王立魔導院 第五話 古都・蒼城市

 エイナにとって、蒼城市は想像以上の大都会であった。親郷を都会だと思った自分が、今では恥ずかしくてならない。

 まずは遠目からでも分かる、果てしない大城壁に圧倒された。

 巨大な石が隙間なく積み重ねられ、その高さは十メートルにも達していた。


 城壁の大門は開け放たれ、大勢の旅人や商人たちが列をなして入城の審査を待っていた。

 そうした人々に混じって、巨大なオオカミの群れを従えているユニが並んでいるのは、とても奇妙な光景に見えた。

 だが、ひそひそと小声でささやきあう人はいても、怖がったり、騒ぎ立てたりする者はいなかった。

 エイナが暮らしていた辺境とは違い、蒼城市のような都会では、召喚士とその幻獣が珍しい存在ではないのだろう。


 ユニたちの順番はすぐに回ってきたが、門衛の兵士はユニの顔を見るなり笑顔で敬礼をした。

「お久しぶりですね、ユニ殿。ライガも元気そうじゃないか。

 今日は小さな客人をお連れのようですが、一応身分を確かめさせていただけますか?」


 ライガに乗ったままのユニは、エイナの方を振り返った。

「エイナ、肝煎にもらった身分証があったでしょ?

 あれを出すのよ」


 エイナは慌てて首にかけていた紐を掴んで、小さな巾着を胸元から引っ張り出した。

 大事なものだから、失くさないようにお金と一緒に服の中にしまっておいたのだ。

 少女は巾着から一枚の羊皮紙を出すと、おずおずと兵士に差し出した。

 ユニがエイナに代わって説明をしてくれた。


「エイナは辺境のソドル村の子なんだけど、育てていた親戚がオークに襲われてね。身寄りがなくなっちゃったの。

 それで、蒼城市の孤児院に入れようと思って連れてきたのよ」

「孤児院というと、救済教のですか?」


 ユニはうなずいた。

「ええ、そうよ。

 ただ、手続きの関係もあるから、実際に入れるまでは数日かかると思うわ。

 その間は、アスカの家で預かってもらうつもりよ」


 書類に目的と滞在先を書きとめながら、兵士はちらりとユニの顔を窺った。

 その目には、羨望と尊敬の色が浮かんでいた。


「中将閣下のお宅にですか。なら、何も問題はありませんね」

 そして、白いオオカミにちょこんと乗っているエイナに向かって笑いかけた。


「お嬢ちゃん、あんたが大変な目に遭ったのは気の毒だが、くよくよしなさんな。

 ユニ殿が後見人になってくれたんだ、運が向いてきたってことさ。

 この方はな、ノートン中将閣下のご友人なんだ。きっと悪いようにはならないよ」


 兵士は入場許可のサインをすると、エイナの身分証を返し、その腕をぽんと軽く叩いた。

 そして、衛兵たちは最大限の敬意をもって、ユニとオオカミたちを通してくれた。

 武装したいかめしい衛兵たちに丁重に扱われ、客人のように迎えられたことで、エイナはすっかりのぼせてしまった。


 どうやら、このユニという女召喚士はとても偉い人だったらしい。

 この三日間、エイナはユニを〝親切なお姉さん〟だと思って接してきたが、それは間違いだったのかもしれない。

 そう思うと、急に不安になってきた。


 エイナは自分を乗せ、ゆっくりと門をくぐっていくロキの首筋に抱きつくと、その大きな耳にそっとささやいた。


「ねえ、あたしユニさんに失礼なことをしていなかった?

 もっと丁寧な言葉遣いをした方がよかったのかしら?」


 白いオオカミは、ちらりとエイナの顔を見て〝わふっ〟と短く吼えた。それはまるで笑っているような声だった。

 すると、少し先を行くライガに跨るユニが急に振り返った。


「ちょっとロキ、失礼ね!」


 エイナがロキにささやいた小声が、ユニに聞こえたはずはなかった。

 少女は思わずびくっと身体を縮こまらせ、「ごっ、ごめんなさい!」と口走った。

 ユニは不思議そうな顔をした。


「あら、何を謝っているの? あたしはロキを叱ったのよ」

「あの……ひょっとして、オオカミさんの言葉が分かるんですか?」


「ええ。あたしとこの子オオカミたちは普通に話せるの。

 あたしと一緒にいる時には、エイナの言葉もちゃんとオオカミたちに伝わっているのよ」

「そう……なんですか!

