史上最悪のリング渦!!!!!!!

「……」

「……」


 翌日の放課後。本日も体育館での部活動だが、サルジと八雲の沈黙で静けさが増す。今日も何故か、体育館を利用する他の生徒がいない中、ビビりながらも無言に耐えられなくなった八雲が口を開いた。


「あ……ッ、あの……紅葉川くん」


「なに」


「服部……くんは?」


ハルなら、他の部活の雑用とか練習場所の確保とかで、外回りしてる。だから、遅れてくると思う」


「そッそう……なんだ?」


「おれらみたいな、少人数の運動部がこうして体育館を使えるのもハルの働きかけのオカゲだ。昨日もバドミントン部の活動日をずらす為に、色々交渉してくれた」


 素気ない声で話しながら、サルジは両足でトス練習を行う。昨日来たばかりの八雲は、ネットの端でセパタクローのルールブックを体操座りで読んでいた。


「すッ、すす、すごいよね。服部くんは……こッ行動力があるというか、なんというか……」


「……」


「さッ流石、ぶぶぶ部長って……感じだよね」


「あのさ」


 サルジの一言の後に、ボールが跳ねる音が消えて八雲はビクッとする。キュッ、キュッ、と体育館履きの擦れる音が接近してきた。


「お前さ、なんでそんなビクビクしてんの」


「あッ、え……ご、ごごごめんなさッ」


ハルも指摘してたけど、不良集団にいじめられてんの?」


「……ッいじめ……とは、少し……ち、違くて」


「なんだよそれ」


「ぼッ、僕に……落ち度があるから……」


 ルールブックで顔を隠して、落ち込む八雲。それを見たサルジは上から目線を変えないまま、床差し込み式のネット支柱に身体を預けた。


「いじめられていいって考えは理解出来ないけどさ、辛いのだけは……分かるよ」


「……紅葉川くん?」


「昨日ニュースになってたから流石に知ってると思うけど、プロボクサーのセイロン選手って分かる?」


「え? あ、うん……分かるよ。 にッ、二年くらい前にも、ネットですごい話題になってたよね……たッ、確か——」


「史上最悪のリング、スリランカのセイロン」


 何処か遠くを見つめながら、サルジは言った。声のトーンが明らかに先程と変わって、ルールブックで表情を隠していた八雲は、思わず顔を上げる。


「二年前、世界タイトルマッチ王者だったセイロンの挑戦者として名乗り出たのが日本人選手、渡辺勝哉わたなべかつやだった」


「……ぼ、僕の家は、格闘技に詳しいじいちゃんが、いいッ、いるから、その選手の事は、知ってる……日本でもその日の試合は、トッ、トレンドになってた……」


「世界的にかなり注目された試合だった。どのラウンドでも、セイロンは大ぶりのパンチを叩き込み続けて、渡辺選手はガードとクリンチで耐えてた」


「一方的な……試合の印象は、あ、あったかな」


「セイロンの挑発的な攻撃は、止めるべきものだった。なのに、その日のレフェリーの判断は雑な傾向だったんだ。セコンドの抗議すら通らなかった」


 サルジはセパタクローの競技ボールを両手で回転させながら、淡々と話していく。八雲は何故いじめから、ボクシングの試合の話が出てくるのか分からないまま、話を傾聴する。


「結局10ラウンドまでそんな試合が続いて、セイロンのストレートやアッパーを受け続けた渡辺の顔面は、血だらけ。いつTKOになってもおかしくない。そんな対戦相手に、セイロンはクリンチと見せかけて、顔面に向かって強烈な頭突きをかました」


「……パッと見は、分かりづらかったから、ここッ、故意じゃないって、あ……扱いだったよね」


「それが決定打になって、渡辺選手はフラフラとダウンした。それなのに、セイロンは、頭にパンチで追撃したんだ。流石にレフェリーが止めに入ったけど……それでKOになった」


「そッ、そこから、渡辺選手がリング上で動かなくななッ、なったんだっけ?」


「意識を失って、搬送されたけど——そのまま渡辺選手は亡くなった。原因は、脳損傷による外傷性ショック。それがネットに広まって、反則紛いの試合をしたセイロンが炎上した」


 そこまで話したサルジは、支柱に背中を預けたまま、ゆっくり床に腰を落とした。話を聞いていた八雲の目に映るのは、上半身より長い、サルジの細くて逞しい足と綺麗な褐色肌。


「それで、スリランカ人へのヘイトが強まった。そしておれは……イジメの標的になって、日本で切り盛りしてる母さんの料理店も、嫌がらせを受けた」


「そッそんな……紅葉川くん達は、何も悪くないのに……」


「イジメって奴は、んだよ。理不尽なきっかけから来る心無い言葉と差別で——死にたくなる程、辛かった時に……おれを助けてくれたのが、ハルだったんだ」


「服部くん……が?」


「おれにとって、ハルは太陽みたいな人だ。眩しくて、暖かくて、教えたセパタクローにここまで夢中になってくれて……だれにも、奪われたくない」


 ギュッとサルジはボールを握った。八雲は、昨日受けた嫉妬の視線の訳をそこで理解して、手元にあるルールブックを見つめた。そこに書いてあるものを、一つ一つ目で追う。


・手や腕を使ってはいけない

・一人で続けて三回までボールに触れてよい

・守備位置のローテーションはない

・サーブ権は三本ずつで交代

・1セット21点、2セット先取で勝利


ハルはおれの全てだ。なのに、アイツはお前を気に入ってる。……腹立つ」


「すッ……すいませ……ッ!」


「だからおれは、お前を認めないよ。チームとしては、認めざるを得ないけどね」


 そう言ってサルジはゆっくり立ち上がって、再び足でトスを上げる練習を始めた。八雲は、セパタクローに真剣に取り組み、理不尽ないじめを受けてきた背を見つめた。


 身長190センチで、ボールをコントロールする長くて細い足は、キャラメルのように綺麗で、思わず舐めたくなる。嗅ぎたくなる。それ程、鍛えられた生足は刺激的なのだ。


「……早く僕もルール、覚えなきゃ」

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