第3話
八束との夏休み登校の初日は、嫌になるくらいの晴天だった。
今年は冷夏だと聞くが、夏の暑さは年々増しているように思える。いや、こんなに暑いのは、朝に家を出ようとしたら降り出したゲリラ豪雨のせいで、蒸しているせいかもしれない。
ハンディファンを片手に、俺は机に身体を投げ出して、制服姿の八束を眺めた。
久しぶりで、目が慣れない。
八束は、つくづくこの学校の制服が似合わない。医者の息子で頭も良いのに、家から近いという理由で、この底辺校を選んだ。八束の学力なら、ここの最寄り駅から四つほど先で乗り換えて、また一つ行ったところにある進学校に行けたはずだ。こんな色がうるさいネクタイと安っぽい白いシャツよりも、シックなグレーのポロシャツの制服の方が似合っていると思う。
品がなくて似合わない制服を着た八束は、引き出しにしまってあったプリントを雑につかんで、一つも見ることなくゴミ箱へと捨てていた。
「それ、要らねえの。」
「要らないだろ、なんでもかんでも引き出しに入れとけばいいと思いやがって。」
どうやら、雑多にプリントが詰められていたことが不服だったらしい。
書類の整理が苦手な俺にとっては、まとめて捨てるという行為は、恐怖そのものだ。だって、どこかに大切なものが混じっているかもしれないのに。
八束は思い切りがよすぎる。俺とは正反対だ。
そんなことを考えているのが伝わったのか、八束は俺の顔を見て、鼻で笑った。
「お前は捨てれないもんな。」
ペらり、と八束が俺の前に一枚の紙を突きつけた。
【文理希望調査票】、と書かれたそれは、配られて日が浅い。俺の引き出しの奥の方に、ぐしゃぐしゃになりつつも残っている。
「文系か理系、どっちにしたんだ?」
「……まだ決めてない。」
「ほら、捨てれない。どちらかを選べば、どちらかの未来が消えるのが怖いんだろ。でかい図体をしてるくせに、臆病者。」
「そんなんじゃ、」
ない、とは言えなかった。
「じゃあ、選べ。文系か、理系、どっちにするか。」
――選ぶのは苦手だ。
何かを選ぼうとすると、首元が詰まったように苦しくなる。
声変わりをしたばかりのころのように、ぐ、ぐ、ぐ……とゆっくりと喉仏がせせりあがった。喉をつぶすような圧迫感がして、上手く息が出来なくなる。
顎を上げて空気を取り込もうとするのに、どんどん逃げていく酸素と、あふれる二酸化炭素。ハンディファンの風が遠く感じた。額に脂汗がどっと出た。暑かったはずなのに、背筋がぞわぞわと。鳥肌が立つ。
浅い息を繰り返していると、八束が、俺の首に触れた。
「僕は、理系にする。お前もそうしろ。」
八束の手には、わずかに手汗が滲んでいて、張り付くような感じがした。その小さな冷たさに、一度。吐く動作が止まった。
「っ、あ、」
息が通った。大きく吸い込んで、吐く。簡単なことだ。吸って、吐く。無意識に人間がしていること。それは、選ぶ、捨てるも同じはずなのに。
「帰るぞ。」
夏休み登校初日は、三十分も経たずに終わった。外を出れば、黒ずんだ入道雲が、空の上に留まっていた。雨の降る前の匂い。八束は顔をしかめた。
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