第4話 転

※  ※  ※


 パンクバード家を訪ね、夕食をごちそうになった。栄養にはならないけど暖かさを味わうことができた。


 相変わらずユウヒとおやっさんは仲が悪かったけど、家を出るときおやっさんが小さな声で「たまにはメンテにこい」と彼女にいっているのを聞いて、なぜか僕まで嬉しくなった。


 帰り道。川のほとりを歩く僕ら。ぽつぽつと話しながら、ふといつもなにかあるのは帰り道だと気づいた。


「そりゃそうさ。帰りがなけりゃ明日は始まらないんだから」


 すっかり酔っぱらってしまった彼女のなにげないその言葉は、なぜか心の芯を揺さぶった。


 行きはいつだって無垢だ。なにもしらない純粋なままの存在だ。


 でも帰りは違う。なにかを経験して、行きとは少しだけ違う自分になっている。そんな自分を受け入れる時間が帰り道なんだ。


 僕は三度、パーティーを追放された。ギルドに戻るまでの道のりは、いつも空虚なだけの帰り道だと思ってた。本当は違うんだ。たしかに僕は仲間を失った。失ったけど、失ったという経験を得ていたんだ。いまはそう考えられるくらい前向きになった。


 いつからだろう。僕が帰り道で、背中を丸めなくなったのは。


 そんなことを考えながらユウヒの背中を見つめていると、彼女は後ろ手に振り返り、僕を見つめてきた。


「なあエレン。お前がアタシのオーナーになった理由、知りたいか?」

「え?」


 暗がりの中でも暗視機能が搭載された僕の瞳は正確に彼女の照れくさそうな表情を読み取った。


「アタシはさ……決めたんだ」

「決めたって、なにを?」

「……アタシの全てを、お前に捧げるって----」


 纏わりつくようなぬるい夜風とともに、彼女の体が微かに揺れた。

 ぴたりと足を止めたまま、彼女は驚いたような顔で硬直している。


「……ユウヒ?」

「エ……レン……」

「ユウヒ!」


 前のめりに倒れる彼女の体を受け止める。

 彼女の背中を見て目を疑った。

 彼女の小さな背中の中央に、深々と、一本の短刀が突き立てられていたからだ。


「これは……!? ユウヒ! ユウヒしっかりして! ユウヒ!」

「これで自由になったな、エレン」

「……オーナー!?」


 さきほどまでユウヒが立っていた場所。その後ろに、元オーナーが立っていた。

 この短刀は、まさか彼が刺したのか⁉


「なぜこんなことを!」

「パーティーの人数は四人と義務付けられている。その薄汚い雌ゴーレムがいなければ君が俺の誘いを断る理由はないだろう?」

「本気でいっているんですか? 彼女を傷つけて、それで僕があなたの誘いを受けると本気で思ったんですか!?」

「違うのか? おかしいな、てっきり優先順位の問題だと思ったんだが……。ほら、ゴーレムというのはプログラム上の優先順位をなによりも重視するように設計されているだろう? お前が俺よりも優先しているそのゴーレムを排除すれば、俺の誘いが繰り上がると思ったんだが……もしかしてあの町工場の連中も関係しているのか? だとしたら……」


 元オーナーが指を鳴らすと、暗がりから魔法使いとヒーラーが姿をあらわした。


 魔法によって闇に溶け込んでいたんだ。これじゃいくらユウヒが背後の景色すら視認できるセンサーを搭載していても感知することはできない。


「まさか、おやっさんたちまで」

「そこまですればお前は俺のものになるだろう、エレン?」


 元オーナーは邪悪な笑みを浮かべていた。


 人間が持つどこまでも深い欲望。その深淵に触れた気がして、僕の体は硬直したまま動かない。怖い。自分の何倍も大きなモンスターや、暴れまわる機械竜を前にしても感じなかった恐怖が僕の体を縛り上げた。


