話だった。


「確かに、私たちは五人の仲間を失いました。

 ただ、それはあの女が、恐ろしい剣の遣い手だったからだと聞いています。

 殺された者たちは、いずれも剣で首や腹を斬られて斃れました。

 魔法のような、怪しい術を用いたなどという報告は、まったく受けておりません」


 ジャヤの説明に、エイナは激しい違和感を覚えた。

 そもそも、オークたちがどうやってカーン少将を生け捕りにできたのか、それが不思議だった。

 彼女の力なら、周囲のオークたちは一瞬で重力に圧し潰され、全滅していたはずである。


「では、どうやって生け捕りにできたのですか?」

「こちらの棍棒を受け損ねて、女の剣が折れたのです。

 普通ならその場で殺すのですが、五人もやられているので、その遺族に復讐をさせなくてはなりません。

 それで手を縛って、村まで連れてきたのですが、特に抵抗はしなかったそうですよ」


『少将はわざと捕まったのだ!』

 エイナは確信した。そうとしか考えられないのだ。

 となれば、今すぐ檻を破って逃げることはなさそうだった。


「ジャヤさんは、カーン少将と話をしたのですか?」

「ええ、いろいろと。

 私としては、なぜ人間たちが、こんな森の奥深くまで入ってきたのか、その理由を知りたかったのです。

 彼女は『自分たちはこれから北に向かう予定だった。お前たちの領地を侵そうという意図はない』と説明しました。

 それ以外に、自分たちのことは何ひとつ答えず、名前すら明かしませんでした」


「少将に処刑のことは伝えたのですか?」

「はい。ですが、もう諦めているみたいで、取り乱す様子は見せませんでした。

 それよりも、私たちのことをとても知りたがっていました。

 なぜ、私が人間の言葉を話せるのか、あとは部族がどこから来たのか、仲間はいるのか……とか、そんなことですね。

 すべてに答えたわけではありませんが、ある程度のことは教えてやりました」


「その辺は、私たちも知りたいところです」

 横からシルヴィアが口を挟んできた。


「お名前から察するに、あなたは南部密林のダウワース王の親族、恐らく娘さん――ではありませんか?」

 確かに彼女は、自分を〝ダウワイエス・ジャヤ〟と名乗った。

 人間世界でも、名前の中に〝父姓(父親の名)〟を入れる種族がある。

 シルヴィアは、オークの女性の名が〝父姓+名〟ではないかと推理したのだ。

 ジャヤの父親が、人間の言葉を自在に操るダウワース王であるなら、いろいろと辻褄が合う。


 ジャヤは少し嬉しそうに笑った。

「おや、シルヴィアさんは、父のことをご存じなのですか?」

「賢王ダウワースの高名は、王国にも聞こえておりますから」


「それは嬉しいこと。確かに私は、ダウワース王の末娘です」

「では、この村の皆さんも、南部密林からいらしたのですね?」


「そうとも言えるのですが……」

 ジャヤは困ったような顔をした。


「この村の者たちは、南部密林のオークとは別の部族です。

 いろいろ複雑な事情があって、一時期ダウワース王の庇護下にあったのですが、たもとを分かって大森林に戻りました。

 私は彼らが南部密林にいる間に、族長オルグのもとに嫁いだのです」


 ここで、エイナが話を再び引き戻した。

「えと、あの……興味深いお話ですけど、ここはカーン少将のことを明確にしておきたいのです。

 最初に言ったとおり、私たちは彼女の行方を追うために、ここまでやってきました。

 少将が拘束されているのであれば、身柄の引き渡しをお願いしたいのです」


 当然、ジャヤはこれを仲間たちに通訳していた。

 しかし、幹部たちは首を横に振ったり、馬鹿にしたような笑いを洩らすばかりだった。

 そして、族長が重々しい声で、ジャヤに何事かを伝えた。


「その要求は受けかねます。

 私たちは王国に従うと申しましたが、それは部族の誇りを捨てたという意味ではありません」


 ジャヤはきっぱりと言い切った。

 そして、族長と幹部たちに、『これで話は終わった』とでも言ったのだろう。

 オークたちは〝やれやれ〟といった表情で席を立ち始めた。


「あの、待ってください!」

 食い下がろうとするエイナに、ジャヤは素早く目くばせを送った。


「もう外は真っ暗です。

 あなた方には宿舎を用意させましたから、これからご案内します」


 つまり、公式の場での話し合いはこれで終わりで、これ以上は宿舎で詳しく話そう――という提案である。

 エイナたちには、それに乗る以外に道がなかった。


      *       *


 案内された宿舎は、オークの住居としては一般的な、掘立式の小屋だった。

 床はしっかりと固められた土間で、座る場所にはイノシシの毛皮が敷かれていた。

 土間の中央には囲炉裏が切られているが、夏ということもあって火は入っていなかった。


 カー君はさっそく床に長々と寝そべり、軍服を脱いだシルヴィアは、毛皮に座って背をカー君の身体に預けてくつろいだ。

 エイナもジャヤも膝を崩して座り、木の椀に入った甘酸っぱい飲み物を飲みながら一息ついた。


「とにかく、お二人があの女の身柄について、強硬な姿勢を見せなかったので助かりました。

 オークは気が短いので、あそこで皆を怒らせては、大事になっていました。

 何しろ私たちが王国に臣従してから、まだ五年しか経っていません。

 有力者の中には、未だにそのことに反発している者がいるのです」

 ジャヤは悩まし気な表情で、そう打ち明けた。


「それで、まず最初に私たちの部族が、どうしてここに住みつくようになったのか、その経緯を説明した方が、話を進めやすいと思うのですが、どうでしょう?」


 ジャヤの提案に、エイナもシルヴィアもうなずいた。

 こういうことは、参謀本部が事前に説明すべきことで、その点には二人とも腹を立てていたのだ。


「あなた方が幻獣界と呼ぶ私たちの故郷と、この世界とは、昔から強いつながりがありました。

 この世界には、オーク以外にエルフやドワーフたちも住みついていますよね?

