第4話

夏休み登校は、その日以降も続いた。

大体、一時間から、二時間半。課題を進める。昼飯を食べる前に帰る。一週間目が終わって、二週間目に入ろうとした時だった。


「昼飯、食べにいこうか。すずらんの冷やし中華が食べたい。」


正直、もう少しがっつりしたものが食べたい。すずらんの冷やし中華は、夏バテの客に食わせてやりたいという店主の思いから、あっさりとしたスープに、麺は細め。キュウリとトマトがふんだんに使われている。八束は食が細く、夏場には、この冷やし中華のリピーターになる。


「わかった。いこう。」


駐輪場に置いた自転車のサドルは、よく温まっている。八束が当たり前のように、自転車の後輪に備え付けてある用途のわからないプレートのような部分に腰掛けた。漕ぎ出せば、生ぬるい風が吹く。八束が乗っている分、ペダルが重たい。ジャリ、ジャリ、ガガガ……悲鳴を上げている自転車がやっと一息つけたのは、すずらんの暖簾が見えた時だった。


「へいらっしゃーい!お、小僧どもじゃねーか! まったデカくなりやがって。チン毛も生えそろったんじゃねーか!」


暖簾をくぐってこってりとした匂いとともに、綺麗に剥げ散らかした店主が皮脂でテカテカになった顔をくしゃりと歪ませながら、俺らを出迎えた。デリカシーという概念のない言葉に、八束が眉根を寄せた。


「食べログに書き込むぞ、今の言葉。」

「食べログが怖くて、飲食店できるかってんだ。」

「だから客が少ないんだ。」


それなりに繁盛しているにも関わらず、店内には、客はいない。ランチタイムは過ぎたし、夏には、こってり系のラーメン屋は人の足が遠のくのかもしれない。


「うるせえよ、小僧。ほら、さっさと注文しやがれ。」

「僕は冷やし中華。別の頼めよ。」


八束はメニューを見ずに言った。俺は、どうしようかと視線をさまよわせて、さまよわせて、別のものを頼めという八束のせいでどうすればいいかわからなくなった。


「優介、お前は相変わらず優柔不断だな!今日はチャーシューの出来がいいから、チャーシュー麺がおすすめだぞ。」


ぐ、ぐ、ぐ……と喉仏が上がってくる前に現れた、おっちゃんの言葉にほっとした。じゃあチャーシュー麺を、と頼めば、八束はおもしろくなさそうな顔をする。カウンターに座ると、舌打ちをされた。


「お前さ、俺が学校行ってない間、どうしてたの。」

「……なにが。」

「誰に選んでもらってたんだ。」


八束の瞳がぎらりと俺を捉える。誰に、と強調された部分に、喉の奥に小骨が引っかかったような思いがした。蛇に睨まれた蛙って、こんな気分だろうか。八束の貧乏ゆすりに合わせて、脚がすり減った椅子が、がたがたと揺れる。八束がいらつきを感じた時の癖だ。八束は、不機嫌を隠そうとしない。長い付き合いといえども、八束のここが苦手だ。


「あんたたちも、来てたのね。」


タイミングよく暖簾をくぐった客が、俺たちを見てそう言った。

長く伸ばされてはいるものの、手入れが行き届いた髪が、店内の扇風機の風に乗って揺れる。タイミングよく、と言ったが、タイミングは最悪だったかもしてない。


「優介、隣いい?」


尋ねてきているが、勝手に座った。


「坂本さん、彼はいいなんて言ってない。僕と二人で来ているんだから、遠慮してくれないか?」

「私は優介に聞いたの。八束君には聞いてない。」


坂本七菜香と、八束は似ている。二人とも強引というか、なんというか。クラスでも目立つ、スクールカーストの上位である七菜香と、不登校の八束が似ていると言えば、クラスの連中からは否定されてしまいそうだが、俺に対する接し方が、二人はよく似ていた。

七菜香は、店内の壁に張り巡らされた品書きを軽く見て、塩ラーメンを頼んだ。


「八束君、学校来る気になったの?やめるって噂だったじゃない。お父様が、職員室に乗り込んだって聞いたもん。こんな底辺校、やめさせるって。」


父親の話が出たことで、八束の眉間の皺が深まった。八束の父親は、この辺では有名な病院の院長をしている。この街の老人のかかりつけは、八束病院だ。高血圧なこのラーメン屋のおっちゃんも、週に一度、八束病院に通っている。

八束の父親は、八束には似ていない。顎がゆがんだ、神経質そうな男だ。病院内では温厚だと評判だが、老人たち曰く教育熱心だと言われいている。一人息子が可愛くて、心配なのだろうと。そんな父親が、やめさせるといったのだ。ということは、八束は学校をやめざるをえなくなるのは、決まっている事のように思えた。


「……辞めないよ。職員室には、成績とか進路のことでいっただけ。僕は、いまのところ、辞める気がない。」


七菜香は興味がなさそうに、あっそ、といった。おっちゃんの手で、冷やし中華、チャーシュー麺、塩ラーメンと、順番にカウンターに出されていく。八束の返事には興味なさげだった七菜香が、ラーメンには興味津々な目を向けた。


「優介が人と同じものを頼まないって珍しい。ほら、私と出かけた時は、なんでも私と同じの頼んでたじゃん。」


八束の貧乏ゆすりが、俺の膝にあたって止まる。八束は、謝るわけでも無く、こちらを見る事もなく、割りばしを割って、非対象になった二本を見つめていた。


「今日のおすすめだっただけだ。」


そう答えると、七菜香は納得したようで、塩ラーメンに向き合った。

その日食べたチャーシュー麵は、文句なしに上手かったはずなのに、なんとなく食欲がわかなかった。


家に帰ったころには、七菜香からのメッセージが、スマホに届いていた。


『八束君、相変わらず優介にべったりだね。窮屈じゃないの?』


七菜香は、八束と似ている。けれど、七菜香はある程度放任というか、俺に対して執着はなかった。それなりに背が高くて、それなりに友人がいる。運動神経が悪くなくて、まあまあ気も合う。そんな男だったら、誰でもよかったんだろうなと思う。


『優介が嫌なら、嫌っていいなよ。』


次いで来たメッセージは、七菜香らしい。


「嫌、なんて、言えるならとっくに言ってる。」


一人で呟いた言葉は、誰かに届くこともなく、自分の喉元で燻るだけだった。

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