「ふざ……けるな……」


 腕の中でユウヒが呟いた。


 彼女は僕の腕を振り払い立ち上がる。背に刺さった短刀を引き抜き、逆手に構えて元おナーたちの前に立ちふさがった。


「なにが自由だ……こいつはまだ自由じゃない。いまでもずっと、お前たち人間に捨てられたことに縛られ続けてるってのに……。そのうえ、こいつが手に入れたものまで奪うつもりなのか? こいつがこつこつ積み上げた人生を全部白紙にしようってのか!? お前たち人間は、いったいどれだけアタシたちから奪えば気が済むんだ!」

「ユウヒ……」

「立てエレン! 自由は与えられるものじゃない、掴み取るものだ!」 


 瀕死のユウヒに鼓舞され、僕は立ち上がった。

 僕は彼女の盾。武器も防具もない状況でも、それは変わらない。

 彼女が戦う意思を見せる限り、僕はいかなる災厄からも彼女を守る。


「そうだねユウヒ……二人で帰るんだ、僕らのホームへ!」


※ ※ ※


「はあああ!」


 ユウヒの放った一閃が魔法使いの喉を切り裂いた。呪文を唱えることができなくなった魔法使いは数歩後ずさりして、喉を押さえて地面に手をついた。


 上級冒険者とはいえ彼らはまだ組んだばかりで連携がとれていなかったことが幸いした。


 残るは非戦闘員のヒーラーのみ。事実上、これで元オーナーのパーティーは全滅だ。


「はぁはぁ……なんとかなったね……----っ!」


 気が抜けたその時、地面に倒れていた元オーナーが突然起き上がって僕に切りかかってきた。


 とっさに手をかざすもすでに魔力が尽きており防御魔法は不発。


 闇夜の中、凶刃が銀色の軌跡を描いて振り降ろされた。


「エレン!」


 僕の目の前にユウヒが飛び出した。


 凶刃は彼女の体を斜めに切り裂き、切っ先が地面に突き刺さる。


 僕はとっさに刃を上から踏みつけてそのまま元オーナーの側頭部を拳で殴りつける。彼の体は数メートルほど宙を舞い、夜の小川に盛大な水しぶきをあげて着水。それきり立ち上がってくることはなかった。


「ごほごほっ……こ、こりゃかなわん! 撤退じゃああああ!」


 ヒーラーによって喉の傷を治した魔法使いが叫び、二人は元オーナーを置いて逃げていった。


 彼らのことなんかどうでもいい。ユウヒ!


 両足を広げて地面に座り込んだ彼女の両肩に手を置いて揺さぶった。


「ユウヒ! しっかりしてユウヒ!」

「エ……レン……アタシは、もうダメだ……」

「ダメじゃない! すぐにおやっさんの所に行こう! まだ間に合うよ!」

「無理だ……見ろ……」


 ユウヒは震える手でシャツを広げて傷口を見せた。右肩から左のわき腹めがけて一直線に切り裂かれている。彼女の鳩尾にある魔石もろとも……。


「ああ、そんな……」

「魔石がやられちまった……非正規品のアタシは情報統合魔晶石にバックアップもない……終わりだよ……」

「どうして……どうしてこんなことに! 僕が! ああ、僕が悪いんだ! 君の盾になるのが僕の役割だったのに! いや違う、僕が冒険者になんてならなければ! 人に従うだけの、ただのゴーレムでいればこんなことには----」


 不意に、柔らかい感触が唇に押しつけられ、僕の言葉をさえぎった。 


「……へへ、今回は熱暴走しなかったな……」

「ユウ……ヒ……」

「自分が悪いだなんて……そんなこというなよ……。善悪なんて難しいこと、アタシたゴーレムにはわかんないんだからさ……。お前は自分の心に従って生きてきたじゃねーか……。それを恥じるなよ……自分の生き方を……後悔……すんなよな……」


 ユウヒは穏やかな表情でゆっくりと目を閉じた。


「ユウヒ! ユウヒいいいいいい!」


 それきりユウヒが、僕に笑いかけてくれることはなかった。


 彼女の情熱的な赤い瞳が僕を見つめることも、軽口を叩きながら甘えてくることも、ありはしなかった。


 僕らは、帰ることができなかった。

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