額の傷!!!


 本日最後の授業を告げるチャイムが鳴った。先生との挨拶を終えた学生達が、一斉に荷物をまとめる事で放課後が到来する。


 八雲は大急ぎで、学生カバンに教科書を詰め込む。学業から解放された事より、今日の朝に出会った服部快晴はっとりかいせいが約束通り会いに来る事で頭がいっぱいだった。


(早く帰らなきゃ、早く帰らなきゃ。早く帰らないとあの人が来る……ッ!)


 ボソボソ言いながら、手際良く帰りの支度を済ませると、急ぎ足で八雲は教室を出た。成り行きで名前もクラスも教えてしまった為、安易に見つかってしまう。どう考えても、話の要件はセパタクロー部の勧誘だろう。


(悪いけど部活は……もう、やりたくないんだ)


 そんな事ばかり気にしていたせいだろう、廊下を早歩きで移動していた八雲は、ドオッと誰かと衝突した。格闘技で体幹が仕上がっているのもあるのか床に倒れる事なく、スッと体勢を立て直した。


「ご、ごめ……ッ大丈——」


 謝った瞬間、八雲の顔色が変わった。ぶつかったのは、背の高い男子学生。鋭い目付き、人を見下す態度、そして前髪はあえて短くしてるのか、ひたいの傷が特徴的な——。


「杉本くん……」


「……ッてぇなあ、二瓶にへい


 八雲はヒッと後退りした。目の前にいるのは、かつて外傷を負わせてしまった杉本聖虹すぎもとせいじである。彼の背後には三人の取り巻きがズラリと並び、反抗的な威圧感が増している。


「あーあー。テメェ杉本にまた、怪我させる気かぁ?」


「謝って済む訳ねぇだろうが! 同じくらい、痛い目に合わせてやらねぇと——なぁッ!」


 取り巻きの一人が、ドカッと右足で八雲の腹部を蹴り飛ばそうとする。しかし八雲は、それを両手であっさり受け止めた。そして受けた反動を利用して、二、三回バックステップした。


「前、見てなかった……僕が、悪いよ。本当にごめんなさい……」


「なッ……こいつ!」


 蹴った手応えを感じなかった取り巻きは、追撃を加えようとした。そこにガッッと右肩を掴んで抑止したのは、杉本だった。


「やめろ、先公が集まるだろうが。めんどくせえ真似すんじゃねぇ」


「な、なんで止めんだよ! こんなヒヨヒヨ野郎、囲ってボコっちまえば……ッ」


二瓶にへいはなぁ、リンチが通用する相手じゃねえんだよ」


「じゃあ陰湿なイジメで、心へし折っちまえばいいだろ! お前言ってたろ、仕返ししてやりてぇって」


「ガタガタうるっせぇんだよ……」


 苛立ちを込めて杉本は、取り巻きの肩を引いた。そして不機嫌を周りに振り撒きながら、八雲に向かって一歩前に出る。廊下にいる他の生徒達は、誰一人口出しできない。


「杉本くん……僕は……」


「ネチネチしたやり方じゃあ、オレの気は晴れねぇ。だが、絶対にお前は『暴力』で復讐してやる……!」


「……」


「この顔の傷で、俺は芸能界に居られなくなった。ぜってぇに、許さねぇぞ……二瓶にへい


「なにしてんだ?」


 じわじわ迫って、恨みが充満していく空気を入れ替える声がした。全員が振り返ると、そこにいたのはジャージ姿の服部快晴はっとりかいせいだった。会話の邪魔をされた杉本は、睨みで圧力をかける。


「誰だよおまえ」


「杉本、こいつ……俺のクラスメイトの服部はっとりって奴ですよ。なんとかクローってスポーツの事で、めっちゃ絡んでくるッス」


服部はっとりぃ?」


「こいつ、やたら声でけぇし。あんまり関わらない方が……」


「俺はぁ————ッ! そいつにッ、用があるぅ————ッ!」


 取り巻きが危惧していた通り、快晴は大声を張り上げて八雲を指差した。それは、彼らがいる二階を突き抜け、他の階まで聞こえる程である。あまりの煩さに、不良生徒達は耳鳴りを引き起こして苦痛の表情を浮かべ、たまらず杉本が怒鳴り返した。


「うるッせぇ! なんなんだお前はぁッ!」


「俺は、服部快晴ッ! お前こそ誰だよッ、二瓶八雲にへいやくもに何の用件だッ!」


「おい! 服部テメェ、杉本聖虹すぎもとせいじ知らねぇのかよッ」


「割とどうでもいいッ! とにかく俺は、二瓶八雲にへいやくもと話がしたいーッ!」


 取り巻きの一人が、空気読めよと杉本の間に入るが快晴はお構い無しだった。ズカズカと八雲に近付き、笑顔を接近させる。


「約束通り、会いに来たぜッ! お前の為にバドミントン部説得したんだッ、是が非でも俺と一緒に来——いッ!」


「ちょッ……ちょっと待ってよッ⁉︎」


 状況について行けない八雲は、無理矢理引っ張ろうとする力に抵抗する。体重をかけても、その場からピクリとも動かないのは、足の踏み込みによるものと判断した快晴の顔は、ぱあぁと感激の表情を浮かべる。


「やっぱお前すッげぇーッ! ひ弱っぽいのに、身体の軸が全ッ然ブレねえぇえええッ!」


「ぼ、僕……今日は、早く帰らなきゃいけなくて!」


「お前の都合なんて、知らぁ————んッ!」


 そのまま引いても動かせないならと、快晴は八雲の膝下に腕を通して、そのまま腕の力のみでグイッと持ち上げた。素晴らしきお姫様抱っこに、不良生徒達に怯えて廊下の隅に身を寄せる女子生徒達から、キャアアと声が上がる。


「ふあぁあああッ⁉︎ な、やッ……おッおろしてよぉ!」


「お前を持ち帰るには、これしかないッ! 体育館行くぞーッ!」


 暴れず拒否する八雲を無視して、快晴はお姫様抱っこのまま、その場から連れ出した。置き去りにされた不良生徒達は、未だに困惑を隠せない。


「相変わらず、台風みてぇな男だなあ……。名前は、晴々してんのによォ」


「ていうか服部の奴、声デカ過ぎんだろ……まだ、耳がキーンってする……」


服部はっとり……快晴かいせい


 杉本は遠のいて行く二人を見て、快晴の名前を口にした。顔を傷付けられ、夢を潰された相手を翻弄する人物。なんとしても暴力で八雲に復讐する人間の瞳に、そのジャージ姿は強く焼き付いた。

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