 それで、ロキはさっき何を言ったのですか?」


「『ユニ姉ちゃんは酒飲みの大喰らいだから、尊敬しなくてもいいよ』ですって。

 失礼しちゃうわね。まぁ、否定はしないけどさ」


      *       *


 城壁の中に入ってみると、その街並みは壮観と言うほかなかった。

 石造りの二階建て、三階建ての大きな建物がずらりと並び、木造の家も白い漆喰がきれいに塗られ、屋根はすべて瓦ぶきだった。

 広い大通りは石畳で舗装され、馬車がカラカラという軽快な車輪の音を立てて行き交っている。

 通りの両側には、たくさんの出店に色鮮やかな食物が山積みにされていた。


 何よりも、溢れんばかりの人波に圧倒される。その人数は見当もつかず、数百人、いや千人を軽く超しているように思えた。

 その中を巨大なオオカミたちが、のんびりと進んでいく。

 人々はオオカミの行く手を遮ることなく避けてくれるが、決して怖がっている様子はなかった。

 それどころか、まるで隣家の飼い犬に出会ったような眼差しを向け、陽気に声をかけてくる。露店の商人の中には、肉のついた骨を投げてくれる者までいた。


 エイナは小さな女の子だったが、ロキの背に乗っていることで、頭が大人の男性よりも高い位置にあった。

 いつも見上げるだけだった大人は、何だかし掛かってくるような息苦しさがあって、少し恐ろしい存在だった。

 それが今、エイナは大人たちを見下ろしている。とても不思議な感覚だった。

 彼女は『もし自分が力を持てたなら、世界はこんなふうに見えるのかしら』とぼんやり考えていた。


 蒼城は、城門をくぐった瞬間から、街のどこにいてもその美しい姿が見えていた。

 エイナたちはその城に向かっている。きっと、行き先は街の中心部なのだろう。

 いつの間にか賑やかな商店街が途切れ、一行は閑静な住宅街に入っていた。

 ユニとオオカミたちは、その中の一軒に何の躊躇ためらいもなく入っていった。

 まるで自分の家に帰ってきたような感じだった。


 周囲の大きな邸宅に比べるとこぢんまりとしているが、石造りの二階建て住宅から、若いメイドと、使用人にしては威厳のある年輩の女性が出てきた。

 年輩の女性は、屋敷の人たちは全員出かけていて留守だと説明した。

 それなのに、ユニとエイナは当たり前のように招き入れられた。


 ユニの話では、この屋敷の持ち主はアスカ・ノートンという人で、蒼城市を拠点とする第四軍の中将、しかも王国でただ一人の女性将官だということだった。

『城門で衛兵さんが言っていた将軍様だ』

 きっと怖い人に違いないと思うと、エイナの身体は緊張で今から硬くなる。


 今、この屋敷にいるのは、家令のエマと名乗った年輩の女性と三人の若いメイド、それにアスカ夫妻の娘である幼いセシリア(セシルと呼ばれている)だけだということだった。

 まだ昼間であるから、中将はやはり軍人である夫君のゴードン少佐ともども、軍務についているそうだ。


 ユニはアスカ家の構成をざっと説明すると、「アスカにはフェイという養女もいたんだけど、今は独立して女医をしているの」と付け加えた。


 セシルはまだ四歳(数え年)で、よく動き回る元気な女の子だった。

 来客の音を聞きつけたのか、奥のリビングからぱたぱたと駆けてきた。後ろから「お嬢さま、走っては危ないです!」という、メイドの慌てた声が追いかけてきた。


 ユニはセシルを捕まえ、抱き上げて頬にキスをしたが、セシルは〝いやいや〟をしてその腕から逃れ、「わんわん!」と叫びながら、開いたままの玄関から庭に飛び出していった。


