第2話
中島優介と出会ったのは、小学校の四年生の時だった。
中島優介は、リーダーシップのある少年だったと記憶している。ドッチボールをするために、一目散に校庭に行き、頭は良くはないが足が速くて、人を寄せ付ける人間だった。背も高く、精悍な顔立ちで、女子にも人気だった。今思えば、スクールカースト上位に位置していたんだろう。
転校してきて友達がいない僕を気にかけ、仲間に入れるように働きかけてきた。
たまたま家が近かった。たまたま中島の好きなマイナーな少年漫画を全巻持っていた。たまたま話が合った。多くの偶然が重なって、その内、僕と優介は、二人で過ごす時間が多くなった。強者の優介と居れば、メリットも多かった。馬鹿なやつにちょっかいを出されることもなく、そこそこ楽しく過ごせる。宿題を見せてやれば、優介の家に行き、父親から禁止されていたゲームができる。虎の威を借るようなものだが、家とは違って強者の立場にいれる学校は、俺にとって居心地がよかった。
「千博って、難しい言葉知っててすげーよな。頭いいし、意外とおもしれーし。俺、千博のこと友達の中で一番好きだ。」
ある日、優介が言った何気ない一言は衝撃的だった。
「……好きって、なんだよ。」
「俺、変なこと言った?」
「好きって、人に対して言う言葉か?小説とか、アニメとかの……フィクションで言われるもんじゃねーの?」
僕がそう言うと、優介は目を丸くした。そして、フィクションの意味を聞いてきた。嘘とか作り物ってことだと説明すると、優介は眉を顰めた。
「人に対しても言うだろ?」
聞けば、家族間、友人間、その他にもアイドルとか……どこでも好きという言葉を、人間に対して使うらしい。僕の家庭の中では、好きという言葉を誰も使わないから、その事実には中々の衝撃を受けた。友人も、優介に出会うまで居た記憶がない。
優介は、「好きな子、とかいうだろ?」と、少し照れ臭そうに言った。僕はあまりピンとこなかった。なぜ、優介が照れているのかさえも、よくわからなくて、率直に尋ねた。
「優介が今言った好きな子、は家族とか友人とか、さっき言ってたアイドルとは違うのか?」
「違う!こう……ドキドキしたりとか、かわいいとか思って、話したいとか、一緒に遊びたいとかそういう気持ちになるんじゃねーの?」
「……へえ。僕は優介に対して、話したいとか一緒に遊びたいと思うけど?」
「そーゆーのと違うって!」
優介はうげ、と口を開けてそう言ったが、ますますピンとこなかった。
話したいとか、一緒に遊びたいとか。それは、僕が優介に対して抱く気持ちと何が違うんだろう。自分よりも大柄な男である優介は、かわいいとは遠いかもしれない。しかし、優介の家に行ったときに、母親に甘えた口調で口答えをする優介は、かわいかったとは思う。
ドキドキ……は、しないな。
「優介は、好きな子、いるのか?」
優介は、きょろきょろと周囲を見渡して、誰もいないのを確認した。そして、俺の耳に口を寄せた。
「だ、誰にも言うなよ。」
小さく抑えられた声は、いつもよりも低く感じた。息が多めに混じった声は、鼓膜を震わせて、そこから直接心臓に伝っていくように感じるくらいに。僕の心臓は、ドキドキと跳ねた。
「……隣のクラスの、安川さん。」
高揚していた気分が、あっという間に落ちていった。隣のクラスの安川さん。おとなしい感じの図書委員の女子で、あまり目立つタイプではない。唇が厚めで、ぽってりとしている容貌で、特別可愛いわけでも、美人なわけでも無かった。図書委員は、カウンターで本の貸し借りの手続きをしているから覚えていた。でもそれがなかったら、覚えていないだろうなと思うくらいの存在感だった。
絶対、僕の方が優介と一緒にいるのに。僕の方が、優介にメリットを与えることができるのに。
幼い対抗心は、初めて持つ感情だった。今なら、わかる。これが、僕の初恋を自覚した瞬間だと。
初めて、優介から安川さんのことを聞いた日から、安川さんの話を聞かされることが増えた。安川さんは植物が好きらしいとか、運動が苦手だけれど一輪車に乗るのが得意らしいとか、どうでもいい安川さんの情報が、僕の頭の中に残っていく。全然要らないから、その情報……と思っても、優介があんまり嬉しそうに話すものだから、僕は適当な相槌を打っていた。相槌を打つたびに、自分の中にある報われないだろう気持ちと、安川さんへの対抗心が募っていった。
しかし、ある日から安川さんの話はなくなった。
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