 彼らは、いずれも集団でこの世界に転移してきた者の子孫なのです。

 そして、私たちの部族にも、同じような運命が訪れました。

 それは、三十数年前のことでした……」


 ジャヤはそのように話を始めた。


      *       *


 オークたちは転移のことを〝時震〟と呼んでいた。

 そういうことが稀に起きるとは知っていたが、まさか自分たちが巻き込まれるとは、想像もしていなかった。


 オークは部族ごとに村を作って暮らしているが、彼らの村は三百人ほどで、まず中程度の規模であった。

 今回の時震に巻きまれたのは、そのうちの五十人余りである。


 彼らが放り出されたのは、タブ大森林の東端に位置するサクヤ山の麓であった。

 サクヤ山には大きな時空の歪が存在し、〝穴〟と呼ばれる深淵から、定期的に異世界の生物が吐き出されているのだ。


 そのほとんどは単独で転移してくるので、この世界で生き残ることは難しかった。

 広大な大森林の中で野垂れ死ぬか、この世界の主人である人間社会に迷い出て、駆除される運命が待ち受けていたのだ。


 オークたちが幸運だったのは、彼らが五十人もの集団であったことだ。

 それだけの人数がいれば外敵と戦えたし、協力して獲物を得ることも可能だった。

 そして何より大事なことは、五十人の中に六人の女が混じっていたことだった。


 オークは多産で知られているが、生まれる子どものほとんどは男である。

 女児が生まれる確率は十人に一人以下であり、その存在は貴重であった。

 女を巡る争いが、部族間の抗争に発展する例も珍しくなく、子を産む女を奪われた側は、あっという間に勢力が衰えてしまう。

 仲間の中に女がいるという事実は、オークたちに生きる希望を与え、団結も強まった。


 彼らは初め、東の沿岸部に向かおうとした。

 しかし、その方面には南カシルという大規模な人間の町があり、沿岸部には広く人間が住みついていた。

 この世界の人間は鉄の武器と飛び道具を操り、集団で馬を駆ってオークを嬲り殺しにした。


 オークたちは西の方向、即ち大森林の深部へと逃げるしかなかった。

 大森林は針葉樹の巨木で構成されており、陽が差し込まない。

 食べられる木の実をつける広葉樹が育たず、獲物となる動物の数も少なかった。


 せっかくよい水場を見つけても、その周囲で一定期間狩りを続けると、あっという間に食糧に不足を来した。

 彼らは新たな狩場を求めて移動を続けながら、子を産み育てていった。

 そして数年後、オークたちはとうとう大森林の西の果てにたどり着いた。

 辺境と呼ばれるその地域では、人間たちが大森林を蚕食して、その領地を広げていた。


 行き先に窮したオークたちは、南に新天地を求めた。

 大森林の南部には高い岩山が連なっていたが、山脈が切れる西南の一帯だけは、有毒ガスの吹き出す湿地帯が広がっていた。


 勇気のある若者が数人、その湿地帯に踏み込んで偵察に出た。

 若者たちのほとんどは命を落としたが、たった一人帰還した者が〝湿地帯を抜ければ、その先には豊かな広葉樹林が広がっている〟と報告したのだ。


 オークたちは決死の覚悟で湿地帯を踏破し、どうにか南部密林にたどり着いた。

 そこは気候も温かく、木の実も山菜も獲物となる動物も豊富で、夢のような土地だった。

 彼らは喜び勇んで森に分け入ったが、たちまち先住するオークの部族に見つかってしまった。


 その先住オークはよほどの大部族らしく、人間の使う鉄の武器を持っていた。

 また、石を投げつける奇妙な道具を巧みに操って戦うので、最初から勝負にならなず、部族を率いていた族長も討ち死にした。

 オーク同士の縄張り争いにおいては、負けた方が女を奪われ、男は皆殺しになるのが常識であった。


 先住のオークたちは、降伏した彼らを村に連れ帰り、王の前に引き出した。

 ダウワースと名乗った王は、彼らの全員を許して、この豊かな密林に住まうことを許すと宣言した。