 家令のエマ女史はその後を追ったが、幼児が巨大なオオカミの群れに向かって行くのを見ても、まったく慌てなかった。


「ヨミさん、着いたばかりで悪いのですが、しばらくセシルの子守をお願いします」

 庭でのんびりと寝そべっていたオオカミたちに対し、エマは相手が人間であるかのように頼み込んだ。


 優しそうな眼をした雌のオオカミが、『心得た』という表情でセシルの服を咥え、ひょいと自分の背中に放り投げる。幼女はつるつるする毛並みで尻尾の方へと滑り落ち、「きゃっきゃ」と笑いながらヨミの前に駆け戻ってくる。

「もっとやって!」と要求しているのだ。


 エマはオオカミに遊んでもらっているセシルを見て、思わず目を細めた。

 小さな子どもの相手をするのは、想像以上の重労働なのだ。もう七十歳を超えた老女の顔には、心底ホッとした表情が浮かんでいた。


      *       *


 アスカ邸にはユニ専用の部屋が用意されており、エイナは養女のフェイが使っていたという、小さくて可愛らしい部屋に通された。

 夜になってアスカとゴードンが軍務から帰ってくると、エイナは二人に紹介された。


 ゴードンという人はいかにも軍人らしく、浅黒い肌に坊主頭の逞しい男性だった。

 だが、アスカはそれ以上に背の高い女性で、しかも鈍い銀色に輝く金属鎧を身にまとっていた。

 まるで戦場絵巻から抜け出てきたような姿で、動くたびに軽やかな金属音が響く。


 アスカは出迎えたエマ女史が抱っこをしていたセシルを受け取ると、慣れた仕草でよしよしとあやしてみせた。

 その顔は優しい母親そのものだった。

 だが、エイナはアスカの巨体と奇怪な鎧姿が恐ろしく、思わずユニの後ろに隠れてしまった。


「エイナとやら、ユニはまた・・やっかいごとに首を突っ込んだのか?」

 アスカは大きな体をかがめてエイナの顔を覗き込むと、げんな表情で訊ねた。


 エイナは震えあがった。

「えと、えと……ごめんなさい!」

 少女は小さく悲鳴を上げると、その場にしゃがみ込んでしまった。


 ユニは夕食がテーブルに並ぶまでの間、オーク狩りの依頼を受けたことから始まる、今回の事件の経緯を説明した。

 部屋着に着替えてきたアスカは、あまり表情を変えずにその話を聞いていたが、ゴードンの方はエイナの身の上に大いに同情して涙ぐんでいた。


 ゴードンは愛娘のセシルが可愛くて仕方がないらしく、世の中のすべての少女は〝守られなければならない〟と堅く決意しているようだった。

 アスカはそんな夫の心情を、呆れながらも理解しようと努めていた。

 そして、エイナが孤児院に入るまでの滞在を、快く許してくれたのである。


      *       *


 アスカ邸で一夜を過ごした翌日、エイナはユニに連れられて、下町にある孤児院に向かった。

 孤児院は救済教という宗教団体が運営しており、教会の側にある学校と隣接して建てられていた。

 入所した子どもたちは、この学校に無償で通えるのだという。

 エイナは孤児院という新しい環境に対する不安よりも、『学校に行ける!』という期待に胸をときめかした。


 彼女は勉強が好きで、先生から上級学校への進学を勧められるほど成績もよかった。

 辺境の子どもたちは、冬の農閑期の間だけ学校に通うのが普通だったが、エイナの両親は、無理をして年間通学をさせてくれた。

 それだけに、叔母に引き取られてから学校に行かせてもらえなかったことが、残念でならなかったのだ。


 孤児院の職員たちは、当たり前だが教会のシスターたちであった。

 修道女の制服を着た年輩の女性たちで、誰もが穏やかで優しそうな表情をしていた。

 ユニはシスターたちとは顔見知りらしく、初めのうちはエイナそっちのけで話に花が咲いていた。


 シスターたちの応対や話の内容を聞く限り、どうもユニやアスカは、孤児院にとって有力な援助者パトロンらしいことが察せられた。

 したがって、話がエイナのことに及んでも、シスターたちは〝何の問題もない〟という態度であった。


