第3話
優介は、考え込むことが増えて、僕と過ごしている間、あまり笑わなくなった。
クラスのカーストトップらしく、クラスメイトの前や、担任の教師の前では、いつも通りを装っている。わざとらしく上がっている口角は、優介の綺麗な歯並びを際立てていた。僕の前では、その歯列は見えなくて、それに不安になってきたころ、優介が言った。
「千博は、父さんと母さんの、どちらかについて来いって言われたら、どうする?」
か細い声だった。初めて安川さんのことを聞いた時のように、小さく抑えた声は、ひどく頼りなかった。
「僕には、選択肢はない。父が問答無用で僕のことを連れていくと思う。」
優介は、僕の家庭に関して、そんなに詳しくない。ただ、父親が医者で教育熱心だということくらいしか伝えていないからだ。家庭のことは極力話したくなかった。優介の家族は、温かくて、僕の家庭とは違う。その違いが、優介と僕の間に溝を生んでしまうんじゃないかと思った。育ってきた環境の違いというものは、埋められないものだと、幼かった僕でもわかっていた。
優介は、僕の答えを聞いて、そっかと呟いた。その横顔は、苦し気だった。
「優介は、どうしたいんだ。」
「わからない。どっちも大事で、大切で、どっちも……」
どっちも大事だという優介の気持ちには上手く共感が出来なかった。僕は、どっちでもいい。どちらを選んでも、窮屈な環境が変わるわけではないし、どちらに対してもそんなに愛着を持っていないから。だが、メリットを考えるなら、父親だと思う。父親は、経済的優位にいる。食べるものにも、生きていくのにも、ついていけば困ることはないだろう。叩かれたり暴言を吐かれたりするというデメリットはあるけれど、大体は職場にいる。数時間我慢すればいいだけだ。
「子どもを育てるのには、養育費がかかるんだ。選択肢があったとしても、僕は父親についていくよ。」
「よういくひって?」
「子どもを育てるのに、必要な金のこと。子どもを大人にするまでに、三千万はかかると言われている。」
調べたときに、愕然とした。家を出れる年になったら、絶対に全額返して家庭とは縁を切ってやると考えていたのに、その金額を返すには何年もかかるということがわかって、恐ろしくなった。今させられている習い事や、家庭教師代なんかも含めれば、もっとかかっているだろう。そんな大金をかけて育てられていて、親に対して嫌悪感を抱いているという自分が怖かった。
「優介とだけ、生きていけたらいいのに。」
思わず口から出てしまった言葉に、慌てて蓋をしても、もう優介の耳にまで届いてしまっていているだろう。反応が怖くて、優介の顔は見れなかった。こんなこと言ったら、気持ち悪がられる。きっとそうだ。それくらい、人との関りが希薄で、人の感情の機微に疎い僕でもわかる。なんでこんなこと言ってしまったんだろう。そう思ってももう遅い。
「世界に俺と千博とだけだったら、悩むこともないのにな。」
優介は、僕を否定しなかった。ただ、そう言って少し照れ臭そうに笑った。
――優介の母親が亡くなったと聞いたのは、そんな話をして、あまり時間が経たないうちだった。
優介は、学校を数日休んだ。久しぶりに学校に来た優介は、歯を見せて笑うことがなくなった。
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