 これはオークの世界では、あり得ない処置であった。


 ダウワース王の命により、先住者たちは彼らの住む土地を世話したばかりか、住居の建設を総出で手伝い、当面の食糧まで提供した。

 それだけでなく、人間と取引して手に入れたという武器や道具を分け与え、農耕のやり方まで教えてくれた。

 石を遠くまで飛ばす投石器スリングの作り方と、その扱い方も伝授してくれた。


 ダウワース王は、この世界(人間世界)の知識を教え、オークが生きていくためには、人間と共存することが不可欠であることを説いた。


 先住オークたちの手厚い支援のお陰で、オークたちはすぐに森に馴染み、元の世界でも得られなかった、豊かな生活を享受するようになった。

 人口もまたたく間に増え、およそ二十年で四倍にまでなった。


 彼らと先住部族は交流を重ね、よい関係を保っていた。

 お互いの部族の女を、相手に嫁がせることも盛んに行われた(これは血が濃くなりがちなオークにとって、非常に重要なことだった)。

 ダウワースの末娘であるジャヤが、彼らの新しい族長であるオルグと結婚したのも、この時期である。


 幸せな暮らしはいつまでも続くかに思えたが、意外な所から綻びが生まれていった。

 それは部族意識である。

 オークは単一部族で暮らす民族だが、それ故、生活習慣や言葉の訛りにも差異がある。


 ダウワース王は知性が高く、極めて公平な人物であったが、すべてのオークが同じであるはずがない。

 先住部族は、広大な南部密林に、まさに国を築いていた。

 部族が繁栄すればするほど、そこにはおごりが生まれる。


 後から加わった部族を〝助けてやった〟という意識も手伝って、次第に先住オークたちは新参の部族民を見下すようになっていった。

 大森林からやってきたオルグの部族は、もちろん受けた恩義を忘れなかった。

 しかし、何かにつけて見下げるような態度を取られるにつけ、心の中に鬱屈と反発が溜まっていくのは、仕方のないことであった。

 そして、両者の間で小さないざこざが、次第に目立つようになっていった。


 賢王と呼ばれるダウワースが、それに気づかぬはずはない。

 また、移住組の族長であるオルグも、そのことをうれい、義父となったダウワースと何度も相談を重ねた。

 その結果、出された結論は意外なものであった。


 これ以上、両部族の溝が広がらないうちに、オルグの部族は南部密林を去る意志を固めたのだ。

 一緒に暮らしているからこそ、軋轢あつれきが生まれる。

 それならば、いっそ離れて暮らし、友好的な関係を維持した方がお互いのためだという結論である。


 大森林を流離さすらっていた当時と、今のオルグの部族では、大きく様変わりをしていた。

 彼らは鉄の道具とともに、原始的な農耕の技術を手に入れていた。

 投石器スリングの扱いも、すっかり自家薬籠中のものとしていた。離れた距離から攻撃できる武器を得たことは、狩りの成功率を飛躍的に向上させたのだ。


 これなら大森林に戻っても、十分に暮らしていけるという自信が、オルグにはあった。

 問題は、大森林で安定した暮らしを営むためには、人間たちと不可侵条約を結ぶ必要があることだった。

 タブ大森林がリスト王国の領土であることは、オルグたちも学んでいた。何かの拍子で人間たちに発見されれば、その結末は悲惨なものとなるだろう。


 しかし、オークには王国と交渉したくとも、その手立てがなかった。

 オークが姿を現わせば、王国の人間たちは問答無用で襲ってくるだろう。

 しかも王国には、幻獣界の上位種族を使役する召喚士がいて、オークを殺す役目についているという。


 ここで、困り果てているオルグに、妻となったジャヤがある提案をした。


「私はユニさんという王国の召喚士を知っています。彼女に仲介を頼んではどうでしょう?」

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