 事務担当の女性から、手続きのための書類や必要な事項の説明が一通りなされると、ユニは服のポケットから小さな革袋を出し、この場の責任者らしいシスターに手渡した。


「あなた様に神のご加護がありますように」

 シスターは恭しくそれを押し戴き、祝福の言葉を述べた。

 革袋の中身が金銭であることは明らかだった。


 エイナは慌てた。

「駄目です、ユニさん。私、お金だったら持っていますから!」

 少女はそう言って、肝煎から渡された銀貨を出そうとした。

 だが、その動きはそっと押しとどめられた。


「それはご両親や叔母さんたちが遺してくれた、とても大切なお金よ。

 これから先、きっと必要になる時がくるから、大事に持っていなさい。

 子どもがお金のことを心配するものじゃないわ」

 ユニはそう言って笑った。


「では、これで手続きは終了ですね?」

 ユニが念を押すと、責任者のシスターは首を横に振った。


「孤児院に入る子は、院長先生と面談する決まりになっておりまして、それを済ませていただければ終了です。

 こちらの受け入れ準備もありますから、実際に孤児院に入っていただくのは、その三日後になりますわ」

「分かりました。それで、院長先生とはすぐにお会いできるのですか?」


 すると、シスターは顔を曇らせた。

「それが……あいにく院長先生は来客中でして」


 ユニは別に気にしなかった。

「でしたら出直しますので、ご都合のよい面談日時を指定してください」


「あら、大丈夫よ」

 ふいに、責任者よりもかなり年輩のシスターが話に割って入ってきた。


「何度も来ていただくのは気の毒だわ。子どもの顔見せでしょう? すぐに済む話ですもの。

 あのは私たちの身内ですもの、事情を理解してくれるはずですわ」

「身内というと、客人は教会の関係者の方ですか?」


「私、十年前までは南カシルにおりましたの」

 年輩のシスターはその質問には答えず、悪戯いたずらっぽく笑ってユニとエイナの手を取った。


「さっ、参りましょう。ご案内いたしますわ」


 ユニは狐につままれたような顔をしている。

 エイナも当然わけが分からず、シスターの後を付いていくしかなかった。


 院長室は職員室のすぐ隣だった。

 年輩のシスターは扉をノックし、「お入りなさい」という声を確認してから扉を開けた。

 そして、振り返ってユニたちに入るよう促した。


 院長室の応接ソファには二人の女性が座っていた。

 一人は修道服を身に着けたふくよかな女性――孤児院の院長で、ユニも何度か会ったことがある。

 そして、その向かいに座っている来客者も、制服を着用していた。

 ユニにとっては〝見馴れた軍服〟である。


 背後から見ているので顔は見えないが、栗色の髪の毛をきっちりまとめて結い上げている。下ろせば結構長い髪なのだろう。

 ユニはその後ろ姿に何となく見覚えがあった。


 その女性は肩越しに振り返ると、驚いたように腰を浮かせて立ち上がった。

 背筋をピンと伸ばした細身の体を、深いオリーブ色の軍服がぴたりと覆っている。

 皺ひとつない上着の下は糊のきいた白いシャツに紺のネクタイ、ズボンではなく、タイトなひざ丈のスカートを穿いている。

 公務で訪問する際に着用する、女性士官用の第二種礼装である。


 きれいな顔立ちで、とりわけ目が大きかった。

 その瞳が輝き、嬉しそうな笑みが顔中に広がった。


「まぁ、ユニさん! こんなところでお会いできるなんて、奇遇ですわね。

 最近、全然王都にいらしてくれないんですもの、マリウス様が寂しがっていましたわよ!」


 その女性は、応接のソファを離れてユニに近寄ると、躊躇ためらわずにその手を取った。

 驚いたのはユニも一緒であった。

 若い美女に手を握られながら、ユニは呆れたような声を漏らした。


「びっくりしたのはこっちの方よ。

 何だって参謀本部付の魔導士様が、蒼城市の孤児院なんかに現れるの?

 ねえ、ケイト・・・

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